朝の空気が冷たい。
なのにわたしたちは、会社の会議室に置かれたこたつで雑魚寝していた。
経営再建中のピコリーナ・カンパニーでは、社員寮などという概念は存在せず、暖を取る手段がこのこたつしかなかったのである。
カーペットの上に広がるダンボール布団たち……。なんという現実味。
「むぅ~……」
耳をつんざくようなうめき声がこたつの奥から聞こえた。
黒いフリルを身にまとい、ツインテールのように跳ねた赤髪を振り回すゴスロリ少女、クロエ・ディアノスが不機嫌そうに身体を起こした。
「この会社、どうなってるのよ。会議室に寝かせるなんて人権ないの? 小悪魔の私でもブチ切れるレベルよ?」
起き抜け第一声からクレームである。しかもそれが正論なのがつらい。
「せめて……せめて、個室がほしい……! そして暖房! あと、ベッド! マットレス! 羽毛布団! ぬいぐるみ!」
「欲望が膨らみすぎてるよ!」
私は速攻で突っ込んだが、クロエはそれでも不満そうに頬をふくらませていた。
「女神がいるっていうから来たのに、寝床が会議室で、毎晩足が誰かの腹に刺さる生活なんて聞いてないわよ!」
隣では、今日も我らがエルフ・セラスがこたつの中でスヤスヤと眠っていた。
顔はいつもどおりの無表情。美しすぎるイケメンがダンボール枕で寝ているこの絵面、だいぶバグっている。
と、その時。
「皆さん! 見てください!」
女神リィナがスマホを掲げて現れた。相変わらず神っぽさは皆無で、パジャマ姿である。神、寝癖ひどい。
「SNSで昨夜のセラスさんがバズっています!」
画面には、「#ハニワ王子」「#無言で埴輪渡してくる男」などのタグが躍っていた。
写真は、会社前の歩道で無表情のセラスが埴輪を手に立っているシーン。
どこかの一般人が撮って投稿したらしい。
「……これがバズるの、世の中どうかしてない?」
「ビジュアルの力、恐るべしなのです」
私は深くため息をついた。そもそもなんでうちの会社、埴輪売ってるんだっけ?
と混乱しかけたが、今さらそこに突っ込んでも意味はない。
そしてクロエが、突然ポーズを取った。
「チャンスよ……これはビジネスチャンスの香り!」
「……え?」
「通販よ! 我が社、オンラインで世界に羽ばたく時が来たの!」
「いやいや、機材がないし、サイトもないし……」
「だったらまずは路上よ! 駅前で露店販売して、資金を作るの! かわいい私と、イケメンのセラスで売りまくるのよ!」
めちゃくちゃな理屈なのに、妙に説得力があった。
クロエがぐっと指を立てて言う。
「ピコリーナ・カンパニー、出撃準備ッ!」
寝起き5分でいきなり宣戦布告された私たちは、まだこたつの中なのに、妙な勢いで会社の外に連れていかれることになるのだった。
6月の駅前は、すでに汗ばむ季節。
蒸し暑い空気の中、「ピコリーナ・カンパニー」ビルの前には、テーブルと埴輪と日傘が並び、妙な存在感を放っていた。
そして、そのど真ん中でくるくると日傘を回すゴスロリ少女。
その名はクロエ・ディアノス。営業経験1,000年以上の実力者(異世界換算)。
「お客さーん♡ 本日限定っ! “謎の埴輪”一点モノよ~♡」
声のトーンと笑顔だけで通行人の足を止めるその技量は、もはや芸術の域。
道行く人々が次々にスマホを取り出し、撮影を始める。
「えっ、何この子、コスプレ? やば、クオリティ高っ」
「ちょっとあのイケメンエルフの再現度、完全にプロじゃない?」
……問題は、通行人たちがクロエとセラスを“コスプレイヤー”と完全に勘違いしていることだった。
いや、実際は本物なのだが、それを正直に言っても理解されない自信がある。
「クロエちゃん、めっちゃ人呼び込んでるね……」
私は汗を拭きつつ、段ボールから追加の埴輪を取り出す。
「なんかもう……営業っていうか、カリスマの神なのです」
佳苗がぼんやりとその光景を眺めていた。
その隣では、リィナ(本物の女神)が黙々とラッピング作業を担当。緊張感のない顔で、ちょっと楽しそう。
「それにしても……ほんとに売れるのか、これ」
ぽつりとつぶやいたのはセラスだった。両手に埴輪を持って、静かに立っている。
それだけで、観客から「うわ~真顔がガチ」「このキャラ好き」と歓声が飛ぶ始末。
「セラスくん、もっと角度つけてみよっか! はい、そのまま! 完璧!」
通りがかりの女子が彼を撮影しながら、勝手に演出していた。
セラスは完全に「静かにしてるだけでバズるイケメン枠」として機能している。
「いや、これ普通に天才じゃない……?」
私は、感心するしかなかった。
ヨモツがこつこつと作った埴輪は、次々に売れていく。
客たちは「謎の露天商が出してる限定品」的なテンションで、財布の紐がゆるい。
「リィナちゃん、売上……すごいよ、今だけで軽く三万円超えてる」
「うふふ、さすがクロエ様ですね。神の啓示すら超えていくわ……」
リィナが女神の癖に感心している。いや、実際すごいんだからしょうがない。
私は、思わずクロエの背中を見つめてしまった。
「ほんとに……この子、営業のトップだったんだな……」
「うん、なんかもう異世界の上司感ある」
ぶりっ子で小悪魔で、変な笑い方をする変人だと思っていたけど、営業のスキルは本物だった。
異世界でもトップ営業マンだったという話は伊達じゃない。
「ふふ、こう見えて私、千年間“成約率100%”の伝説を持ってるの。悪魔契約だけど♡」
「こわっ!」
私たちは思わず距離を取ったが、同時に妙な安心感もあった。
――この会社、案外なんとかなるかもしれない。
「ヨモツ~! 在庫あといくつ!?」
「埴輪、あと2体! 釉薬が間に合わねぇッス!!」
「もうちょいだけ踏ん張って! 通販の機材、あと少しで買えるから!」
クロエは、スマイルを保ったまま人混みに手を振り続ける。
――彼女が営業トップだったことを、いま全員が納得していた。
――それは、唐突にやってきた。
「千歳さーん! 文明の香りがッスー!!」
朝のピコリーナビルに響き渡るテンション高めの叫び声。
叫び主はもちろん、我らが埴輪職人ことヨモツだ。両手には段ボール、背中には誇り。
「何その爽やかな配達業者みたいな登場……って、なに持ってきたの?」
私が尋ねると、ヨモツは段ボールの蓋を開け、中身を見せてきた。
「レジスターと、スマホ連動の決済端末と、あと通販サイト構築用のノートPCッス! 昨日の売上でポチったんスよ!」
「えっ、もう届いたの!? 早くない!?」
「早朝便ッス! 現代日本、マジでヤバいッスね。弥生じゃ考えられなかったッス」
「そりゃそうだよ……」
箱を開けてはしゃぐヨモツの隣で、セラスが無言で機材を運んでいく。
その動きはスムーズで美しく、まるで異世界の宅配業者だった。
ゴスロリ姿のクロエが彼の動きに合わせて、ノートパソコンのセッティングを開始する。
「よし、あとはアカウント登録して、サイトの骨組みを整えれば明日から通販も始められるわ!」
「さすがクロエ……やっぱ営業トップは伊達じゃないね」
「ふふん♪ 当然でしょ。私はただの美少女じゃなくて、売れる美少女なのよ!」
クロエは得意げに腰に手を当て、ポーズをキメる。
セラスは無言でうなずいた。佳苗も隣で「さすクロ」とぼそっとつぶやいている。
そして私は、感慨深く周囲を見渡した。
みんな、働いてる。頑張ってる。
始めたころは正直「この会社、大丈夫?」って気持ちもあったけど、今は少しだけ、誇らしい。
「……よし、がんばろう。通販で稼いで、もっとちゃんとした環境を……」
そう、もっと“ちゃんとした”――
「ところで千歳」
クロエがくるっとこちらを振り返る。スカートをふわっと揺らしながら、まるで裁判官のような鋭い目。
「寝床の件なんだけど、私たち、ずっと全員で会社の会議室でダンボール寝してるよね?」
「……うん、してる」
「せめて布団欲しくない? 埴輪の間に挟まれて寝る毎日、神経すり減るんだけど? 営業トップに対する扱いとしてどうなの?」
「いや、営業トップじゃなくてもキツいよそれ」
クロエの口調はどんどんヒートアップしていく。
「昨日なんて、ヨモツが寝返り打った拍子に“ハニべ”って文字が私の顔に刺さったのよ!? あとセラス、あなたのダンボールだけ妙に高さあるのなに!? 王族の棺か何か!?」
「脚が長いからな……」
「知ってるし見慣れてるけど腹立つ!!」
叫ぶクロエ。誰も反論できない。
リィナは布団代わりに神の羽衣を巻いていたが、それもただの布だった。
佳苗は寝る前に「ダンボールの構造は温度保持に優れてますのです」とか言ってたけど、朝には震えて起きてた。
……つまり、全員が地味につらい。
「給料出るようになったら、まず寝具ね」
「優先順位、間違えないでよ千歳……私は文明人なのよ……!」
こうして、通販サイトの準備は万端となったが。
ピコリーナ・カンパニーの寝床問題は、文明開化にはまだまだ遠いのだった。
そして翌日――。
「売れた……売れたぞ……!」
パソコンの前で叫んだのは、もちろんクロエだった。
通販サイトを開設して数時間、なぜか“神の加護を受けた埴輪”がバズりにバズり、初日から在庫が一掃されるほどの勢いだ。
「なんで!? なんでこんなに売れてるの!?」
私がうろたえて尋ねると、クロエは自信たっぷりにウィンクした。
「ふふん♪ これが“エモの魔法”よ! レビュー欄に『異世界の神職人による奇跡の逸品』って書いたら、一気に“スピリチュアル好き界隈”に拡散されたの」
「うわ、完全に怪しい通販サイトじゃん……!」
「でも売れてるならいいんですの。利益は正義ですの」
佳苗がヨモツの湯呑みでお茶をすすりながら満足げにうなずいた。
セラスは相変わらず無言だったが、ブラウザに「埴輪 転売」と検索していたのを私は見逃さなかった。やめて。
売上は上々、利益も出た、次は事務所の設備改善――というわけで、私は思い切って「布団セット×6」を通販で購入した。
「ついに寝床が人間レベルになるんだね……!」
嬉しさで声が震える私に、クロエが振り返って言った。
「当然よ! 布団のないオフィスなんて、営業として機能しないもの!」
「いや、それ完全にクロエ基準……」
数時間後、宅配便で届いた大きな箱を開けると、中からふかふかのマットレスと枕、そして温かそうな掛け布団が現れた。
「わーっ、これ、いいやつじゃん!」
リィナが神の羽衣を脱ぎ捨てて飛び込んでいく。女神なのに速攻で人間の文明に屈するの、どうなんだ。
ヨモツも感涙しながら、埴輪をぎゅっと抱きしめて寝転がった。
「文明って……あったけぇ……」
「言葉のチョイスが弥生すぎる」
そして、全員分の寝具がぴったり並んだ会議室。
私たちはようやく、段ボールから卒業したのだ。
「いやあ、これでようやくまともに眠れるな。ありがとう、千歳」
セラスが言ったその瞬間だった。
「……待って」
クロエが、マットレスの上でごろりと寝返りながら、ぽつりと呟いた。
「結局、寝る場所は会社の会議室のままなのね……?」
「……うん」
「つまり、私は営業成績トップで、通販で一日数十万円稼いでも、ビジネスホテルすら与えられず、打ち合わせ用のテーブルの横で寝ているわけ?」
「……うん、まぁ、そう……」
「文明って何なのよ!!!!!」
クロエの怒声が、深夜のピコリーナビルにこだました。
売り上げは好調、会社も軌道に乗り始めた。
だが、「寝る場所」だけは、いまだに“仮眠室”という名の会議室だったのである――。