総務部のドアには、こう書かれていた。
《総務部なのです⭐︎》
「……ふざけたプレートだかつて破壊神と呼ばれた神がいた。
その名を口にすれば空が裂け、思い描けば大地が崩れる。
神々すらその存在を畏れ、滅びこそが唯一の“真理”だとされた時代——
だが、その破壊神は、ある少女に滅ぼされた。
理由も、理屈も、武器すら明らかになっていない。
ただひとつ伝わるのは、
**「デコピン一発で消し飛んだ」**という、信じがたい結末だけである。
神々は震えた。
「彼女こそ、本物の破壊神だ」
「真なる“滅び”が、形を持ったのだ……」
そして神話は幕を閉じた。
———現代。
社内の一室。
薄明るい蛍光灯の下で、ふわふわと小さないびきが響いていた。
鼻提灯をぷくりと膨らませ、椅子の上でくるまって昼寝しているひとりのOL。
その名は——
篠宮佳苗(しのみや かなえ)。
ピコリーナ・カンパニー総務部所属。
現在、絶賛・勤務中(仮眠モード)。
神々が最も恐れ、世界が一度その手に滅ぼされかけた少女は——
今日も社内でゆるく生きているのであった。
⸻
ぱちくり⭐︎
匂いに釣られて目を覚ます佳苗。
この匂いはふわふわオムライスなのです!
三階の休憩室へ走る佳苗。
社内の憩いの場である休憩室は、観葉植物とふかふかのソファに囲まれて、どこか別世界のようにゆったりしている。
テレビからは昼ドラの再放送。キッチンの奥からは、ふわっと立ち昇る香ばしい香り。
「この匂いは……ふわふわ、とろとろ、ケチャップ多めの……っ!」
佳苗は、ドアをバーンと開け放つ。
「魔王さーん! オムライスなのですかーー!?」
「む、佳苗か。ちょうど良いところに現れおったな」
そこには——エプロン姿の魔王がいた。
黒と赤のオーラが微かに立ち昇るその背中は、いままさにフライパンを巧みに操っているところ。
「今日の献立は、魔王流・極限とろとろオムライスだ」
「ひゃああああ!! 魔王さん、すごいのです! 魔王がエプロンとか、もうそれだけで写真集が出せるレベルなのです!」
「やめろ、照れるではないか。余の魔力がバターに混じる」
「それ絶対おいしいやつなのです!!」
魔王は最後の一振りで卵をふわっとライスの上に滑らせ、ケチャップで描くは、謎の魔法陣。
完成した一皿は、見るからに神々しい輝きを放っていた。
「できたぞ、特製・滅びのオムライス」
「ぜ、ぜったい滅びたくなるほど美味しいやつなのです……!!」
佳苗は、両手でフォークを握りしめた。
魔王は、静かに皿を差し出す。
「さあ、受け取れ」
「ま、魔王さま……! 佳苗、生まれてきてよかったのですぅ〜〜!」
──オムライス、実食──
「……っ! ふわふわで! やさしい甘さ! ケチャップの酸味がまるで恋のように胸をくすぐるのです……!」
「恋をしたことなどなかろう」
「食べ物への愛は無限なのです!」
魔王は、感心したように頷く。
「ところで、魔王さん」
「なんだ」
「魔王って、どうして料理できるのですか? もっと、こう……ドカーンとかメラメラとか……」
魔王は遠くを見つめ、静かに語った。
「余はな……かつて世界を滅ぼそうとしたとき、気づいたのだ。
**“腹が減っていては世界など滅ぼせぬ”**と」
「ふ、深いのです……!」
「料理は破壊と創造の基本。食材を壊し、構築し、最高のかたちで提供する——
それは、ある意味で魔術にも似た儀式よ」
「なるほど……つまり、ごはんは正義なのです!」
「それは少し違うが……まぁよい。正義も悪も、うまいオムライスの前では無力よ」
「魔王さんって、もしかして……本当はすごいやさしいのです?」
「そうかもしれんな……だが」
「だが?」
「その優しさを破壊で隠しておるだけかもしれん」
「なるほど……つまり、ツンデレなのです!」
「……っ、なんだその分類は」
「魔王さん、デレ多めのツン少なめで、もっとふわとろになると完璧なのです!」
「卵か、余は卵なのか……」
ふたりの会話は、昼下がりの光の中に、ほんのり溶けていった。
佳苗は残りのオムライスを丁寧に平らげると、フォークを置いてひと言。
「ごちそうさまなのです⭐︎ また明日も作ってほしいのです〜〜〜」
そして、満足そうに鼻提灯を膨らませながら——椅子に再びくるまり、午後の仮眠モードに突入した。
魔王は、そっとフォークを片付けながら微笑む。
「……今日も、世界は平和である」
勇者は渋い顔でドアを見つめた。
(いや、油断するな……これは敵の心理撹乱かもしれん)
そう思いながら、勇者は意を決してノック。
返事は、ない。
(……罠か?)
ゆっくりとドアを開けると、そこには——
「すぅ……すぅ……なのですぅ……」
椅子にもたれ、口を開けて爆睡するOL風の女がひとり。
「っっ……! な、なぜこいつがここに!? 見間違いか? 幻覚か? それとも俺、異世界を超えて異次元に!? 」
勇者の精神が混乱する。その刹那——
「なにしてんのよ、勇者」
「ビクゥッッッ!!??」
背後からの不意打ち。飛びのく暇もなく、反射的に構えを取る勇者。
が、そこにいたのは……
「……お前、クロエか! ど、どうやって背後を取った!? 魔力感知も気配遮断も一切引っかからなかったぞ!」
「普通に歩いてきたけど?」
「嘘だッッ!!! そんなことが……いや、まさかこの空間自体が精神操作型の……ッ」
「早く入れっての。始業時間よ」
そう言いながらクロエは爆睡している佳苗に近づき、肩をゆさゆさ。
「ほーら佳苗~。起きなさい。始業時間すぎてるわよ~」
「ん~~~……あと5分寝たいのです~……むにゃむにゃ……」
「ダメ。起きる。お仕事」
「は~いなのです~……」
ぬるっと起きて、ぬるっと椅子に座り、ぬるっとパソコンを立ち上げる佳苗。
(……今のは一体……? なぜ誰も突っ込まない……?)
周囲には何人かの社員がいるが、誰も気にしていない。
これが、日常風景なのか……?
「……よ、よかった……今のところ大きな被害はない……いや、あるにはあるけど……」
そんな勇者の心の声を無視して、佳苗がにっこりと近づく。
「はいこれ~。勇者は営業部クレーム処理班に任命なのです~⭐︎」
「えっ」
差し出されたのは賞状だった。そこには達筆な筆文字でこう書かれている。
『営業部・クレーム処理班 任命書』
勇者 殿
栄誉をもってクレーム地獄に挑むことを命ず。
「えっっ!!?」
「ふふふ、栄光の第一歩なのです~」
「お前に任命権があったのか!? ていうかなんだこの賞状!? 印章が《にゃんこ判》なんだが!?」
「さぁ、これからたくさんクレーム処理、がんばるのです~!」
勇者はぐらりと立ちくらむ感覚を覚えながら、しかし姿勢を正す。
「はいっ!! 全力であたらせていただきます!!」
——その敬礼は、王から叙勲を受けた時と全く同じだった。
⸻
数時間後:勇者、疲労困憊
「はぁぁぁ……おかしい……スライムなら100体倒せる俺が、電話一本でHPゼロ……」
休憩室でぶっ倒れる勇者。
だが、そこに誰かが紙コップを差し出した。
「飲め」
「ッ!? 魔王……!!」
立っていたのは、掃除当番中の魔王だった。モップを握っているが、目は全く笑っていない。
「何のつもりだ、魔王。貴様、会社を乗っ取る気か……」
「違う。俺は掃除担当だ。あと時給制だ」
「……俺たち、なんでこんなことに……」
「聞きたいことがあるんだろう?」
勇者は顔を上げた。絞り出すように問う。
「……何故、“破壊神”がいる?」
魔王も静かに応じた。
「余もそれが最も恐ろしい。神すら一撃で粉砕する存在が、ここに“社員として”いる」
「千歳は……知っているのか?」
「知らんらしい。女神リィナ曰く、『てへ⭐︎』だそうだ」
「ふざけてんのか……!? あの女神……!」
「だが……今はそやつも、ただのOLとして過ごしているらしい。自覚があるのかも定かではない」
「……誰も気づいていないのか?」
「誰もだ。知っているのは我らと、女神くらいだ。だが忠告はしておこう」
「忠告?」
魔王は真顔で言い放った。
「喧嘩は……やめておけ。もし“お尻ぺんぺん”などされたら、死ぬぞ」
「……ッ」
勇者は、絶句した。
「“死亡理由:お尻ぺんぺん”。貴様、それが勇者の末路であって良いのか?」
「……末代までの恥だ……ッ!」
その日、勇者は誓った。
——二度と社員をなめない、と。
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エンドロール的モノローグ
クレームは今日も届く。
・踊り狂う埴輪
・奇跡が出ない美容液
・脱げないミイラ服
モンスターはもういない。
いるのは、“面倒くさい顧客”と“ノリだけで生きてる社員たち”。
勇者は、剣をマウスに持ち替えた。
これが、
異世界最強の元勇者による——
《クレーム処理という名の戦い》である。