月に4,000人のラーメン職人を送り込んだ翌日のこと。
「千歳殿。お願いがございます」
いきなり現れた着物姿の女性に、私は目を凝らした。
「……あなた、まさか……かぐや姫?」
「左様です。私です。かぐやです」
確かに面影はある。あるが――
「……ふくよかになった……?」
「ラーメン職人が毎日、ラーメン、餃子、チャーハンを差し出してくるのでございます。ご丁寧に一日三食。しかも四千人前。しかも客ゼロ。こうなるのは必然かと!」
「……あんたも大変ね……」
「あなたのせいでしょ!? あなたの!」
「あー……まあ、そうだけど」
「で、職人を返したいとか?」
「それもございますが、まずはこの身体を――ナイスバディに戻したく参りました」
「2階にジムあるから、受付しといて」
こうして、かぐや姫は毎日地球に通い、筋肉エルフ・セラスの地獄のトレーニングに耐えることになった。
──数日後。
「ふぅ。一時期はどうなることかと思いました」
見事にスリムを取り戻したかぐや姫が、満足げにポーズを決める。
「で、ラーメン職人は地球に帰す?」
「はい。月が豚骨の匂いで満ちておりますので」
「OK。近くのラーメン屋に派遣させとくよ」
こうして、ラーメン職人たちは地球に帰還し、北海道のラーメン屋が爆増する結果となった。
──誰もが知っている未来の話は、案外こんな小さなカオスから始まっているのかもしれないが本編とは別の話なので省略。
──が、物語はこれで終わらなかった。
「……けれども、わたくし、ひとりぼっちは少し……寂しゅうございますの」
月面ラーメン騒動がひと段落した後、すっきりとスリムに戻ったかぐや姫が、静かに呟いた。
その瞳には、どこか切なげな光が宿っている。
「殿方が……ほしいのでございます。紹介していただけませんこと? 例の、どのような者でも呼び出せる魔法の紙──あれをお使いになれば」
「いや、あれ求人票だからね? 彼氏紹介用じゃないからね?」
千歳がすかさず突っ込む。
「でも、わたくし出会いがまったくなくて……もしかしたら、働かずとも優しくしてくださる方と出会えるかもしれませんでしょう?」
「動機が不純すぎるよ姫ぇぇぇ!!」
とはいえ、“異次元求人票”は万能だ。
千歳は半ばヤケになって書いた。
『求ム:恋人探しをお手伝いしてくれる方!』
すると──
「ごきげんよう! わたくし、ミズタニと申します!」
現れたのは、ビシッとスーツを着こなした中年男性。メガネがギラリと光っている。
千歳は恋のキューピットとか天使が来ると思っていたので予想外の展開である。
「この度は《ピコリーナ結婚相談所》へのご登録、誠にありがとうございます!」
「……え、うちにそんな部署あったっけ?」
千歳が首をかしげる間に、ミズタニは手早く机を出し、花柄のクロスを敷いて即席の“相談所カウンター”を設置。完全にやる気だ。
「おお……お美しい。そちらがご相談者様でいらっしゃいますか?」
「はい。わたくし、かぐやと申します」
「このミズタニ、誠心誠意お手伝いさせていただきます。では、さっそく入会金の方を──」
「申し訳ございません。わたくし、金銭というものは持ち合わせておりませんの」
「……なるほど。では、ご職業は?」
「月姫でございます。日々、月を眺めたり、うさぎにお餅を搗かせたりしておりますの」
「……ええと、つまり“家事手伝い”ということでよろしいですね?」
「姫って家事手伝い扱いになるの……?」
千歳が小さく呟くが、ミズタニは動じず質問を続ける。
「それでは、失礼ですがご年齢は?」
「七百歳にございます」
「はい、七百──歳?」
「はい。まだまだ若輩でございますが……」
「ご希望の男性の条件などはございますか?」
「そうですね……できればお若い方がよろしゅうございます。たとえば、“星の王子さま”のような──」
「……無理無理無理無理!」
ミズタニ、机を叩いてメガネをバチンと光らせた。
「無職・家事手伝い・七百歳が若いイケメンを希望とは……もっと現実をご覧なさい!」
「……え?」
「今どきの若い男性は、共働きを望んでいるのです! あなたのような方には見向きもしませんぞ!」
「わ、わたくしのような……」
かぐや姫、絶望の表情。
「お、男に否定され申した……!」
「いや、そこまで落ち込む!?」
千歳は頭を抱えた。
「では、まず何をなさるべきか……それを明確にしましょう」
──と、ミズタニはメガネをクイッと持ち上げた。
泣きそうな顔をするかぐや姫を、冷静に見据える。
「まずは、働くことです。パートでもよい。収入がない方に、現代男性は見向きもしません」
「そ、そんな……働いたことなど、一度もございませんのに……」
かぐや姫がうるっと涙を浮かべる。
「仕方ありませんな」
ミズタニがため息をつき、くるりと千歳の方を向く。
「社長、この哀れな姫君に、どうか働き口を!」
「なんで私に振るのぉぉぉぉ!!」
千歳は頭を抱えてのたうち回った。
──とはいえ、何もしないわけにもいかない。ピコリーナ・カンパニーは基本“全員働け”の会社である。
仕方がないので、あの無駄に神々しいオーラを放ちながら空中に浮かぶか、寝そべってテレビを見ているだけのリィナに、かぐや姫を預けることにした。
一応、リィナはホテルの一階にある「ピコリーナ・バー」にて、夜の三時間だけ“女神バーテンダー”として接客している。形だけは。
──そして、勤務初日。
「……あやつ、なんの役にも立たぬ」
バーのカウンター奥で、リィナが真顔で呟いた。
「気は利かぬし、喋れぬし、何も作れぬ。ほんとうに、ただ見ていることしかできぬ者じゃ」
「その評価、なかなかに厳しくない……?」
千歳が苦笑する。
かぐや姫は、バーカウンターの奥で神妙な面持ちで立っていた。エプロン姿は様になっているが、仕事中なのに何もしていない。
氷の入ったグラスをずっと見つめている。
「これは……まるで仏像……?」
「仏ではなく月の姫じゃ。ありがたさのベクトルが違う」
リィナがぴしっと指摘する。
「なにか……わたくし、いたらぬことをしてしまいましたか?」
かぐや姫がそっと問いかけると、リィナはため息をついた。
「……されど、誰も“いない方がマシ”とは言うまい。あやつ、見ておるだけならば、悪事をしないだけマシじゃ」
「ひどく低い基準で褒められてるぅぅぅ!」
千歳は頭を抱える。
こうして、“彼氏を得るためにまず働こう”というかぐや姫のチャレンジは、第一歩から暗雲立ちこめるものであった。
それでも──かぐや姫は、いたって真面目だった。
バーでの失敗にもめげず、女神リィナの指導(?)を一言一句逃さずメモし、
「受付とは“清く、正しく、美しく”である」と語るレミットに頭を下げて弟子入りし、
「ひ、人間こわい……でも、かぐやさんは、だいじょうぶ……かも……」という幽霊・キリと毎朝手を取り合って勇気を得ていた。
たとえば──
「レミット様、受付の“極意”とは何でございますか?」
「……お辞儀は……角度で語れ」
「おお……!」
「角度は……気持ち……それ以外に意味は……ない……」
「深いっ!」
またある日は──
「キリ様……わたくし、勇気がほしいのです。どうすれば怖れず働けますか?」
「……とりあえず……背後に立たないでください……心臓が冷たくなるので……」
「承知いたしました……!」
かぐや姫は、たしかに努力していた。
どこかズレてはいるが、一日一善、一日一成長を信じていた。
信じていたのである。
──が。
「なあ千歳、あやつ、なんぞ“達成感”だけはすごく感じておるのではないか?」
女神リィナが言うと、千歳は苦笑いした。
「うん……成長は……うん、してる“気がする”ってやつね……」
エプロン姿でホウキを逆さに持ち、バーのカウンター下を拭くかぐや姫の姿がそこにあった。
一心不乱に、机の“裏側”を磨いている。
「わたくし、今日もまた“ひとつ賢く”なりましたわ!」
「うん、そう思えるのは大事だよ……大事だけどね……!」
かぐや姫の労働力はゼロに等しい。
しかし彼女の“やる気オーラ”だけは、ピコリーナ・カンパニー随一であった。
そしてついにそんなかぐや姫の前に王子様が現れるのであった。
後編に続く!