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第9話 千歳、埴輪バブルの崩壊に直面する。

目覚ましが鳴る前に目を覚ました。原因は――布団。人類史上もっとも甘美で、もっとも罪深い発明。


千歳はもぞもぞと掛け布団の中から顔を出し、ぽや~っとした表情のまま寝癖だらけの頭を撫でた。


「……幸せって、案外こういうとこにあるよね……」


温かい布団。カーテンの隙間から差し込むやさしい朝日。昨日の夜コンビニで買ったインスタントコーヒー。


そして、今、ちゃんと天井がある!


(私の人生、ようやく家らしい家で寝れてる……いや、社宅だけど!)


思わず布団の中でゴロゴロ転がって感謝の舞を始めた千歳だったが、ふと横に目をやり、あるモノに気づく。


部屋の隅。おしゃれでもなく、かわいくもなく、シンプルに「圧」がある物体が、じっとこちらを見ていた。


「……埴輪がある……なんで……?」


彼女の目の前には、きっちり正座した武人埴輪が、枕元で鎮座していた。


じわじわとコーヒーの香りが脳に回ると同時に、昨夜までの記憶も蘇ってくる。


埴輪を売っていた。うん、売ってた。女神と悪魔と陶芸家とで、通販までして売ってた。しかもバカ売れしてた。


「……てことは、うちの会社……まさか……」


千歳は立ち上がって、布団の端を踏んで軽く転びつつ、恐る恐る言葉を口にする。


「――うちって、埴輪販売会社……なの?」


すっかり冷めたコーヒーを片手に、千歳は今日も未知の領域に足を踏み入れようとしていた。


「ダメだダメだ、一回落ち着こう。そう、深呼吸から始めよう。きっと“他にも事業展開してる”とか“サイドビジネスだっただけ”とかあるって……きっと!」


根拠のない希望を胸に、彼女はパーカーを羽織って2階フロアへと向かった。


いつものように、何かとんでもないことが待っている気配を、ビルの壁から感じながら――。


千歳が2階に降りるとらそこにはどこか薄暗い空気が漂っていた。


いや、たぶん物理的に埴輪のせいで光が遮られてる。


「なんか……埴輪が増えてない……?」


壁際だけでなく、床にも、椅子の上にも、果ては観葉植物の鉢にまで、埴輪が配置されていた。


ピクリとも動かない顔で、無数の土の精霊たちがこちらを見つめてくる。いや、ただの焼き物なんだけど。


その埴輪たちの向こうで、クロエとヨモツが深刻そうな顔で唸っていた。


ゴシックな黒ドレスのクロエは、手に持ったグラフ付きの資料をぱたぱた振りながら言う。


「おそらく、これは“市場の飽和”と“トレンドの急変”が重なった結果かと。最新のSNS分析によれば――」


「……いま流行ってんの、埴輪じゃなくて青銅の勾玉らしいのです」


片膝を立てて仁王立ちしているが汗をかいているヨモツ。


クロエはスマホを操作しながら、ぽつりと告げる。


画面には、どこの誰とも知れぬインフルエンサーが「古墳コーデに勾玉アクセが今アツい」と言って、奇妙に洒落た和装で踊っていた。


「ちょっと待って。埴輪、もう終わったの!?」


千歳が絶叫するのと、クロエが「まさにそれを危惧しておりまして」と深くうなずくのは、ほぼ同時だった。


「埴輪バブルは完全に弾けました。現在、在庫は……約320体。原価は合計で……およそ――」


「わーーーー!! 言わないで! 数字でトドメ刺さないで!!」


棚の下から出てきた埴輪の顔が、無表情なはずなのに、なぜか「もう売れねえよ……」と語りかけてくるように見えた。気のせいであってほしい。


「このままじゃ給料も出ないッスね……粘土代も材料費も高騰してるし……。てか、俺の粘土どこに置いたか知らないスか?」


「あなたの粘土なら、埴輪と一緒に“在庫”扱いにしました」


ピコリーナ・カンパニー、最大のピンチ到来。


2階の床には、積み重ねられた埴輪が山脈のようにそびえていた。ちょっと足をぶつけたら雪崩が起きそうだ。


そんな時


「……ここ、ジムにする」


冷ややかな声が2階フロアに響いた。


その声の主はセラス。銀髪をなびかせる無愛想なイケメンエルフ。最近では「一日に5回ため息をついたら“セラスが何か不満を感じているサイン”」として社内で暗黙のルールになっている。


「ジムって……筋トレの?」


千歳が訊ねると、セラスは顎で空間を指す。


「広さは充分。立地も良い。俺が指導する。収益化できる」


「いきなりすぎんだろ……」


だが、すかさず乗ってきたのはクロエだった。彼女のツノが“ピクン”と反応している。これは「商機あり」のサイン。


「ふむ……近年、駅近のパーソナルジムは需要が高まっています。ターゲットは、在宅勤務で運動不足な若手社会人層……この立地、勝算ありですね」


彼女はすでにメモ帳に『ピコリーナ式トレーニング』と走り書きしている。商売の鬼である。


「では、我に受付を任せるがよい!」


黄金のティアラを輝かせながら、天井から女神リィナがゆっくりと舞い降りる。その姿はまさに威厳と優雅の化身――たぶん屋上から梯子使った。


「かつて神殿にも“鍛錬の間”があった。筋肉を司る神メトゥオスに奉納するには、まずは己が汗を流すことこそ至高……!」


「えっ、筋肉信仰あるの!?」


「当然であろう。我は全知全能の神であるゆえ、流行にも通じておる」


「その理屈通るか!?」


そんなやりとりの間にも、ジム設営プロジェクトは即断即決で進む。


「ワシに任せい。床材を黒曜石に張り替えるか?」


ガルド(ドワーフ職人)が図面を広げ、勝手に壁を削ろうとする。


「待て!消防法!」


「クロエさん、内装に予算出していいですか~♡ついでに、女子更衣室に照明付きの姿見を置きたいです~♡」


佳苗がピンクのファイルを開く。


「経費の用途としてはギリギリ許容範囲ですが……そのウィンクが気になります」


一方セラスは、埴輪をいくつか持ち出してトレーニング器具の横に配置。


「……無言の圧。客の背筋が伸びる。良い」


ジム名は『ピコリーナ・フィット』に決まり、Web予約サイトも佳苗が即席で構築。看板を掲げると、なんと初日から立地効果でスーツ族がぞろぞろ入店。


「いらっしゃいませ、凡なる民たちよ。鍛えよ、己を」


受付に立つ女神が、輝く金の名札を掲げながら微笑む。なお、トレーニング前に“神への祈り”という名目で誓約書を書かされるのはどうかと思う。


そして初週の売上速報が表示されたそのとき。あたしは気づいてしまった。


「お、おいちょっと待て。これ……誰がいくら給料もらうの……?」


千歳の頭が、リアルな“経理の闇”に包まれたのだった。


その言葉に、その場にいた全員の手が止まった。


広々とした会議室のソファ。千歳がカップ麺片手に呟くと、女神リィナのティアラがキラリと輝いた。


「む……月の奉納の時期か。我は、黄金の盃と、神託香草の詰め合わせと、あとは――」


「ちょっと待ってリィナさん!“給料”ってつまり“お金”の話ですよ!?あんた神託で香草ばっか受け取っても換金できないでしょ!」


女神は一瞬きょとんとした顔をした後、「そなた、貨幣経済とは情緒がないのう」とぷいっと顔をそらす。


一方、イケメンエルフ・セラスはジムの売上レポートを無言で差し出す。そこには驚異の数字が。


「五日で、こんなに!?」


「ただし、経費は引いていない」


出ました無慈悲エルフ。広告費・施工費・クロエの高級おやつ代(!?)などを差し引くと――


「――利益、ギリ黒字ってところですね」


クロエが伊達眼鏡をクイッと持ち上げる。


「とはいえ、このままだと各自の報酬が極めて曖昧なまま業務が継続されます。会社としては非常にマズい状況です」


「要するに、“いくら働いても、誰がいくらもらってるか分かんない”って状態なのですね?」


佳苗がスイーツをつまみながら言うと、クロエが深く頷く。


「ええ。感情ではなく契約で動くのが企業というもの。まず“雇用契約書”の作成から取り掛からねばなりません」


「そんなの、今からやるの!? え、私がやるの!?」


千歳が頭を抱えると、ヨモツが土で作った“会計神ハニワ”を無言で差し出してくる。


「……なんで経理を埴輪に任せようとしてるの!?怖いんだけど!」


「うむ。そなたたちには、金銭を司る補佐役が必要であろう」


女神リィナが厳かに言い放つ。


「すなわち“会計士”と“副指導者”。そなたらの器にしては上出来の見解よ」


「なんでこっちが褒められてんの!?」


クロエが神妙な顔で言う。


「このままでは、回らなくなります。数字の神に仕える者――真の会計士が必要です」


「じゃあ、採用!?」


クロエがすでに採用スライドを作っている。もう止まらない。商神ユリュアの信徒は書類作業においては無敵である。


「セラスくんにもアシスタントが要るよね~♡イケメンの周りにはイケメンを♡これぶち上げよ~♡」


佳苗がさっそく“イケメン歓迎”の求人バナーを作り始める。色がショッキングピンクで目が痛い。


こうしてまた、ピコリーナ・カンパニーは新たな混沌のフェーズへと突入していく。


「……会社、作ったはずだったのになぁ。まさかジム付きで、神付きとは思わなかったけど……」


そんな千歳のぼやきもむなしく、今日も廃ビルには、筋肉と神の声とツノの経済音が響き渡るのだった。


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