「……ねぇ、うちって、会社として、正式に登録してるのかな?」
ある朝。いつものようにセラスの作ったスムージーを飲み干し、口の周りを拭いた千歳が、ぽつりと漏らした。
「ふむ、名刺には『ピコリーナ・カンパニー』と記されてはおりますが……法人番号は存在しませんわね」
クロエがノートパソコンを開いたまま、冷静に答える。画面には“税務署とは仲良くしましょう”のキャッチコピー。
「契約が曖昧なまま共同財布を回すのは、資本主義的に破綻を招くのです~」
佳苗がアイスをくわえたまま、まるで他人事のように呟いた。
「確かに、今んとこ財布は“出した人が偉い”制度だしな……」
千歳は引き出しから、グシャグシャになったレシートの束を見て青ざめる。
そこにリィナが現れ、ドヤ顔で言った。
「ふん、人の世の帳簿など、神に仕える我らには不要じゃ! 金など神の加護でどうとでも――」
「この前、電車賃足りなくて駅で泣いてたの誰だっけ?」
「う……それは……神の試練じゃ!」
「ともかく!」
と千歳は立ち上がる。
「正式に会社にしよう! 税金対策とか、給料の振込とか、ちゃんとしないとさ!」
「うむ、それは良い判断かと」
クロエがにっこりと微笑む。
「では、まずは会計士を――」
「知ってる」
突然、セラスが口を開いた。筋トレ中でタンクトップ姿のまま、静かに一言だけ。
「会計士、知ってる」
「えっ、マジで!? どんな人?」
「……ひとつ、心当たりがある。ただし──生きてるかどうかは、微妙」
そして次の瞬間――。
ビルの自動ドアが、ギイィィ……と音を立てて開く。
入ってきたのは……白髪が腰まで伸び、顔中にシワが刻まれ、手がプルプルと震える、見るからにヨボヨボの老人。
服装は古びたローブ。腰にはなぜかそろばんと電卓。
「うおぉ……生きてるの……?」
「ハクジョウ=フレニクスじゃ。若い頃は、会計というものは……呪文だったんじゃよ……。ンン?」
「えっ、何ですかそれ?」
「......いまは令和か? うむ、では法人番号……おや、なんの話じゃったかのう?」
全員:おい。
……かくして、ピコリーナ・カンパニーに超高齢・伝説級の会計士がやってきたのであった。
「わしが若い頃はのぅ、勘定というのは……呪符を燃やして帳簿に刻んどったんじゃ……」
ハクジョウ=フレニクスは、老いの重みによろめきながら椅子に着席した。
机の上にはそろばん、電卓、筆、インク、封蝋、なぜか水晶玉が並ぶ。
「わあ~時代が迷子なのです」
佳苗がポツリと呟いた。
「こ、これで本当に会社設立できるの……?」
千歳は不安そうに資料を差し出す。
だが、ハクジョウは資料を一瞥しただけで――
「ふむ……書式が古いな。平成様式じゃ。訂正じゃ、訂正」
震える指先がまるで別人のように動き出した。筆が紙を滑る音。電卓のキーがパチパチとリズムを刻む。
その動きは、まるで――
「――神技……!」
クロエの瞳が契約の好機のようにキラリと輝いた。
「ふっ、会計の“神の使い”と呼ばれた頃もあったわい……フガァ……ンゴゴ……」
いきなり居眠りした。
「寝たーッ!? 書類、今半分まで来てたのに!?」
「さすがに高齢すぎでは……」
セラスが呆れ顔でつぶやくと、ヨモツが耳元で大声を出した。
「なぁー! 起きろォー! 法務局の印鑑証明がぁー!!」
「ぬわっ、ぬぅん!? ああ、夢で税務署に襲われとったわい……!」
そして再び帳簿が走り出す――かと思いきや、
「この“ハンコ”、どこで買ったんじゃ? やけにキメが細かい……木目の角度が……よろしい」
「今それ関係ないよね!?」
事務所全体がツッコミで埋まる中、いつの間にか法人設立の書類が全て完成していた。
「ひとまず完了じゃ。あとは電子申請じゃな……その前に、スキャンとは何じゃ?」
「いやだめだこの人アナログ特化すぎる!」
「ああ、でも……名前、ちゃんと『ピコリーナ・カンパニー』で登録できたんだ……」
千歳が感慨深げに言うと、全員が少しだけ誇らしげな表情を見せる。
「正式な会社になったってわけね。……やっと、スタートラインに立った感じがするわ」
「わたくし、契約書が公的効力を持つ世界……感激でございますわ……」
クロエは鼻をすすっていた。
そして、次の瞬間――
「おぉおぉおぉ……そういえば、資本金の登録、しとらんかったかのぅ……?」
「「えっ!?」」
事務所に再び地獄の帳簿タイムが訪れるのだった――。
「資本金、どうすれば……」
千歳が書類の山から顔を上げると、ハクジョウはうつらうつらと宙を見ていた。
「資本金はな……“見せ金”ではダメじゃぞ……しっかり現金を通帳に入れて――Zzz……むにゃ……ううん、決算期を跨ぐなよぅ……」
「寝落ちのスキルがプロフェッショナルすぎる!」
ヨモツが小突くも、老人の眠りは岩の如し。
「とりあえず、資本金は私が立て替えるわ。少額なら問題ないでしょう」
クロエがすっと口を挟む。ルビー色の瞳が光り、背後に通帳と大量のハンコの山。
「さすがクロエさん……契約神の信徒は違うわ……」
「いやあの人、すでにリィナ様より会社の信用高いのです」
佳苗がぼそり。
「それより、通帳を登録するにはハンコを――あっハクジョウさん、目開いてる!?」
「…………」
まばたきすらせず、目を見開いたまま石像のように固まっている老人。
「もしかして……フリーズした……?」
「いや、これね。**会計士の“思考全振りモード”**よ」
セラスが冷静に解説する。
「書類を見ながら、時空を超えて税制と財務の変遷を脳内で走らせとる……」
「それ集中するときのやつ!? ていうか本当に今、税制の歴史走ってるの!?」
「…………江戸……明治……昭和……」
「実況してるーーーー!!」
そのとき――
「申請通りました!」
郵送用の書類を持って、リィナが女神スマイルで登場した。
「女神が役所に書類持ってった!? 神の威光で何でも通るなこの世界!!」
「いや違う、これはただの魔力による**瞬間移動提出(パワー技)**じゃ」
「なにそれこわい」
一息ついたかに思えた事務所の中――
「ねぇ、今さらなんだけど……」
千歳が机を見て固まる。
「この法人、何をやる会社って登録したの……?」
「……あ」
クロエ、リィナ、セラス、佳苗、ヨモツ――一斉に目をそらす。
「えっ、こんなに……曖昧な業種で通るの!?!?」
「わしの若い頃はな、業種なんてものは魂で決まったもんじゃ……」
「令和の役所に魂とかいらないのよおじいちゃんーーーーー!!!!」
「えっと……これで会社、正式にできたってことですよね?」
千歳がそう言うと、オフィス内には小さな拍手が巻き起こる。
拍手の発端は佳苗。
何故かクラッカーを用意していて、どこから出したのかリボンガーランドまで天井に伸びている。
「会社設立おめでとぉ~☆ 今日から正式に“ピコリーナ・カンパニー”が始動なんだねっ!」
「いや、まだ登記の控えが来てないし、銀行口座の名義も通ってないから、半分くらい“虚構”なんだけどな……」
セラスが筋トレ器具を組み立てながらぼそり。
「大丈夫です。会社とは“意思とハンコがあれば成り立つ”のです」
クロエが契約書の山を一瞥しながら断言する。彼女のブローチが今日も商神の輝きを放っていた。
「で、設立したのはいいとして……さ」
千歳が口に出すべきか悩みながら、机に置かれた白紙の給与明細に視線を落とす。
「給料って、どうするの?」
一瞬、場の空気がフリーズする。
「出る……のかな? 出ない……のかな?」
佳苗がまるで他人事のように指をくるくるさせている。
「ま、まさかこのまま労働が神への奉仕とかいう、やばい宗教モードじゃないでしょうね!?」
千歳のツッコミにリィナが神々しい顔で微笑む。
「……あながち間違いではないのじゃが?」
「ギャアアアアアアアア!!?」
「まぁまぁ、落ち着きなされ」
ハクジョウ=フレニクス老人が、そろりと手を挙げて発言する。
いつのまにか白紙だった帳簿に、細かく数字が並び、予算表が出来上がっていた。
「わしがざっくり計算したところ、埴輪の売上……ゼロ、ジム会員収入……ちょいプラス……経費でチャラ……よって!」
「よって!?」
「いまんとこ、給料ゼロじゃ。」
「うああああああああ!!!」
千歳の叫びが札幌駅前の空にこだまする。
「だ、大丈夫!これからこれからなのです!ね? 前向きにいくのですっ」
佳苗がフォローするが、その手に“合格祝いでもらった5000円札”を握りしめていたのを千歳は見逃さなかった。
「そもそも、どうやって分配するかも決まってないしね」
クロエが冷静に言う。
「能力給、時間給、固定給……どの制度にするか、まずはそれを決める必要があるよね。とりあえず、会社名義の通帳に資本金入れてるし……今は共同財布ってことでいいかな」
千歳は泣きながら了承する。
「ま、ここまで来たなら言っとくけどさ」
静まり返ったオフィスの空気を切り裂くように、クロエが机に肘をついてさらに言った。
その瞳がキラリと光るのを見た瞬間、千歳の胃に嫌な予感がよぎる。
「今のままだと“ノーギャラで夢追い集団”ってやつだからね」
「わ、わかってるけどさぁ!? それを言われると胃に穴が……」
「はいはい、現実見よっか。選択肢は大きく分けて三つ」
クロエは指を三本立てた。
「ひとつ、能力給。売上に応じて給料が増えるやつ。やる気は出るけど、売れなきゃ餓死。今の埴輪の在庫状況で言うと──まあ、死ぬね」
「あはは……あっさり死刑宣告きた」
「ふたつ、固定給。安定して出せるけど、赤字が固定化する。ジムが回りはじめたとはいえ、利益が出るのは……えーと……このままいけば来年の初夏?」
「遅っ!? 一年後!?」
「で、最後。時間給。働いた時間で決める方式。セラスの稼働時間がぶっちぎりになるから、結果的に“筋肉に優しい会社”になるけど」
「なんだよその会社……」
「で、今の状況をまとめると──出せる給料はゼロ。つまり、制度どころじゃないってこと」
バッサリ言い放つクロエに、全員が遠い目になった。
「せめて……手当だけでも……」
「じゃあさ、こういうのはどう?」
机に肘をついて、クロエがにやっと笑った。
千歳は、その顔に一瞬“悪魔”のツノを見た気がした。
「給料、現物支給ってことで」
「現物って、なに……? もしかして、アレ?」
クロエはすっ…と机の下から大きな布包みを取り出した。中からごろりと出てきたのは──
「埴輪」
「うわぁああああああああああ!!」
「ちなみに、在庫は今のところ……倉庫2つ分くらい」
「どこにそんなに作ったの!?」
「しかも、ヨモツが勝手にバリエーション増やしてるからね。全部一点もの」
「逆に売りにくいよそれーー!!」
悲鳴を上げる千歳の横で、佳苗が小首をかしげていた。
「えっと……つまり、お給料として“埴輪”をもらえるってこと?」
「そうそう。あたしたちの在庫資産、活用しないと意味ないでしょ。持って帰って、売ってもいいし、家に飾ってもいいし」
「飾るか!!」
「神棚に立てて毎日拝めば、たぶん商売繁盛のご利益あるよ? 埴輪神降臨ってことで」
「そんな神いない!!」
リィナが神棚の横でむくれたように腕を組む。
「……わらわより、あの土偶まがいの方がありがたがられるとは、何とも世も末じゃの」
「でもでも~、一応価値はあるんだよねっ? オークションとかで売れるかもじゃないっ?」
佳苗が目を輝かせて言うと、クロエがうんうんと頷いた。
「そうそう。物々交換の原則に従えば、これは立派な対価。まあ、売れればの話だけど」
「売れなかったら?」
「押し入れが埴輪まみれになる」
「地獄かよ!!」
千歳ががくりと崩れ落ちると、セラスが横で小さく呟いた。
「……ジムの床材に埴輪を使えば、コスト削減になるかもしれない」
「そういう問題じゃない!!」
話し合いをしていると、それまで寝ていたハクジョウが起き上がり
「ふぉふぉふぉ……出しておいたぞい。会社設立確定書。わしの代筆でな」
帳簿に囲まれた和紙まみれのデスクから、ハクジョウ=フレニクス老人が頭を上げた。
その手には、神々しい輝きを放つ一通の封筒──いや、神封(しんぷう)。
「これより、商神ユリュア様よりの“起業補助金”が届くはずじゃ」
「……え、助成金って神様からもらえるの?」
千歳がコーヒー片手に目を瞬かせると、隣でクロエがドヤ顔でブローチを弾いた。
「当たり前でしょ?商神様は“等価交換”と“努力”を重んじるの。何の努力もなく成功するのは、ビジネスじゃなくて宝くじ」
「どこかで聞いたような説得力ある言葉キタ」
「ただし……!」
ハクジョウが眉をぴくりと動かす。
「使い道には、**“神託付き制約”がある。無駄遣い厳禁、領収証は必須、事業報告書は月イチじゃ……」
「メンドくさッ!!」
その瞬間──部屋の隅に置かれていた**神封(しんぷう)**がバシュンと開封され、中から黄金色の文書と通帳サイズの神帳(しんちょう)が現れた。
「支給額──1000万ヴェル。日本円換算で380万円也。」
「ちょ、ちょっとした自治体の創業支援金よりリアル!!」
「これで……給料、出せるのか?」
セラスがそっと、トレーニングマットの影から顔を出す。
「もちろん。ただしこの金で買えるのは、業務に必要なものだけ」
クロエが神帳を受け取ると、そこには**“商売は人を救う──神託の加護と共に”**という荘厳な文字が記されていた。
「じゃあ、お祝いにピザ頼んでも──」
「アウトだよ佳苗。それ“贅沢消費”扱いされるから」
「なんで神様、経費にそんな厳しいのですか~!?」
「……ちなみに、神帳に“会食”って記載する場合、参加者の役職名と議題も添える必要があるの」
「そこまでリアルでどうする!?」
千歳のツッコミが響く中、ピコリーナ・カンパニーの帳簿には、新たな一行が刻まれていた。
──起業補助金(神託付)380万円、着金確認済み。用途:給与3ヶ月分(見込み)