ピコリーナ・カンパニーには、一人の青年が働いている。
その名は──エリオス=ライトロード。
かつて異世界を震撼させた、伝説の勇者である。
──今はクレーム処理係だが。
「はい、お客様のお怒りはもっともでございます……ですが便座が逆に取り付けられていた件については、施工担当が“こっちの方が運気が上がる”って言ってまして……はい、申し訳ございませんでしたァァァ!!」
今日も彼は、聖剣を背に、民の怒りと戦っていた。
かつては魔王を斬った神剣。
今は、便座の向きに謝罪するための“背負い物”である。
「……これも困ってる民を救うため! ……ってことにしとかなきゃ、やってられないよな……」
そうでも思わなきゃ、前髪が持たない。というか最近すでに怪しい。
というか、なんで勇者の俺が便座の角度で謝ってるんだ!? てかうちの会社、便座の施工とかやってたか?
エリオスは頭を抱えながら、あの運命の日を思い出す。
◆ ◆ ◆
かつての異世界。
仲間三人とともに、魔王と対峙した。
雷鳴、火柱、空間の裂け目。
──突如現れた謎の時空の渦。
「って、展開急すぎだろ!」
とか思う暇もなく、勇者と魔王はワープされ、気づいたらこの世界にいた。
「で、なんでその後ホームレスになってんだよ!」
一度プリン泥棒として逮捕され、ようやく再会した魔王は、トイレ掃除をしていた。
「おう、余だ。今は清掃員として暮らしておる。オムライスも作れる」
──もう何もわからない。
だが奴は悪事もせず、むしろ会社では「清掃部門のエース」として暮らしている。
何故かって?
この世界には魔王を超える破壊神──佳苗(OL)が存在しているからだ。
「あの女だけはマジでダメだ……威圧感がレベルカンストしてる……」
一方、自分はというと。
勇者という肩書きはただの過去。
今や名もなき会社員。クレーム処理という、異世界には存在しなかった魔物と日々戦っている。
「俺は、魔王を倒すために生まれてきた!」
「……とか言っといて、今じゃ奴と同じ会社なんだけどな!! しかもいなくなったらトイレが回らないってどういうことだよ!!」
◆ ◆ ◆
そんなある夜。
仕事終わりのエリオスは、ぽつりと呟いた。
「たまには飲みに行くか……。おい魔王、どうせ暇だろ? 一杯付き合えよ」
「すまん。余は今夜、エルファとクロエと“最新型オムライス”の開発に挑む。余の味覚センサーが試されておるのだ」
「……あんた、楽しそうだな」
仕方なく、エリオスはひとりで向かった。
ピコリーナホテル・ステラ──通称“神殿”のバーへ。
今日もまた、聖剣を背負ってひとり酒。
ツラいのは酒より、明日も便座の向きで怒られることだ。
「……いらっしゃいませ」
受付巫女のレミットが、バーテンダーを兼任していた。
「リィナ様は?」
「……いま……オムライスの海に……沈まれました……」
「そっちはそっちで大変そうだな……」
グラスを傾けたそのとき、不意に横から声がかかった。
「おひとりで? でしたら、ご一緒しても?」
振り返ると、そこには──謎の着物美女。
どこか浮世離れした美しさと、月の光を思わせる瞳。
「ど、どなたですか?」
「かぐやと申します。月より修行にまいりました」
「設定重すぎだろ!?」
なんでもピコリーナで受付研修中とのこと。
この会社、職業訓練の幅が広すぎる。
「勇者様は……今も誰かのために働いておられるのですね。とても……尊いです」
「……え。ええと、ありがとう……?」
この世界で、そんな風に言ってくれる人がいるなんて。
正直、ちょっと泣きそうだった。
だがその瞬間──
◆ ◆ ◆
──ドゴォン!!!
隣の部屋から爆音。
空飛ぶオムライスが花火のように舞い、クロエとエルファの怒号が飛び交う。
「タバスコ入れすぎですわクロエさん!」
「そっちが“地獄のソース”とか混ぜたのが原因でしょ!?」
「リィナ様がバズーカを構えておられます!」
「ぎゃあああああああ!!」
爆発の余波で、かぐやがバランスを崩してエリオスに倒れ込む。
──距離が、近い。
「……殿方の、胸とは……こんなにも硬くて、温かいのですのね……」
「……う、うん。筋トレだけは続けてるから……」
「また……お話、してもよろしいですか?」
「も、もちろん……!」
エリオスの胸に、ほんのり灯った、小さな癒やし。
この世界でも、ちょっとだけ“救われる”瞬間はあるらしい。
◆ ◆ ◆
翌日。
予想通り便座カバーのクレーム処理をしていたが、エリオスの心はほんのり浮ついていた。
「また……会いたいな、かぐやさん」
だがそのころ、バー“神殿”では──
「わたくし、恋をしました」
かぐやがリィナに恋の相談をした。
成就したい。結婚したい。子供を産みたい。幸せな家庭を築きたい。
「……勇者様って、本当に……こう、すてきな筋肉ですわ……女性でも、惚れてしまいそう……ふふ……」
「ん? 女性“でも”?」
「い、いえ。なんでもありませんのよ」
「まぁ我に任せよ! 主の恋、成就させてやろう!」
なぜか、神であるリィナが恋愛相談に乗ることになった。
──そして社長室。
「で、なんで私のところに来るのよ」
「我は神じゃ。恋愛経験はゼロじゃが、神力はある。……多分、恋もバズーカでなんとかなると思ってな」
「それは神じゃなくて、ただの暴力」
ジト目の千歳。
「だって我は神じゃ。恋愛などしたことない。千歳の方が経験豊富じゃろ?」
「うーん……私の場合、結構告白されるんだけど、その日の夜には別れてたのよね。だっていちいちあーだこーだ……」
相談した相手が悪かった。
◆ ◆ ◆
リィナが次に向かったのは、ホテル・ステラに住み込み状態で小説を書いている──どう見ても避けたくなる風貌の倫太郎。
「倫太郎よ。我の力では及ばぬ。月姫の恋を成就できるのは主しかおらぬ」
「ついに俺の出番が来たか……! 任せておけ!」
一時間後。
倫太郎は分厚い冊子を完成させた。
──タイトルは。
『恋する月姫 ~異世界転生してきた俺の推しが勇者だった件~』
「ふむ、これはまさに聖書!」
リィナはそれを持ち帰り、神殿バーでかぐやに手渡す。
「待たせたな。これが聖書じゃ。しっかり読み込むがよい」
「ありがとうございます」
◆ ◆ ◆
そして──かぐやは、静かにその聖書を閉じた。
「リィナ様。残念ですが……わたくしには無理なようです」
「何故じゃ?」
「……わたくし、男の娘なんです」
──時が、止まる。
「つまり……?」
「今、わかりました。わたくしの恋愛対象は女性だったのですね」
「……お、おう。我は最初からわかっておったぞ(震え声)」
「今一度、自分を見つめなおしてまいります。ありがとうございました」
一礼して、かぐやは月へ帰っていった。
◆ ◆ ◆
その夜。
勇者は一人、バーで泣いた。
「また、どこかで……いや、月は……ちょっと、勇者でも届かない場所だな……」
一方そのころ、社長室。
「これ、恋愛小説じゃなくて、完全に官能小説じゃない……」
千歳が本を手に、うわーって顔でつぶやいていた。
「この本、どうしたらいいのよ……」
こうして今日も、平和に終わったのであった