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第50話 リィナ、歯医者に敗北する

「ねぇ、リィナ。ずっと気になってたんだけどさ」


午後三時。オフィス街のカフェからはコーヒーの香りが漂い、いつもの喧騒を一瞬忘れさせる時間帯。


そんな中、札幌駅前の廃ビル――ピコリーナ・カンパニー本社――の社長室の絨毯には、不思議と紅茶の甘い香りが満ちていた。」


「戸籍ってどうなってるの? 異世界組のさ。リィナとか、キリとか、ヨモツとか……」


問うたのは、会社の社長・千歳。スーツの裾に埃がついているのは、もう日常茶飯事だ。


千歳はため息をつきながらカップを置く。


「ん? あぁ、それか」


社長室と呼ぶにはあまりにもボロい空間で、異様に優雅なティーセットを構えていたのは、当社自称神──リィナ。


ティーポットから金色の紅茶を注ぎつつ、骨董級のティーカップを持ち上げる。


「異世界組は神のおかげで、住民登録も手続きも自動的になっておる」


「神便利すぎない?」


「ちなみに社会保険、厚生年金、住民票、印鑑登録、ついでに図書館カードも揃っておるぞ」


「図書館カード……? それって地味に一番すごくない?」


千歳が眉をひそめると、リィナはくすりと微笑んだ。


「まぁ、どうやってかは……神のみぞ知る、ということにしておこう」


「ずるい」


千歳が紅茶をひと口。リィナの髪が少し乱れているのは、たぶん寝ぐせ。というか、今日ずっと寝てた。


「で、リィナ。税金、納めてるの?」


「ん? あぁ、それか」 


リィナは優雅にティーカップを傾け、少し鼻を鳴らした。


「我は神ぞ? 税など、祀られる側が納める道理があるまい」


「即答だね!?」


千歳は呆れ顔で腕を組む。


「納税してないなら、神っていうより不法滞在の外国人だよ……?」


声に出してしまった自分に、千歳も少し戸惑う。


リィナは眉をひそめ、普段の威厳がどこか揺らいだ。


「ち、違う! それは語弊がある!」


「病気になったらどうするの? 三割負担じゃなかったら破産するってば」


「む……」


リィナが目をそらした。


千歳の察しが発動する。


「……痛いんだ?」


「歯が、な。ずきずき、ずーん、と来るのじゃ……」


「歯ぁ、あるの?」


千歳が半笑いで聞くと、リィナはちょっと誇らしげに八重歯を見せた。


「一部の信者には好評なのじゃ」


「その信者、今どこにいるの……?」戸惑いながら訊く千歳。


「今は……バミューダ三角に封印されておる」


リィナは謎めいた口調で言ったが、その表情はどこか寂しげだった。


「いやどこだよ」


「というわけで、千歳よ。歯医者を呼ぶのじゃ」


「そんな召喚するみたいなノリで言われても……」


と、言いつつ。千歳はちゃっかり異世界求人ポータルにアクセスする。



【異世界求人ポータル・新着】

募集職種:歯科医師(急募)

勤務地:札幌・ピコリーナビル

報酬:埴輪20体(月額)+魔除け札(希望者)

福利厚生:女神の加護あり(痛みが3割減)

勤務時間:歯が治るまで

備考:ピコリーナホテル・ステラで滞在



応募者:ゼロ。


「……先端医療って異世界じゃ無理なんだな」


「千歳よ。我、しばらく真面目に働くから、歯医者代を貸してくれんかの?」


「神からたかられる社長って、どんな職種なんだろうね……」


そして数日後。二人は近所の歯科医院の前に立っていた。


「ここ、口コミ★4.6だったから。信頼できるよ」


「人の星の数で神の歯を診られると思うなよ?」


「じゃあ帰って?」


「行く! 行くから!」


待合室に入った瞬間、リィナは雑誌棚に興味津々。


「……おぉ、『歯科経営最前線』とな? ふむふむ……保険点数制度とはの……」


「え、それ読むの? 神、経営に興味あんの?」


「社内に歯科を置く構想もあるゆえな。保険証さえあれば……」


「保険証、やっぱないの?」


「ない。祈ればもらえると思っていた」


受付の女性が優しく声をかけてくる。


「初診ですね? 保険証かマイナンバーはございますか?」


「神なので、ない」


「では十割負担になりますが……」


「なにゆえこの国は神を課金制で扱うのじゃ」


「医療はそういうものです」


バシッ。


千歳の手刀が神の後頭部に決まった。


「保険証作ってから来なさい!」


「ぐはっ……」


受付で渡された問診票を手に取り、リィナはさらさらと書き込む。



問診票

氏名:リィナ=フェルナル

性別:女

生年月日:西暦−1975年(神暦表記)

住所:北海道札幌市ピコリーナ・カンパニー

妊娠経験:なし

既往歴:首から下が一度消滅(再生済)

服用中の薬:神気強化ハーブティー

アレルギー:現代常識



受付嬢は静かにペンを置いた。


「……お大事にどうぞ」


診察室に入ると、若い歯科医が笑顔で迎える。


「では、お口を開けてください」


「あーん……」


「……光ってる!? 奥歯が、発光して……しかも動いてる!?」


「太古に封印した魔王の怨念がまだ残っておるのじゃろうな」


「それ、うちじゃ無理です!」


「千歳よ、なんとかせい!」


「だから、保険証作ってきなってば!」


次はレントゲン室。


「はい、この機械で映しまーす……」


バチバチッ!!


「映らない!? こんなの初めて……!」


「きっと魔力干渉じゃな。ならば……祈りでなんとか──」


「だめです! レントゲンは祈っても動かないんです!」


「仕方ないのう、そなたに神の力を少し授ける。これでなんとかせぃ」


リィナは神の力を発動する。


「おぉ、これは! 身体が整ってくる!」


「そうじゃろう? この力はサウナに1分入った時と同じ効果が得られるのじゃ!」


意味ないじゃん。とは、言わなかった。



そこからが、戦いだった。


光る奥歯。微妙に喋る詰め物。時折発動する神気バリア。それらすべてを乗り越え、歯科医の額には汗が滲む。


「……ふぅ、終わりました」


「我が歯、平穏なり……感謝いたす」


「お会計お願いしまーす」


受付に戻ったリィナに、容赦ない宣告が下される。


「十割負担で……22,800円です」


「なぬぅっ!?」


「千歳よ……」


「はいはい。あとで返してね。1年ローンで」


帰り道。リィナはどこか晴れやかだった。


「いやはや……歯とは、世界を変える存在じゃの」


リィナはぽつりと呟きながら、自分の鏡に映る笑顔をじっと見つめていた。


「普通の人間も、そう思ってるよ」


千歳は苦笑いしながらも、その微妙な変化を見逃さなかった。


「次は……保険証を手に入れるべきか」


「いよいよ人間っぽくなってきたね」


「千歳よ。我、年金の免除制度についても相談したいのじゃが……」


「……まずは役所行って来いよ!!」


千歳の鋭いツッコミにリィナはしゅんと肩を落としたが、どこか嬉しそうに微笑んでいた。


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