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最終話-並び立つ(ノンナ視点)

 ノンナが魔術大学に入学してから、マクシムと顔を合わせるのは公爵邸の中だけになった。

 マクシムは意図的に距離を取っていた。

 自分に執着する令嬢たちの嫉妬が、「寄生虫」というノンナへの中傷を強める恐れがあったからだ。


 同時に、サンディからの忠告もあり、どんな女性にも敬意を持って接しつつ、毅然とした態度を貫いた。


 あからさまな誘い。

 さりげない相談。

 艶めかしい誘惑。

 父親と組んで仕掛けるパワー・ゲーム。


 マクシムの周囲には、常に極彩色の誘惑が満ちていた。


 しかし、マクシムは頑な……と女性たちから不評を買う行動を繰り返した。

 マクシムはノンナに「不評は別にどうでもいい」と言って笑う。

 サンディがドナルドから繰り返し打ち明けられる「優柔不断の呪いへの後悔」は、マクシムにとっても重い教訓となった。


 ノンナは多くの問題を自らの力で解決してきた。

 サンディの助力も得たが、効率よく、最低限に留めた。

 困難に立ち向かいながら、着実に、そして確かに成長していた。


 独り立ちしつつあるノンナと見守るマクシムの絆は深まっていく。

 公爵邸では、定期的に私的な時間を共に過ごしていた。マクシムと交わす静かな会話は、忙しない日々の中で、互いの心をほぐすひとときとなっていた。


 ***


 ノンナの成長を象徴する出来事のひとつが、護衛騎士・キースランド伯爵令嬢との騒動だった。


 令嬢は、有能な女騎士だった。そして、表向きは忠実な従者を装っていた。

 一方で、裏ではノンナを貶める噂を流し、自らの怠慢をノンナのせいにしようとしていた。


「こちらが、キースランド伯爵令嬢に関する最終報告書です。すべて、片がつきました」


 ふたりは公爵家のサンルームにいた。透明な天井から、春の陽光が穏やかに降り注いでいた。

 ノンナは落ち着いた表情で書類を差し出す。その瞳に、かつての怯えは微塵もなかった。


「護衛任務を怠っていた時間、私は魔術騎士たちと行動していました。証言の矛盾を突くだけで、彼女は自然と信頼を失いました」


 ノンナは、護衛に気づかれぬよう派遣された魔術騎士たちと連携し、女騎士の卑劣な振る舞いの証拠を積み上げていた。


「あなたがここまで状況をまとめるとは……正直、驚いたよ」


 マクシムが目を細め、感心したように微笑んだ。


「矛盾を指摘しただけです。あの方の虚飾が、勝手に崩れていっただけ」

「自業自得、か。あなたはもう、守られるだけの存在ではない。部下を見極め、指揮する立場に変わったんだな」


 ノンナは静かにうなずいた。


「これからも、有能な方々には力を貸していただきたいです。でも、毒虫には気をつけます。護衛の選定にも、私を関わらせてください」

「もちろん。ノンナの判断を、私は信じている」


 マクシムのその言葉に、ノンナの新緑色の瞳が、柔らかな光を帯びて輝いた。


 そのまま窓辺に視線を移し、花盛りの庭園を見つめながら、ぽつりとつぶやく。


「マクシム様に恋をすると、女性は愚かになるようですね」


 元護衛の動機は、単純だった。

 ノンナを失脚させ、自分がマクシムに選ばれる未来を夢見ていた。


 マクシムは肩をすくめ、小さく苦笑した。


「たしかに、そういうこともある。でも、ノンナは……例外だ」


 その言葉に、ノンナはそっと視線をそらし、頬を染めた。


「私だって、愚かなのかもしれませんよ。自分で気づいていないだけで」

「気づいたら、ちゃんと教えるよ。でも……君の愚かさなら、それすら愛おしいだろう」


 マクシムの声は穏やかだったが、静かな熱を含んでいた。

 ノンナははにかみ、そっと目を伏せた。


 窓の外に若葉の緑と白薔薇の蕾に縁取られた小道が見えた。そよ風が吹き抜ける。

 ノンナは飲み物を一口飲み、カップを置いた。そして、静かに話しはじめる。


「建国神話関係の過去視遠征の件、日取りをこれから決めます」


 ノンナは背筋を伸ばし、マクシムをまっすぐに見つめた。


「そのようだね。魔術騎士団長の決裁も出たようだ」


 言葉を切ったあと、ノンナはしばらく逡巡したあと口を開く。


「……そのときは、一緒に来ていただけますか?」


 瞳には確かな決意が宿っていた。


「ここまで私は、自分の力で登ってきました。でも……この大仕事には、どうしてもマクシム様に立ち会っていただきたい」


 マクシムはふとノンナの目をかすめた臆病な揺らぎを見てふっと笑う。

 そして、手を差し伸べた。


「もちろん。喜んで協力するよ。ここまで上ってきたあなたと並んで、大仕事ができることを誇りに思う」


 その手には、迷いがなかった。

 ノンナはうなずき、そっとマクシムの手に自分の手を重ねた。


「王国で最も賢く、優しい方に……手を取っていただけるなんて。まだ夢のようです」


 マクシムは首を振った。


「むしろ、私は君を溺愛し、守るにふさわしい人間になるために努力してきた」


 ノンナは照れくさそうに笑ったが、その瞳はまっすぐマクシムを捉えていた。


「それに……もう限界だ。君と距離を取って、理性的な人間を装っていることに、もう耐えられない」


 ノンナは息を呑んだ。


「え……? マクシム様らしくないです」

「実は……ノンナの前では、私も愚かで、そして……ふしだらな男だよ。けれど、それは誇ってもいい愚かさだと思っている」


 ノンナは胸の高鳴りを抑えきれなかった。

 マクシムは微笑みながら立ち上がり、ノンナをそっと抱き寄せた。


「護衛なんかに任せておけない。あなたのことは、私が守る」


  ***


 それから1週間後、ふたりは家族だけの小さな結婚式を挙げた。


 ノンナ=ユードーラ・ソフォスアクシ。


 ノンナは新たな名を得た。


 公爵家の正式な結婚式は、準備に1年以上かかる。


「博士号を取る前に、我が家の家名を名乗ってくれるとは、僥倖に恵まれた。博士号のお披露目のとき、改めて正式な式を挙げよう」


 ソフォスアクシ公爵ノンナの義父は、ちゃっかりとした顔でそう言った。


 戸惑うノンナが「まだ博士号を取れたわけでは……」と呟くと、マクシムが悪戯っぽく挑戦的に微笑んだ。


「弱音を吐くなんて、ノンナらしくない」


 ***


 建国神話の地。切り立つ崖の前に、ノンナとふたりの魔術騎士が立っていた。


 ノンナは風を感じながら、そっとサンディの手を握る。

 サンディが念話で合図し、マクシムが映写補助の魔導具を最終調整する。


「いまから私たちは、神話を過去視で解き明かします。マクシム、精霊眼の制御の解除をお願いします」


 マクシムがイヤーカフの魔導具を操作する。


 風が一気に吹き抜けた。


 その瞬間、ノンナの新緑色の瞳が、冴え渡る光を放った。


 彼女は心の中で、静かに決意を新たにする。


 ――私の人生は、私の力で切り拓く。そして……もう、誰にも奪わせない。


 空間に、幕のような光が広がっていく。

 遥かな神話の物語が、ゆっくりと再現されていった。


 遥かな神話が、時のとばりを超えて、光とともに蘇る。

 それは、新たな始まりを、ノンナが自らの手で明らかにする瞬間だった。


【終わり】



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