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偽物と呼ばれた聖女、真の力で全てを覆す
偽物と呼ばれた聖女、真の力で全てを覆す
ゆる
異世界恋愛ロマファン
2025年06月03日
公開日
2.3万字
連載中
偽りの聖女として追放された私が、本物の力で王国を救うことになるなんて――。 王太子の婚約者であり、聖女として人々を癒していたメリッサ。 だが突如現れた“新しい聖女”カタリナによって、「偽物」の汚名を着せられ、婚約破棄の上で王都から追放されてしまう。 最愛の婚約者エドモンドにまで見捨てられ、すべてを失ったメリッサは、遠く離れた辺境の村で新たな人生を歩み始める。 けれど――それが彼女にとって、本当の「始まり」だった。 辺境で癒しの力を発揮し、人々に慕われる中で出会ったのは、元騎士の青年アーサー。 優しさと不器用な誠実さに触れ、少しずつ心を通わせていく二人。 そんなある日、王都を疫病と災厄が襲う。偽りの聖女は何もできず、民は混乱に陥る中―― 「助けを求めるのなら、私のもとへ頭を下げていらっしゃいな」 追放された“本物の聖女”が、すべてを覆す時が来た! 裏切った王太子と偽聖女には、痛烈な“ざまぁ”を。 そして、誠実な愛をくれた彼には、永遠の幸せを――。 ざまぁ×癒し×溺愛の異世界聖女逆転ファンタジー、ここに開幕!

第1話 :追放された聖女

 朝焼けが差し込む王宮の回廊を、メリッサ・レインウッドはゆっくりと歩いていた。かつて、この場所は彼女が誇りと喜びをもって訪れる場所だった。幼少期から聖女として才能を見出されたメリッサは、王国の守護と繁栄のために神殿で祈りと癒しの力を捧げてきたのだ。金色の輝きを帯びる髪は腰のあたりまで長く伸び、青い瞳には慈しみの光が宿っている。その姿は、まさに“聖女”と呼ぶにふさわしい気品と優しさをたたえていた。


 しかし、今のメリッサには、かつてのような生気と自信が感じられない。顔色は青白く、唇は震え、細い指先はぎこちなく袖口を握りしめていた。ここ数日、彼女のもとには不穏な噂が絶えなかった。王太子エドモンドが「新たな聖女」を見出したという。その聖女の名は、カタリナ・モーリス。突如として宮廷に姿を現し、驚くべき奇跡を起こす力を見せているというのだ。


 メリッサが王宮に足を運んだ理由は、一つしかない。自らの潔白を証明し、今まで通り王国のために力を尽くすためである。だが、内心では、その目論見は無残に崩れ去るだろうという予感もあった。なぜなら、彼女にはすでに感じ取れるものがあったのだ。王太子エドモンドが、メリッサではなくカタリナを選び始めている――そんな不安が、胸の奥を鋭く刺してやまない。


 大きく息を吐きながら、メリッサは広間へと続く扉の前で足を止めた。その扉は重厚な装飾が施され、王家の紋章が金糸で縫い取られている。かつては、この扉の向こうにエドモンドの優しい笑顔があり、彼の側近や神殿の高位聖職者たちが並んでいた。そしてメリッサが姿を現せば、皆があたたかく迎えてくれたものだ。だが、今日は違う。彼女の胸には、何か大切なものがはらりと崩れ落ちそうな、不安と恐れが入り混じっていた。


 意を決して扉を開けると、そこには華やかな装束を身にまとった貴族たちがずらりと並んでいる。その視線は一斉にメリッサへと注がれたが、かつてのように敬意や憧れをはらんだものではない。疑念や冷たい侮蔑のまなざし、あるいはあからさまな好奇心。そんな様々な感情が混じった視線が、彼女を突き刺す。


 奥の玉座には、王太子エドモンド・アシュフォードが座していた。青銀色の髪を後ろで束ね、端正な顔立ちを持つ彼は、まだ二十代の若さながらも貴族社会で大きな影響力を持つ存在だ。日頃から厳格で、公平な判断を下すことで知られていたが、その表情は今、どこか険しい。メリッサと目が合うと、わずかに唇を引き結んだ。そして、彼の隣には、噂の“新たな聖女”カタリナ・モーリスが立っている。


 カタリナは銀髪をゆるやかに巻き上げ、その瞳は深い紫の光を宿していた。まるで宝石をはめ込んだように美しく、加えて白い肌には化粧の一つ一つが映える。まるで女神が降臨したかのような優雅さと艶やかさ――それが、今までの聖女であるメリッサとはまったく別の魅力として、人々の心を奪うのも無理はないだろう。


「これは、メリッサ・レインウッド殿。よく来てくださいましたわね」

 カタリナは品のいい笑みを浮かべながら、あたかも主人が客人を迎えるように言葉を投げかけた。その瞬間、メリッサの胸には嫌な予感が駆け巡る。まるで自分が余所者のように扱われている――ここは本来、王太子の婚約者であり、聖女として国中に認められているはずのメリッサが堂々と歩む場所のはずなのに。


「……カタリナ様。突然、私にお呼びがかかったと聞きましたが、いかがなさいましたか?」

 メリッサはなるべく丁寧に、冷静に振る舞おうとする。だが、その声はわずかに震えていた。


「ええ。重要なお話がありますの。どうぞ、おかけになって」

 カタリナは王太子の隣に立ち、あくまで自分が主導権を握るかのように、すらりと手を動かしてメリッサに腰掛けを促す。広間には長テーブルが据えられており、そこに貴族や神殿の高位聖職者らが着席している。しかし、メリッサの座る席は端のほう、一段低い位置に置かれた椅子だけだった。以前なら、王太子の隣に座るのが当然だったのに――その事実が、否応なくメリッサの不安を煽る。


 テーブルの中央に広げられている文書類を、カタリナはすっと指し示した。それは教会の印が押された羊皮紙で、そこには“聖女の正当性を証明するための審問”に関する条文が並んでいるようだ。メリッサはごくりと唾を飲み込む。まさか、こんな形で自分が審問される立場になるとは思ってもみなかった。


「こちらの書類にあるとおり、新たな聖女として認められた私――カタリナ・モーリスと、既存の聖女メリッサ・レインウッド様の力を比較・検証する必要があるそうですわ。王太子殿下も仰るとおり、王国の安寧を守る聖女の役目は重大ですもの。私も、正当な手続きを踏むのは大切だと考えております」

 カタリナの言葉は一見、理性的で筋が通っているように思えた。しかしメリッサは、その奥に隠された冷ややかな敵意を感じ取る。ここにいる誰もが、その審問の行方を既に悟っているのではないか。つまり、メリッサが“偽物”と断じられ、“真の聖女”の座をカタリナが奪う――それが、この場に集った貴族たちの望む展開なのだろう。


 メリッサは震える声を必死に抑えながら、言葉を返す。

「私には、自分が偽りの聖女などと思ったことは一度もありません。神殿に仕えてきた年月も、数え切れないほどの人々を癒してきた実績もあります。審問を受けるのは構いませんが、皆さまには公平に判断していただきたいと願っています」


 しかし、その言葉を受けて、テーブルの向こう側に陣取る神殿関係者――大司教のアルセウスが、嫌味な笑みを浮かべて口を開いた。

「確かに、メリッサ殿は長年にわたり我が王国を導いてきた聖女であり、功績は認めます。だが、最近ではその力が衰えているという報告がいくつも届いているのも事実です。王太子殿下やカタリナ殿がご覧になった奇跡と照らし合わせれば、一度じっくり検証を行う必要がある。これは国のため、そして神のための大切な手続きなのですよ」


 広間に集った人々から同意の声があがる。“衰え”“偽り”“新たな聖女”――そういった言葉がメリッサの耳に突き刺さり、視界がだんだんと暗くなるような錯覚を覚えた。彼女は頭を下げ、かろうじて絞り出すように答える。

「……わかりました。審問を受けることに異存はありません。いつ、どのような形で行うのでしょうか」


 すると、カタリナがなぜかうっとりとした笑みを浮かべて続けた。

「まずは、王太子殿下がお召しになった場で、私とメリッサ様がそれぞれ“奇跡”を披露することになっておりますの。もちろん、公平な判断を行えるよう、神殿の方々や貴族の皆さまも立ち会ってくださる。メリッサ様ならきっと、いえ、本物の聖女であれば、私以上の素晴らしい奇跡をお見せいただけるでしょうね」


 まるで挑発するかのような口ぶりに、メリッサは唇を噛んだ。王太子エドモンドの横顔は硬く、メリッサと目を合わせることはなかった。彼は何を考えているのだろう。かつては互いの未来を語り合い、平和な王国を築こうと誓い合ったはずだった。その誓いはどこへ消えたのか。今この場で、彼がカタリナの言葉を否定してくれれば、どれほど救われるだろう。そう願わずにはいられない。


 しかし、エドモンドの瞳は冷たい。まるで、そこにいるのはかつての優しい恋人ではなく、王国を守るためには何でも犠牲にする冷徹な支配者の卵だった。メリッサは、その変貌に苦しむ自分を知りながらも、どうすることもできない無力さに苛立ちを覚える。


審問の日


 数日後、王宮の中庭に大勢の貴族や神殿の関係者が集い、メリッサとカタリナの“奇跡の競演”が行われる運びとなった。なぜ競演などという言葉が使われるのか――それは単なる見世物であり、カタリナを本物の聖女として祭り上げるための場にほかならない。メリッサには、そのことが痛いほどわかっていた。


 とはいえ、彼女も黙っているわけにはいかない。長年磨き上げてきた治癒の魔法は、自分の誇りであり、王国を救うための力だ。もしそれを偽物呼ばわりされるのならば、その場で証明するしかない。だが、奇妙なことに、彼女の力はこのところ調子を狂わされている感覚があった。まるで誰かが意図的に干渉しているかのように、治癒魔法を行おうとすると集中が乱されるのだ。


 カタリナがどのような仕掛けをしているかはわからない。しかし、この状況下で彼女が何か企んでいることは明白だった。メリッサは胸元に小さな聖印を握りしめ、これまで救ってきた多くの人々の顔を思い浮かべて、どうか力が発揮できますようにと神に祈る。


 中庭の台座には、重い病に苦しむ老人が一人横たえられていた。神殿の聖職者が説明する。

「この方は長年、体の自由が利かなくなりつつあります。できれば歩けるようにして差し上げたいのですが……。まずはカタリナ様、お願いいたします」


 カタリナは優雅に一礼すると、老人のもとに近づき、そっと手をかざす。その瞬間、まばゆい光が彼女を中心に広がり、まるで天から神聖な力が降り注いでいるかのような演出がなされた。周囲にいた人々は一斉にどよめき、カタリナの姿に魅了される。老人が徐々に立ち上がり、よろめきながらも歩き出すと、中庭は歓声に包まれた。


「おお、素晴らしい!」「これが新たな聖女の奇跡か……!」

 興奮した声が飛び交う。見れば、カタリナは微笑みを携えながら、その紫の瞳で王太子を見上げる。エドモンドは満足そうに頷き、まるで勝利を確信したかのような表情を浮かべていた。


「メリッサ殿、続いてお願いします」

 今度はメリッサに声がかかる。彼女は大きく息を吸い込み、震える足取りで老人の元へと歩み寄った。すでにある程度、カタリナの力で回復しているため、治癒がどこまで必要なのかはわからない。しかし、ここでは何らかの“目に見える奇跡”を示さなければ、自分が認められないことは明白だった。


 彼女は老人の腕をそっと握り締め、小声で祈りの言葉を紡ぐ。幼い頃から何度も唱えてきた聖句。これまでは、その声が多くの病人を救い、苦しみを取り除いてきた。だが、その瞬間、メリッサの背後から何か冷たい圧力が伸びてきたかのような感覚を覚える。まるで闇が細い糸となって、メリッサの魔力を絡め取ろうとしているようだった。


(こんな……こんな嫌な感覚、初めて……!)

 思わず声を上げそうになるのをこらえ、メリッサは懸命に治癒魔法を放つ。しかし、普段ならあたたかな光が広がるはずが、今回ばかりはうまく力を集中できず、小さなかすかな輝きが見えただけだった。老人はすでに歩けるようになっており、見た目の変化はほとんどない。それを確認すると、周囲にいた貴族たちは失望と疑念の視線を向ける。


「どうやら、それほどでもないようだな……」「やはり噂どおり、メリッサ殿の力は衰えているのではないか?」

 ひそひそと囁かれる声が彼女の耳に飛び込み、心を深く傷つける。自分は本当に力を失いつつあるのか、それとも何か邪悪な術が働いているのか。どちらにしても、今の状況では彼女の敗北は揺るがなかった。


 カタリナは深々と嘆息してみせ、同情を装った口調で言う。

「メリッサ様、きっとお疲れなのでしょう。これまで聖女として国のために尽くしてこられたのは確かですし、私も敬意を払っていますのよ。でも、もし本当に力が衰えているのだとしたら……国を導く聖女としては、少し厳しいかもしれませんわね」


 その言葉を受け、メリッサは何も返せないまま、ただ黙り込むしかなかった。エドモンドが近づいてきて、冷たい声で一言、告げる。

「今のところ、カタリナのほうが相応しいと判断せざるを得ない。メリッサ、君には感謝しているが……ここで引いてくれないか」


(引く……? ここで引いたら、私は何者でもなくなる。私はずっと、あなたの支えになりたいと願ってきたのに――!)

 その想いは胸を締め付け、どこにも行き場を見つけられない。前を見れば、薄紫のドレスを翻したカタリナが、人々から喝采を受けている。自分に向けられていたはずの栄光が、まざまざと目の前を通り過ぎていくようだった。


婚約破棄の宣告


 この“奇跡の競演”のあと、正式な場で「聖女はカタリナ一人である」という声明が発表されるまでに、そう時間はかからなかった。さらに、王太子エドモンドはメリッサとの婚約を解消すると宣言する。かつて愛し合ったはずの二人は、多くの貴族や神殿関係者が見守る中で、“別れ”という最悪の結末を迎えたのだ。


 広間には冷たい空気が流れ、メリッサの顔色は蒼白だった。エドモンドが読み上げる文書には、はっきりと“婚約解消”の旨が記されており、その理由として「王国にとって真の聖女を隣に置くのが最善であること」「メリッサは力を失いつつあり、実質的に聖女としての責務を全うできない可能性が高いこと」が挙げられていた。


「王太子殿下……私、どうしても受け入れられません。この理由で私を退けるなんて……」

 メリッサは最後の望みをかけて言葉を紡ぐが、エドモンドは首を横に振るばかりだ。その目には情けの色はまるでない。


「メリッサ、わかってくれ。これは俺のわがままではない。国のため、民のため……そして神のために、必要な判断なんだ。君は今まで尽くしてくれたが、もはやその力は以前のようには発揮できない。君自身も、最近調子が狂っているのを自覚しているだろう?」


 確かに、メリッサにも心当たりはあった。神殿の祈りで集中を乱されることが増え、今までなら簡単に治せた病が治りにくく感じることがあった。それでも、だからといって自分を“偽りの聖女”だと断じるのは、あまりに酷な仕打ちではないだろうか。これまでどれほど多くの人々を救ってきたか、エドモンドは誰よりも理解しているはずなのに。


 周囲からは憐れむ視線と、どこか面白がっているかのような視線が注がれてくる。メリッサはこの場にいること自体が苦痛になり、逃げ出したい思いだった。しかし、逃げ出したところでこの状況が変わるわけではない。


 そこへ追い討ちをかけるように、カタリナが口を挟む。

「メリッサ様、ご自身でもお気づきでしょう? このまま無理をしていては、かえって王国にとっても悪影響を及ぼすかもしれませんわ。どうか、身を退いてくださることを願います」

 あくまで慈悲深い口調ではあるが、その瞳の奥には勝ち誇った光が宿っていた。メリッサが何か言い返そうとしたそのとき、彼女の足元に走る微かな暗い光を捉える。だが、それが何なのかははっきりとわからない。一瞬にして消えてしまったからだ。


(……今のは? やはり何か、おかしな力が動いている?)

 そう疑念を抱きながらも、メリッサには証拠のない疑いを口にする勇気はなかった。なにしろ、この場のすべてが彼女を排除する方向に動いているのだから。


追放の決定


 審問の結果、“偽りの聖女”と決めつけられたメリッサに下されたのは、“追放”という非情な処分だった。しかも、それは半ば強制的なものだった。婚約破棄だけならまだしも、王国全土で聖女としての活動を禁じられ、神殿での地位と役職も奪われたのだ。


「この命令は、国王陛下と王太子殿下の名のもとに発せられる。メリッサ・レインウッド殿には、速やかに王都を離れ、辺境の地へと移り住むことを求める。万が一、命令に背くようなことがあれば、厳重な処罰が下されるであろう」

 広間に響く執行人の声が、メリッサを絶望へと突き落とす。彼女が罪を犯したわけではない。だが、こうして追放される以上、その処遇は罪人のそれと大差がない。


 エドモンドは歯を食いしばるようにしながら、言葉少なにメリッサに背を向ける。彼がどんな思いを抱いているのか、メリッサにはもうわからなくなっていた。カタリナはすぐそばで、悲しげな表情を浮かべるふりをしている。その偽りの表情が、メリッサの胸に強い怒りと憤りを燃え上がらせる。


 しかし、それを表に出すことはできない。今、激昂しても状況は悪化するだけだ。メリッサは震える指先で自分のドレスの裾を掴み、じっと耐えた。


(どうして……どうして私がこんな目に遭わなければならないの。私はただ、王国を守りたかっただけなのに。エドモンド様だって、私と同じ夢を見ていたはずなのに……!)


 だが、現実は厳しかった。王太子に背かれ、神殿を追われ、貴族たちからも見放される。メリッサは追放の準備を進めるため、わずかに与えられた猶予期間を使って荷物をまとめることになった。神殿で身の回りを世話してくれていた侍女たちも、彼女を助けることは許されないという。すべてが、今まで築き上げてきたものが崩壊していく瞬間だった。


最後の夜


 メリッサが王都を離れる前夜、彼女は神殿の屋敷に最後に泊まることを許されていた。しかし、その部屋はもはや“聖女”という肩書にふさわしい豪華さは取り払われ、ただ寝台が一つ置かれているだけの簡素なものへと変えられていた。侍女たちの姿はない。かつては花を飾ったり、香を焚いたりと優雅な生活をしていたはずなのに、今ではまるで囚人部屋のように冷え冷えとした空間だ。


 メリッサは寝台の端に腰を下ろし、窓の外に広がる夜空を見上げた。月が静かに浮かび、星の瞬きがわずかな光を落としている。彼女はそっと手を伸ばし、星のきらめきに向かって問いかける。


「神様……私は本当に、偽りだったのでしょうか……? 私の力は、もう必要とされていないのですか……?」


 返事などあるはずもない。それでも、問いかけずにはいられなかった。ずっと信じてきた神の存在。自分を導き、人々を救うための力を与えてくれた存在。しかし、もし本当に神がいるのなら、なぜ彼女がここまで追い詰められなければならないのか。メリッサの胸に去来するのは、疑問と虚無感だった。


 王太子エドモンドとの思い出が次々と脳裏をかすめる。幼い頃、彼女の治癒魔法で風邪を治してあげた時に見せてくれた笑顔。初めて馬車で街へ出かけたとき、病人を救い感謝されるメリッサを誇らしげに見つめていた瞳。それがいまや、カタリナのほうへ向いてしまっている。


(私は、あの人の支えになりたかった。国王陛下がご高齢になり、エドモンド様が次の王となる日が来たら、一緒に新しい時代を切り開いていく。そう夢見ていたのに……)


 メリッサは声を押し殺して泣いた。だが、その涙に気づく者は誰もいない。かつて彼女を“慈愛の聖女”と讃えた人々も、今はカタリナを“真の聖女”と崇め始めている。裏切りと失意に苛まれながら、メリッサは眠れぬ夜を過ごすこととなった。


王都を去る朝


 追放処分の当日、メリッサは夜明けとともに神殿の屋敷を出るように指示されていた。侍女はおろか、友人たちですら姿を見せず、彼女一人の寂しい旅立ちとなる。護衛すらつかないことに、彼女は危険を感じていたが、貴族や神殿の命令に背くわけにはいかない。かろうじて馬車だけが用意され、その御者も王都から少し先までしか同行しないという。


 荷物は最小限の衣服と、これまで大切にしてきた聖印、そして少しの旅費だけ。王都郊外の辺境の村まで行くには、相応の時間がかかるだろう。途中で盗賊に襲われてもおかしくない。だが、そうした危険を口にしても聞き入れられるはずもなかった。


 王宮の正門は、いつもなら賑やかな衛兵たちの声や、貴族の行列で混雑している。しかし、メリッサが通りかかったときには、妙な静けさに包まれていた。まるで彼女が出て行くのを待ち構えていたかのように、衛兵たちは道をあける。


 誰からも声を掛けられない。見送りの人はいない。かつて聖女として慕われた存在とは思えぬほど、冷たい仕打ち――しかし、その光景が、今のメリッサの立場を端的に物語っていた。


 最後に、ちらりと王城を振り返ると、中庭のバルコニーに立つ人影が見えた。見覚えのある姿――エドモンド王太子だ。彼は遠くからメリッサを見下ろしている。声を掛けるでもなく、手を振るでもなく、ただ無表情な横顔を彼女に向けているだけだ。その隣には、カタリナと思しき女性の姿も見えるようだった。二人の姿を見て、メリッサは深い喪失感に襲われる。それでも、涙は出ない。もう枯れてしまったのだろうか。


(これでいい……これでいいのよ。私はもう、あなたたちとは違う道を行く。ただそれだけ……)


 そう自分に言い聞かせるように馬車へ乗り込むと、御者が無言のまま手綱を叩き、車輪が軋みをあげて動き出す。メリッサは硬い座席に腰を落ち着け、かすかな揺れに身を任せながら、じっと目を閉じた。出口の門を抜けると、もう戻れない。王都での生活は、すべて失われたのだ。これから先、自分は何者でもないただの放逐者――偽りの聖女として生きていくのだろうか。


 揺れる馬車の中、メリッサの脳裏には多くの思い出が去来する。弱き人々を救ってきた喜び、エドモンドとの幸せな時間、神殿の仲間たちとの絆。けれども、それらがいまやすべて幻想だったかのように、彼女の手からこぼれ落ちてしまった。まるで乾いた砂のように、何ひとつ掴み取ることができない。喪失感と絶望感が、メリッサを内側から苛む。


辺境への道


 王都を後にしてしばらくすると、道は次第に荒れ果て、森の生い茂る険しい道へと変わっていった。やがて街道沿いの村をいくつか通り過ぎる頃には、王都の噂など届かないような寂れた景色ばかりが広がっていた。馬車の御者は言葉少なで、メリッサに対してはそっけない態度を取り続けている。追放者に親しくするなとでも言われているのだろうか。


 それでもメリッサは、ひたすら馬車の揺れに耐えながら、今後のことを考えようと努力していた。目指す辺境の村で自分は何をするのか。もう“聖女”ではないから、神殿の仕事はできない。癒しの力だって、これまでどおり発揮できるかわからない。それでも、生きていくために何らかの手段を見つけなければならない。


(私にはまだ、癒しの魔法がある。たとえ力が弱まっているとしても、何もできないわけじゃないはず。辺境の地には病で苦しむ人も多いだろうし、私にできることがあるかもしれない……)


 自分自身を励ますようにそう考える。だが同時に、心のどこかで「どうせ何もできないだろう」という諦念がささやく。この数日間の出来事が、メリッサの心を大きく傷つけ、自信を根こそぎ奪い去ってしまっていたのだ。


終わりなき悲しみと、微かな希望


 馬車はやがて、御者の言葉どおり町外れの休憩所で止まった。そこから先は、メリッサが自分の足で歩いて行かなければならない。最低限の食糧と水だけを手に、メリッサは初めての荒野を一人で進むことになった。


 王都のきらびやかな街並みからは想像もつかないほど、道なき道が続き、たまに通りかかる旅人も少ない。夜になれば魔物が出る危険もあるだろう。メリッサは不安に駆られながらも、それでも足を止めるわけにはいかない。ここで立ち尽くしていても、誰も助けに来てはくれないのだ。


 時折、木陰に腰を下ろし、少しばかりの食料をかじりながら、メリッサは過去を振り返ってしまう。自分がしてきたことは、いったい何だったのか。人々を救い、王国を守るために力を注いできたのは、すべて無駄だったのか。その問いに答えはない。けれど、どこかの村で、自分を待ってくれている人がいるかもしれない。もしそうなら、もう一度だけ自分の力を試してみたい。そんな小さな希望を胸に抱いて、彼女は歩みを進める。


 こうして、メリッサ・レインウッドの王都での人生は終わりを告げ、辺境の地での新しい日々が始まろうとしていた。愛する婚約者に裏切られ、“偽りの聖女”と罵られ、すべてを失った彼女。しかし、その先にはまだ、思いもよらない運命が待ち受けている。いずれ彼女が身に宿す“真の力”が花開き、やがて新たな愛と信頼を手にすることになろうとは、このときのメリッサには知る由もなかった。





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