「は? 俺だけ男子?」
その瞬間、教室の空気が静止した。俺、山田蓮(やまだ・れん)、高校二年。明日から待ちに待った修学旅行……のはずだったんだけど、担任の中西先生から告げられたグループ分けの内容は、まさに青天の霹靂だった。
「うん。蓮くん、君はこのグループね。ツンデレの橘さん、ヤンデレの黒崎さん、オタクの三浦さん、ドジっ子の佐々木さん、ギャルの早乙女さん、天然ボケの白井さん。あとは、君だけ」
なぜ説明の時点で属性を明記しているのかは置いといて、その瞬間、教室中が「うわぁ……」って目をしていたのは忘れない。
「おいおい、マジかよ……」
正直、少し期待してたよ? 修学旅行って言ったら青春のイベントだし、ちょっとくらい女の子と一緒の班になれたらラッキーって。
でも、これは予想外すぎる。
修学旅行当日。
集合場所の新幹線ホームで、俺は早速圧を感じていた。
「おっはよ〜、レンくん!」
と金髪ギャルの早乙女ひな。
「うぅ……き、今日こそは転ばずに……!」
と涙目でスーツケースを引きずる、ドジっ子佐々木美羽。
「ふふ……逃がさないわよ、蓮くん」
と黒髪ロングで包丁のような視線の黒崎真夜。
「お、おはようございますっ、きょ、今日は京都アニメスタジオのモデル地に行くので楽しみですっ!」
と興奮気味のメガネっ娘、三浦理沙。
「別に、あんたになんかに期待してないんだからね!」
とテンプレすぎるツンデレ、橘瑠璃。
「……え? 集合時間って朝の5時じゃなかったっけ?」
と今着いたばかりの白井空。
……このメンバーで大丈夫なのか?
だが、修学旅行は始まったばかり。
俺の青春(という名のサバイバル)は幕を開けた。
最初の目的地は嵐山。竹林と渡月橋、そして着物レンタルという、いかにも修学旅行らしいコースだ。
「レンくん、こっちこっち〜! 一緒に写真撮ろーよ!」
早乙女ひなは金髪に派手めなピンクの着物。配信でもするのだろうか?
「ちょ、近い! 顔が近いって!」
「何よ、男の子でしょ? 女の子のリードに慣れなさいよ〜。はい、チーズ」
ばっちり密着ショットが撮られた。周りの観光客の視線が痛い。
一方、その様子を見ていた橘瑠璃はというと——
「……べ、別に、着物とか好きじゃないし。だ、だからって、レンと撮りたいとかじゃないし!」
顔を真っ赤にして背を向ける。
「撮らないとは言ってないんだな、それ」
ツンデレのテンプレ台詞をナチュラルにこなしてくる橘にツッコむ暇もなく、後ろからドンッ!
「きゃっ!?」
「うわっ、佐々木、大丈夫か!?」
佐々木美羽が、また石畳でつまずいた。レンタル着物の裾を踏んだらしい。
「うぅぅ、ごめんなさいぃ……あぅ……」
涙目でうずくまる美羽をフォローしつつ、ギャル、ツンデレ、ドジっ子のトリプルコンボに俺のMPはすでに赤ゲージだった。
……そんな中、ひっそりと俺の後ろに立っていた黒崎真夜。
「ふふふ……誰にも渡さない。蓮くんは、私だけのもの……」
ひぃっ。
「ま、待ってください黒崎さん!? 今は修学旅行中でして!? 公共の場で殺気はやめましょう!」
「……あ、あの、蓮くんっ。京アニのモデルになった橋、よかったら……一緒に行きませんか……?」
割って入った三浦理沙が、必死にパンフレットを抱えながら俺の手を引っ張った。
おぉ、救いの手……いや、アニメ聖地巡礼だよね? どこかで「巡礼は命懸け」って聞いたけど、それは本当だったのか……。
そして、いつの間にかはぐれていた白井空は、
「……あれ? 嵐山ってどこだっけ? ここ、奈良?」
完全に地図と戦っていた。
俺の修学旅行、まじで大丈夫か?
嵐山の竹林を抜けて、ようやく渡月橋のたもとにたどり着いた頃には、すでに俺の精神はバッキバキだった。
「やっほー! レンくん、次は人力車乗らない? 二人きりで」
ひなは満面の笑みで俺の腕に絡みついてくる。
なんというか、遠慮という文字を彼女の辞書に加えてあげたい。
「二人きりはダメっ! 先生に怒られるし!」
と、ツンデレ警察こと橘が即座に割って入ってくる。
その顔、耳まで真っ赤だぞ。
「うぅ……乗りたい……でも、人力車って高いんですよね……」
ドジっ子・佐々木美羽は、財布を握りしめてしょんぼり。
どこかで親から言われたセリフが再生されたのだろう。「ムダ遣いはだめです、美羽ちゃん」ってやつだ。
そのとき、スッと後ろから現れたのが、またしても黒崎真夜。
「……今、ちょうど一台、空いてます。運命ですね。私、すでに予約済みですから、蓮くん、乗りましょう。逃げ場はありません」
「いや逃げ場って何!? こっちはリラックスしに来たんだよ!? せめてリクライニングさせてくれ!」
「リクライニング機能は……ないですね。人力車ですから」
この子だけ、サスペンスのジャンルから来てるのでは……?
「ちょ、ちょっとちょっと! そういうイベント、私も……あの、私も蓮くんと──」
突然割り込んできたのは、アニメ好きの三浦理沙。
もじもじしながら、人力車ではなくパンフレットを差し出す。
「ここっ! この角度から見た渡月橋が、第8話の重要カットで、すごくいいんです! 再現しましょう、再現写真っ!」
再現写真!?
でもなんか、想像したら……ちょっと面白そうだな。
と、俺がその気になりかけた、そのとき——
「やっほー……みんなー……」
全員が一斉に振り返った。
そこにいたのは、白井空。
「やっと合流できた……で、でも私……さっきまで鹿と友達になってて……」
奈良に行ってたのか、この子!!!
「で、でもほら、結果オーライだよ? 鹿せんべい、いる?」
まさかの土産。
俺の手に、ほんのり湿った鹿せんべいが握らされた。
「俺の修学旅行、まじで大丈夫か?」
次の目的地、清水寺。たぶん、俺はもうそこに魂だけで行く。
渡月橋からバスに揺られ、次の目的地・清水寺へ。
バス内はというと──
「レンくん、窓側座りなよっ! ね、私、通路側行くからっ」
「いやいや、そこ私が先に確保してたでしょ! レンは中央席だよ!」
「……私は、後ろの席からずっと見てるから……」
「はわわ……ち、近すぎて顔が見えませんぅぅ……」
「レンくん、静かにして? 今ちょうど京アニの聖地リストまとめてるとこだから」
「えっ、あれ? このバス、奈良行きじゃない……よね?」
MPどころかSAN値が削れていくバス旅を経て、俺たちはついに清水寺に到着した。
「おぉーっ! めっちゃ眺めいいじゃん!」
「これが……『清水の舞台から飛び降りる』ってやつか……」
早乙女ひなはテンション高く、橘瑠璃はテンション低くコメント。
「飛び降りるとか怖いよぅ……ぴょこん、ってならないかな……」
ドジっ子・佐々木美羽は手すりに近づいただけで震えてる。こけるなよ? 絶対だぞ?
一方、黒崎真夜はというと──
「……落とせば、誰も蓮くんに近づけない……」
「だからその発想ほんとに危ないって言ってるでしょ!? 俺の命綱、あなたの理性だけなんだから頼むよ!?」
そして、理沙はひとりテンションMAXで舞台の端からスマホを掲げる。
「よし! 第10話カットと同じアングル確認っ! 蓮くん、ちょっと右に寄って! あと“あの日見た夢”って感じで遠くを見つめて!」
「無茶振りが過ぎるぞアニメオタクぅぅ……!!」
さらに、遠くから走ってくる影──
「まってー! 舞台の方ってどっちー!? なんかお坊さんに道聞いたら、説法始まっちゃって……!」
白井空、ついに僧侶とも友達になる。
「で、でも! お土産屋さんで蓮くんのために、買ってきたのっ!」
そう言って渡されたのは、なぜか「鹿角ペン立て」。
お前、また奈良寄ってきただろ……?
「はいっ! 次は音羽の滝に行くよ〜」
先生の声が響く。
例の「願いごとが叶う」ってやつだ。
恋愛、学問、長寿の三筋の滝。みんなはどれを選ぶのか……と思っていたら、
「もちろん恋愛成就でしょ〜」
ひな、即決。
「ば、ばかじゃないのっ! こ、恋愛とか、意味わかんないしっ!」
橘、顔を真っ赤にして水かぶってむせる。
「こ、こ、これ、飲んだら……蓮くんと結ばれる……?」
美羽、目がぐるぐるしてて怖い。
「……水じゃ足りない。血で契約を」
黒崎、やめろ、マジでやめろ。
「ふふふ、これは“ルートA”のフラグね……」
理沙、なにそのメタ視点。
「私……とりあえず、健康祈願にしといた……」
空、お前が一番現実的だ。
そのあと全員で記念撮影して、恋みくじを引いた結果──
全員、「恋愛:波乱含み。慎重に」だったのは笑えた。
いや、笑い事じゃない。
「レンくーん! この後は、八坂神社の方に行くんだって〜」
「……で、できれば、手、つないでくれると……嬉しい、かも……」
「べ、べつに、あんたなんかと行きたくないけど……っ」
俺は思った。
この修学旅行、絶対に命懸けだ。
でも、まあ──こういうドタバタも、青春ってやつなのかもしれない。
清水寺から移動して、ようやく今夜の宿・古風な和風旅館へ到着。
畳の匂い、浴衣、木造のきしむ廊下──THE・修学旅行ってやつだぜ。
「わぁ〜、お部屋広い! ねぇレンくん、こっちの布団隣にしようよっ」
部屋に入るなり、ギャル・早乙女ひながノリノリで布団を敷き始める。
えっ、ちょ、ここ男子部屋だよね? なんでいるの?
「なんでって……“混浴は青春の特権”ってネットに書いてあった!」
どこのネットだよ!! 通報すんぞ!!
「ちょ、ちょっとあんた! 何男子部屋に入ってんのよ! ルール違反でしょ!」
橘瑠璃が真っ赤になって突撃してきた。
いや、お前も入ってきてるじゃん。
「うぅ……入ってもいいって言われたから……あれ、もしかして先生じゃなかった……?」
ドジっ子・佐々木美羽、案の定、旅館のスタッフと間違えてるパターン。
「……ふふ。蓮くんが眠る隣で、私はずっと見ているの……」
黒崎真夜が布団の隙間から這い出してきたときは、心臓止まるかと思った。
「すぅ……すぅ……」
そして白井空、布団にくるまってすでに熟睡。
お風呂より先に寝るやつ、初めて見た。
「みんなでお風呂、入りませんか? 一応、時間で男子と女子、交代制ってことで〜」
アニメオタク・三浦理沙は浴衣の袖をまくってやる気満々。
「ちなみに、私が調べたところによると——この旅館、第13話の温泉回と同じ構造らしいんですっ!」
温泉回の気合いが異常。
何ページ分の資料作ってるんだこの子。
そして風呂上がり。
修学旅行の定番、枕投げタイム!
「いけぇぇっ! 必殺! 羽毛旋風斬っ!!」
枕を放り投げたのはもちろん俺。
男子らしくハジける時間だぜ!
「やったなああああ!! 次はダブルツインインパクト(2個投げ)だ!!」
「きゃーっ! やめてよぉ〜っ♡」
「こ、こっちまで来たらダメだからっ! 顔に当たったら弁償してもらうからっ!」
部屋の中はまさに戦場。
最後は、佐々木がつまずいて全員に突っ込んで倒れるという「ドミノEND」。
床がミシッていったけど大丈夫だろうか。
消灯時間になっても、誰も寝ようとしないのが修学旅行の鉄則。
小声の会話が、布団のあちこちから漏れる。
「ねぇ、レンくん……もし、帰ったらさ……また一緒にどこか行かない?」
ひなは囁くような声で言った。
「べ、別に……誘われたら、断らないだけだし……勘違いしないでよね……」
橘の布団の方がなんかもぞもぞしてる。ツンデレの夜は忙しい。
「こ、これが……恋ってやつなのかな……」
美羽は天井を見つめながら恋に目覚めていた。
「……私の夢に出てきて。そしたら、永遠に会えるから」
黒崎の寝言がホラーすぎる。
「“蓮ルートA”は、ここで好感度が90を超える予定なんだけど……」
理沙のノートがパラパラめくられてる。お前、寝る気ないだろ。
「すぅ……うへへ……シカさん……」
白井空は夢の中でも奈良。
こうして、修学旅行の夜は更けていった。
翌朝、俺の布団の両脇にはなぜか女子が二人。
ひなと黒崎が、完全に左右ロックしてて動けない。
「ちょっと!? それ、どういう状況なの!?」
橘の怒号で目が覚めた。
やっぱりこの修学旅行、命懸けだ……。
翌日は奈良。大仏、鹿、せんべい。まさに修学旅行のド定番。
……のはずだったのに。
「蓮く〜ん、鹿せんべい持ってて! あたし、写真撮るから♡」
そう言ってひなが俺に押し付けた鹿せんべい、これが地獄の始まりだった。
「うわっ、ちょっ、来た来た来た! めっちゃ来たって!」
四方八方から鹿の群れ。俺のポケットのせんべい目がけて突撃してくる毛玉戦士たち。
「レンくん、ナイス鹿モテ〜☆ てか、そこの子めっちゃ懐いてない? まさか、前世で鹿だったとか? ワンチャンある〜?」
「そんなわけあるかっ!」
ギャルのひなは写真を撮るのに夢中。俺が鹿に囲まれている現実は、どうやらギャルフィルターで「映え」になっているらしい。
そしてその後ろ、鹿よりも恐ろしいものが静かに忍び寄っていた。
「蓮くん……鹿になつかれて、楽しそうね……」
低い声。ひんやりとした気配。振り返ると、黒崎真夜がそこにいた。
「ふふ……あの鹿たち、ちょっと懲らしめてこようかしら」
「やめて!? 鹿は悪くないから! 法隆寺より重罪になりそうだからやめてください!」
「……でも、私以外に笑顔を向けるなんて、赦せない……」
なぜか包丁ではなく鹿せんべいをギリギリと握り潰しながら迫ってくるヤンデレ。こっちのが怖い。
「れ、蓮くんっ!? た、大変ですぅぅううううっ!」
今度はドジっ子の美羽が駆け込んできた。その手には大量の鹿せんべい。あ、これフラグだ。
「さっきお土産屋でお得なセットがあったから、全部買ってきましたぁ〜……あっ!」
バサァッ。
空中を舞う鹿せんべい。地面に散らばるその香ばしき破片。
そして、また現れる鹿の群れ。いや、さっきより増えてない!?
増援!? 第二波!?
「うわああああっ!! ちょ、マジでやばいって!! 助けてぇええ!!」
「レンく〜ん、めっちゃ映えてる〜♡ あ、今の動画撮れた! 神素材!」
「……おとなしく、私だけ見てれば……いいのに……」
「うわあああああああああああああああ!!」
鹿に追われ、ヤンデレに睨まれ、ギャルに撮られ、ドジっ子に巻き込まれ、俺の奈良の一日は、寺と鹿よりずっとスリリングだった。
旅館の消灯時間を過ぎてしばらくした頃。
すでにほとんどの部屋の明かりは落ちていた。
なのに、俺の部屋だけ、異様にざわついていた。
「……でさぁ、レンくんってさ、寝顔かわいそうだよね〜」
「言い方おかしいだろ!」
お風呂上がりのテンションを引きずったまま、早乙女ひなは俺の布団のすぐ横で肘をついてニヤニヤしている。
まるで“夜の修学旅行イベント”を心待ちにしていたかのようだ。
「で、でも、やっぱり……そ、添い寝はその、倫理的に……っ!」
顔を真っ赤にした三浦理沙が、おずおずと抱き枕を握りしめている。いや、それ俺のだし。
「は? 何言ってんの? あたしが先に言い出したし! 蓮は私の隣で寝るの!」
「ちょっ、勝手に決めるなギャル!」
「べ、べつに……ちょっと隣にいるくらい、悪くないと思っただけだし……」
橘瑠璃のその台詞で、場の空気にさらに火がついた。
そのとき、
「……蓮くん。もう、誰にも渡さないって決めたの」
黒崎真夜の声が、真っ暗な部屋の角から響いた。
いつの間にか、彼女は枕を抱えて立っていた。静かに。まるでホラー映画の一幕のように。
「わっ、わわっ!? なんで君、逆光の中で立ってるの!? しかもなんか光ってる包丁みたいなの見えた気がしたけど気のせいだよね!?」
「ふふ……蓮くんの寝顔、独占したいなって思って」
「ホラー! その言い回しはホラーだよ、黒崎さん!!」
俺はそっと布団から這い出す。いや、これは“逃げ”じゃない。“戦略的撤退”だ。
だが、俺の行動を察した者がいた。
「……蓮くん? どこ行くの?」
白井空が、目をぱちぱちさせながら襖の前に立ちふさがる。
「えっと、トイレかな〜って」
「……嘘ついても、わかるからね」
言葉はゆるいのに、空の瞳だけがやけに真剣だった。
……やばい、この班、全員“起きてる”。
深夜のテンションで理性がどこかに飛んでる。
逃げ場がない、と思ったそのとき。
「……お困りのようですね、山田蓮くん」
声の主は、なんと隣の部屋の──副担任、国語教師の花園先生だった。
「ここで深夜徘徊する理由、五・七・五で答えられるなら、見逃します」
「先生、そういうの、やめてもらっていいですか!? 真面目にピンチなんですって!」
女子たちの暴走はどこまで加速するのか。
——青春、それは逃げられない戦場である。
修学旅行3日目。舞台は大阪。たこ焼き、串カツ、通天閣──賑やかで食い倒れの街。
「よっしゃあ、今日は食べ歩きデーやで!」
ギャルのひなが朝からハイテンションだ。
手にはすでにガイドブックとスマホアプリの食べ歩きマップ。
完全に大阪遠征の戦士と化している。
「……で、全員いるか? よし、じゃあグループ行動開始な」
先生の声で散っていく各班。俺たちの班もまずは通天閣を目指すことになった。
「串カツ〜! ソース二度づけ禁止〜! あっ、でも一度づけすらしてないからセーフだよね! ってやつ?」
テンション高めに叫ぶひなに、橘が眉をひそめる。
「……ギャルって、うるさいのが仕事なの?」
「ほほぉ〜? ルリちゃん、やる〜? ギャルバトル〜?」
「だ、誰がルリちゃんよ! 呼ばないで!」
いつものようにツンギャルバトルが始まりそうだったそのとき、
「あれ……? みんな、どこ?」
白井そらがいなかった。
「え、まって、さっきまでそこにいたじゃん!」
「そ、そらちゃん、いないの!? そ、そんなぁ……!」
「GPS確認しようとしたら、スマホ置いてった!? いや、なんで!? 修学旅行よ!? 現代よ!?」
動揺するメンバーたちのなかで、一人落ち着いていたのは、なぜか黒崎だった。
「……落ち着いて。そらさんは……たぶん、本能で歩いてるだけよ」
「いや、怖すぎない!? それ、野生動物の帰巣本能みたいな!?」
そらを探すことになり、一同は分散して通天閣周辺を走り回ることに。
「そら〜! そら〜! 返事して〜!」
「返事しても、どっかでたこ焼き食ってそうだな……」
そんなときだった。
ひなのスマホにLINEの通知。
《そら:たこやきのやつ、うえにのってるのなに? まよねーず?》
「いた!! 近くのたこ焼き屋さんにいる!」
駆けつけたそこには、何事もなかったようにたこ焼きをじっと見つめているそらの姿があった。
「……白井さん、心臓止まるかと思ったわよ!」
「え? あたし、たこ焼きの味、確認してただけだけど……?」
「確認の前に集合確認してくれよ!!」
大騒ぎの一幕が終わったころ、ドジっ子の佐々木美羽が再び転びそうになり、黒崎は通天閣の影でそっと俺の写真を撮っていた。怖いよ……
そして、橘はちょっとだけ恥ずかしそうに串カツを差し出してきた。
「べ、別に、あんたに食べさせたかったわけじゃ……」
「わかったから、衣はがしてまで俺好みにしないで」
なんだこのカオス。
こうして、俺たちの大阪編は、天然ボケの迷子と胃袋との戦いとなったのであった。
修学旅行もいよいよ最終日である。
「たこ焼き〜! たこ焼き食べた〜い!」
ギャルのひなは道頓堀の看板より目立っていた。さすが、原色カラーの着こなしは伊達じゃない。
我々はたこ焼き屋へ向かう。
「……べ、別に。大阪のたこ焼きなんて興味ないけど……ちょっとだけ食べてみたかっただけなんだからねっ!」
橘瑠璃はというと、こっそり俺とたこ焼きを“半分こ”しようとしていた。
しかし、照れすぎて「あーん」はできず、串を持ったまま固まっている。
その時だった。
「……わたし、見つけた」
白井空が突然現れた。手にはなぜかたこ焼き10パック。
「……蓮くん、みんな食べてるから、買っておいたの。はい、あーん」
「え、俺、今すでに5個くらい……」
「大丈夫。おいしいから。空のたこ焼き、特別に、マヨネーズ3倍盛りだから」
その破壊力は、もはや天然ボケというより攻撃魔法。たこ焼きの海で俺は沈んだ。
「ぐっ……こ、このソース、濃すぎる……」
「……空の味、どう?」
そう言って小首をかしげる彼女は悪意ゼロなのが逆に怖い。
その後も、ギャルは串カツで食レポごっこを始め、ヤンデレは「蓮くんと食べるのが初めての味」と言ってホルモンを俺の口に無理やり運び、ドジっ子は551の豚まんを「落としちゃって」7回目の買い直し。胃袋が休む暇はなかった。
「……なんで、修学旅行で5キロ太りそうなんだ、俺」
夜、宿泊先ホテルの宴会場で、俺たちは班ごとの打ち上げをしていた。
「いや〜、食べたね〜。ねえレンくん、デザート取りに行こっ♪」
「ちょ、もう胃袋限界なんだけど……」
「……蓮くん、私が取ってくるわ。だから、誰とも行かないで」
ギャルとヤンデレの挟み撃ち。俺の自由はすでにない。
そんな中、橘瑠璃が意を決したように立ち上がった。
「ちょっと、あんたたち! いい加減にしなさいよ!」
場の空気が凍る。
「わ、私だって……その、蓮のこと、ちょっとだけ気になってるし……! でも、いつもみたいにからかったり、無理やり迫ったりするのって、ズルいと思うの!」
……お、おぉ……!? ツンデレが、ついにツンを捨てたのか!?
「えっ、なにそれ、じゃあ私が蓮くん好きなのがズルいって言いたいわけ?」
とギャル。
「……蓮くんは、誰のものでもないの。けど、誰よりも私を見ててほしいの」
とヤンデレ。
「わ、私だって、蓮くんと一緒にいたい気持ちは、本物です……!」
とオタク。
「え? なになに? 修学旅行って、告白するタイミングだったの? じゃあ、わたしも言っとく〜。蓮くんのこと、好きだよ〜♪」
天然の爆弾発言。
そして静かに、ドジっ子が口を開いた。
「わ、私……自信なかった。でも、蓮くんがいつも助けてくれて、私……好きになっちゃったんです……」
全員、俺のことを……?
脳が混乱している。誰か夢だって言ってくれ。あるいはドラマのドッキリであってくれ。
だが——
「……蓮くん。ここで決めて」
橘の言葉で、全員の視線が俺に集中する。
選ぶ……? 今ここで? 誰かを?
「さあ、蓮くん。どの娘が好きなの?」
人生最大の修羅場が、今、始まる……
しばらく、誰も何も言わなかった。
宴会場は静まり返っていて、みんなの視線が俺に突き刺さる。
たこ焼きよりも熱く、ソースよりも濃い空気だった。
「さ、蓮くん。どうなのよ?」
と瑠璃。
「答えてほしいな〜。マジで、ちゃんと知りたいから」
とひな。
「……心を試すつもりはないの。でも、私の気持ちは本気よ」
と真夜。
「こ、こっちだって、本気なんですからっ……」
と理沙。
「わたしは〜……そうだな〜、“好き”って言葉が軽くなっちゃうくらい、蓮くんのそばが、なんか落ち着くんだよ〜」
と空。
「私も……ちゃんと想ってる……たとえ選ばれなくても……」
と美羽。
……だめだ。
どれか一つの手を取るなんてできない。
どの気持ちも、たしかに“好き”って温度を持っている。
「……みんな、ありがとう」
口を開いた瞬間、なぜか喉が詰まりそうになった。
「俺……まだ、ちゃんと向き合えてない気がする。誰の気持ちにも、自分の気持ちにも。だから……今、ここで誰かを選ぶことはできない」
そう言いながら、俺はひとりひとりの顔を見ていった。
瑠璃は、キッとこちらを見ているけど、少しだけ頬が緩んでいた。
ひなは、ふっと笑って、
「そっかぁ、そゆとこがモテる理由なんだよね〜」
と肩をすくめた。
真夜は目を伏せて、小さく、
「……逃げたわね」
と呟いた。
理沙はうるんだ瞳で
「……私、待ってます」
と言った。
空は……何も言わず、ただ
「たこ焼き食べる?」
と聞いてきた。うん、そこが君の強さなんだろうな。
そして美羽は……顔を真っ赤にしながら
「そ、そのときは……そのときで、また伝えます……!」
と頷いた。
──ああ、やっぱりどの気持ちも本物だ。
「蓮くん、ずるいなぁ〜」
とひなは笑う。
場の空気が少しだけほどけた。
宴会場の窓の外には、大阪の夜景が広がっていた。
ギラギラ光るネオンが、俺の心を照らしてくれている。
その夜、部屋に戻ってからも、みんなの顔が浮かんで眠れなかった。
瑠璃のツンとした強さ。
ひなの明るさ。
真夜の執着の奥にある寂しさ。
理沙の不器用な優しさ。
空のゆるやかな時間。
美羽のまっすぐな気持ち。
全部が俺の日常になっていて、全部が今の俺を形作っている。
でも、
「もし、ひとりを選ぶなら──」
胸の奥に浮かんだその顔を、俺はそっと心の中にしまった。
もう少しだけ、この修学旅行が続いてくれたなら──
そんな身勝手なことを考えていた。
バスは朝早くから動き出し、俺たちを大阪から東京へと運ぶ。
眠そうな顔のクラスメイトたちが荷物を抱えて乗り込む中、俺は最後列の端に座っていた。
いつの間にか、誰もがいつもの“クラスメイト”の顔に戻っていた。
あの夜のことを、口に出す者はいない。
だが、あの時間が確かにあったことは、みんなの視線や、ちょっとした仕草に滲んでいた。
バスの中で、一人ずつ席を回ってくる子もいた。
最初に来たのは、ひなだった。
「おっはよー、蓮くん。ちゃんと寝れた?」
「うん、まあ……ちょっとだけ」
「そっか。……あたし、あんまり寝れなかった。変な夢見てさ〜。蓮くんが巨大たこ焼きになって、みんなに食べられてく夢」
「……どんな夢だよ」
「まぁ、リアルよりは平和だったかもね〜。じゃ、またあとでねっ♪」
彼女は肩をすくめて席に戻っていった。
次に現れたのは瑠璃。
「……気をつけて帰りなさいよ」
「ん、ありがとう」
「べ、別に! あんたがどんな選択しようと、私には関係ないし。あんたが変な女選んだら、それはそれで呆れるだけだから!」
「はいはい、ツンデレ乙」
「だれがツンデレよっ!!!」
でもその叫びも、なんだかいつもより優しく聞こえた。
理沙は、何か言いたげに近づいてきて、でも結局
「……ううん、やっぱり、また今度にします」
とそっと笑った。
空はいつもの調子で、俺の横に座って
「ねぇ、蓮くん。眠れなかったんだったら、ここで寝てもいいよ? わたし、枕には自信あるから」
と謎の提案をしてきた。
「……うん、遠慮しとく」
「ざんね〜ん」
そして、美羽はすれ違いざま、小さく
「がんばってね」
とだけ言って去っていった。
最後に来たのは、真夜だった。
「……私、やっぱり欲張りかもしれない」
「え?」
「“好き”になったら、その人の全部を独り占めしたくなっちゃう。でも……それは、相手のことを苦しめるだけなのかもって、ちょっとだけ思った」
「……真夜」
「想いをやめるつもりはないわ。いつか、ちゃんと向き合って。あなたを……振り向かせる」
その言葉は、まっすぐで、重くて、でもどこか清々しかった。
バスが東京に近づくころには、みんな眠っていて、車内は静まり返っていた。
だけど、俺の胸の中では、ずっと静かに、あの夜のことを思い返していた。
どの思いも、軽くない。
どの思いも、真剣。
だからこそ、俺は決めなきゃいけない。
時間をかけてでも、自分の気持ちにちゃんと向き合って──
修学旅行は、終わる。
でも──俺の恋の旅は、ここから始まる。
< 了 >