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39 狂乱の始まり



 俺は眠っていた。

 わかるのは、何か乗り物に乗っている、ということだけだ。

 多分、俺は今、座席のようなところに座っているのだと思う。

 ガタッゴトッ!

 揺れている。

 すっげえ、揺れている。

 自動車か何かだろうか?

 ガタッ!

 小石を踏んだ程度の衝撃なはずなのに、それだけで車体が跳ねる。

 うーん、この世界の人間はサスペンションというものを発明しなかったのだろうか?

 ん?

 この世界って、なんだ?

 そうだ、俺は一度死んで、異世界で蘇生(そせい)させられたのだ。

 男が産まれない世界、女性しかいないこの世界に。

 まぶたが重い。

 目を開けようとするのだが、どうしても開かない。

 その上、暑い。

 暑いっていうか、なんだこりゃ?

 俺の両隣に誰かがぴったりと密着している。

 なんというか、汗でヌルヌルしている気がする。

 汗をかいているのに、なぜか着ている服は濡(ぬ)れてない。

 っていうか、あれ、これ……。

 俺、今、ほとんど裸なんじゃないか?

 しかも、俺の両隣にいる奴ら――この世界なんだから、当然女だ――も、多分、きっと、少なくとも俺に密着している部分には衣服を身につけていない、ような。

 俺とそいつらの汗がうまい具合に接着剤代わりになっているのか、俺の身体がまじで女体に埋まっている、そんな感じ。

 そいつら二人、わざと俺を蒸し焼きにしようとしているのかは知らないが、どうも、俺にその柔らかい身体――きっと裸体だ――を俺に押し付けている。

 っていうか、多分これ、おっぱいだ!

 裸の女の子が俺の両腕に抱きつくようにしてるのだっ!

 女の子のふかふかたぷんたぷんなおっぱい、そのふたつの夢の丘の間に俺の腕はうめられ、その上、俺の両手のひらは女の子たちの太ももに挟まれてる、のだと思う。

 さらにさらに、念の入ったことに、その上から俺たち全員の身体を、毛布か何かで覆っているっぽい。

 さらにさらにさらに。

 その毛布の上から、座席に座っている俺の膝の間に割りこむようにして、誰か小さい子どもみたいなのが座っている。

 つまり、俺の両側には多分裸の女の子、そして俺たちにフタをするように子どもが俺を椅子にして座っている、そんな格好。

 蒸し焼きにして殺すつもりか。

 車が揺れるたびに、俺の腕と女の子の胸の脂肪が、ぬちゃ、ぬちゃ、と汗で音を出しながら擦られる。

 ちなみに必要な情報かどうかは知らないが、右側の双丘はとてもでかく、左側はそれに比べると若干控えめだ。

 右側のはとろけるほどに柔らかく、左側のは弾力があって張りがある。

 うーん、行ったことはないけど、噂(うわさ)に聞くローションプレイってこんなんなのだろうか。

 いや、それよりも、このままだと俺はまじで死にそうだ。

 とにかく暑い。

 もうやめてくれ、と言おうとするけど、口がどうしても動かない。

 目も開かない。

 身体全体が痺(しび)れるような疲労に包まれていて、熱中症で死ぬかもしれんのに声も出せないのだ。

 やばい、ほんとにやばい、こんなに発汗していては脱水で死ぬ、水を、水を……。

 と。

 聞き慣れた声が左の耳許(みみもと)で、


「うーん、もう十分あったまったと思うのよね」


 と言った。

 ああ、懐かしいなあ、この声。

 まだ会って一日程度しかたってないはずなのに懐かしいって感じるのは、人間の感覚っておもしろい。

 右からは別の声。


「そうですね、だいぶましになりました。汗も出てきましたし。さっきまで氷のように冷たかったですからね……。こうして温めてさし上げたのは正解だったようですね。少し恥ずかしいですけど……。こんなに体温が下がったのはマナと法力を瞬間的に大量消費したからでしょう」

「死ぬこともある、って注意したのに。身体が冷えきって死んでいるのかと思ったわよ。騎士たるあたしが部下の身体をこんな風に暖めるなんて、屈辱だわ」

「それにしては率先してエージ様を温めていたじゃないですか」

「死なれたら困るからね。こいつ、ほとんど全部のマナをあたしにそそぎこむもんだから。馬鹿なやつよね」

「死んでもいいと思ったんじゃないですか。騎士様を救うためなら。私はとばっちりを食う側ですから是非やめていただきたいですけど」


 ほんの数秒の沈黙。

 そして、左側が、ぼそっと、


「そっか……。エージ、あたしのためなら死んでもよかったのか……。そっか」

「騎士様、顔がにやけてますよ?」

「う、うるさいわね!」


 なんだこの二人、いい争いはどうでもいいから、水を、水を……。


「み、水……」


 やっと、声が出た。目は開かない。

 と、両側から同時に大声で、


「目は閉じてて!」


 と叫ばれた。

 だから開かないって。


「あれ、おにいちゃん起きたの?」


 俺を椅子にして座っていた女の子が言う。

 まあ声ですぐにわかったけどつまり、俺の右側に奴隷の姉の方、キッサが、左側には俺の上司であるはずの女騎士、ヴェルが、そして俺たちにフタをしていたのが奴隷の妹の方、シュシュだったわけだ。


「よかった、エージ様……、よかったぁ。あ、シュシュ、ええとね、私たちは今から服を着るから、エージ様の目を抑えておいて」

「はーい」


 ちっちゃな手のひらが俺の目元を覆う。


「おにいちゃん、起きたね、よかったね!」


 シュシュの無邪気な声。

 あーそうか、俺はヴェルにマゼグロンクリスタルの力を使った治療の法術を施して、意識を失ったのだった。

 女の子たちが服を着る、ガサゴソという衣(きぬ)擦(ず)れの音。

 そして女の子っていうのはおしゃべりなもんで、それはどこの世界でも変わらないらしい。


「あんたねー……なに食べたらそんなに胸がでかくなるの? 邪魔じゃない?」

「正直、邪魔なことの方が多いですね……。でもエージ様がちらちら見てくるし、エージ様の身体に胸を押し付けると嬉(うれ)しそうな顔するし、これはこれでいいかなって」


 ……ばれてるのかよっ!

 俺がなにしてもいい奴隷の推定Iカップが目の前にあったら、そりゃ見るだろうが! じっくりたっぷり舐(ねぶ)るように見まくるだろうがっ!

 その上そのIカップを身体に押し付けられたら顔がだらしなくとろけるのも当たり前だろうがぁっ!

 ゲイ以外で、おっぱいを身体に押し付けられて喜ばない男はこの世にあんまりいない。


「騎士様こそ、その腹筋は何事ですか。どれだけ鍛えたらそうなるんですか」

「普通に鍛錬してたらこのくらいになるわよ。でも、あー。ここのとこ、傷跡が残ってるなー」

「内臓まで露出してましたからね。エージ様のおかげで助かったんですから、感謝するのがいいと思います。そのくらいですんでよかったじゃないですか」

「ま、そうね。こんな奴に身体の中をまさぐられたかと思うと変な気分になるけど」

「変な気分って、助けられたのに失礼な……」

「いや、そうじゃないわよ、心臓がこう……痛くなるっていうか、胸がポカポカしてきてさ。とにかく、変な気分なの」

「へー。少し、わかりますけど」


 話の内容はともかく、こいつらいつの間にこんなに仲良くなったんだ? まだ少しギスギス感はあるけど、普通に会話している。

 お互い仇敵(きゅうてき)同士だったはずなのに。

 でもさ。そっか。

 俺は、ヴェルを助けられたのだ。

 傷跡は残ったらしいけど、まあ仕方がないだろう。

 周りにいる人間全員のマナと、国家の秘宝マゼグロンクリスタルの力を結集し、直接的には俺が、この俺が一人の女の子の命を助けることができたのだ。

 うーん、満足。

 生まれて初めて自分で自分を褒めてやりたい気分。


「さ、もう手を離してもいいわよ、シュシュ」


 ヴェルの声に、シュシュは、


「うん!」


 と元気よく返事をして俺の目から手を離す。

 あれ。

 ヴェルがシュシュの名前を呼んだのはこれが初めてだよなあ。

 俺が寝ている間に仲良くなってるなあ。

 しかし、まじで目が開かん。

 俺はまぶたを動かそうとするが、ピクピクするばかりで、全然目が開かない。

 それよりもさ。


「水……のど、かわいた……」

「ああ、そうね。キッサ、水を」


 ヴェル、キッサのことまで名前で呼んでるなあ。うん。仲よきことは美しきかな。

 キッサが水の入った水筒らしきものを俺の口許(くちもと)に運ぶ。

 だけど、俺の身体は口や喉まで動かないみたいで、うまく飲み込むことができない。だらだらとこぼしてしまう。


「エージ様、飲めないですか? ……仕方がないですねえ、じゃあ、私が口移しで飲ませてあげましょう、ついでですから」

「あ、こら、勝手に抜け駆けを……」

「まあまあ騎士様、いいじゃないですか、ついでですし」


 ついでって、何がついでなんだ? それに抜け駆けってなんだよ……?

 と、誰かの、いや、キッサの顔が近づいてくる気配があった。香りでわかる。安心させてくれるような、どこか暖かな心地よい香り。

 別に香水とかはつけてないはずだけど、キッサとはあまりにも身体をくっつけてることが多かったので、彼女の身体の匂いを覚えてしまった。

 額と顎をふんわりとキッサの手で支えられる。

 そして。

 ふ、と俺の唇にキッサの唇が合わさる。

 キッサの舌が押し出すようにして、俺の口の中に水を運ぶ。

 ゴクリ。

 うまい……。

 ただの水が、こんなにも美(お)味(い)しいと思ったのは初めてだ。

 ……もしかしたらキッサの唾液も混じっているからかもしれないけど。

 Iカップ美少女奴隷の唾液。

 もう水いらないからそれだけでいいや。……俺はこの期に及んで何をいってるのだろう。


「キッサ、もっとくれ……」

「はいはい」


 素直に返事をしてくれる俺の女奴隷、キッサと、


「あー! またキッサばっかり! ちょっとあんた……」


 咎(とが)めるような口調の女騎士ヴェル。


「いいじゃないですか、エージ様は私を名指しでご指名です。さ、もう一口いきますよ。んー」


 再び、キッサの控えめな唇が俺に水を運ぶ。

 ゴクリ、ゴクリ。

 ふはあ。

 生き返った。

 やっと、目が開く。

 俺の顔を覗(のぞ)きこんでいる、三つの顔。

 キッサと、ヴェル、それにシュシュ。

 みんな疲れた顔をしている。

 キッサとヴェルは闘いを通じてできた傷が顔にまであって、とても痛々しい。

 ああ、でも。

 女騎士の顔を見る。

 ヴェル。


「助かったんだな……よかった……」

「あんたのおかげよ、エージ。ほんとにもう、死んだと思ったのに、生きながらえちゃったわ。……ありがとうね」


 ちょっと潤んだ瞳で、俺をじっと見つめる碧(あお)い瞳。口許にはかすかな笑み。

 金色の長い髪もぼさぼさ、着ているものは奴隷の粗末な服、それに奴隷用の首輪。今は逃亡中だから、有名な騎士であるヴェルは奴隷に変装してるんだろう。

 ヴェル自身のものだろう血のあとが、顎の下にまだ残っている。

 きったない格好だけど。

 それでもこいつ、美人だよなあ。

 うんうん、よかった。苦労したかいがあった。


「で、ここは……?」


 ぱっと見た感じ、昔交通誘導警備員のバイトしたときに乗ったハイエースをさらに一回りか二回り大きくした程度の車内。

 天井は幌(ほろ)でできていて、幌の間から外の景色が流れていくのが見える。

 どうやら、今は森林地帯の道を走っているようだ。


「馬車、か……?」

「そうよ。もともと荷物運びのための馬車だし、乗り心地最悪だけどさ。みんなで乗れるサイズのがヘルッタの家にはこれしかなかったから、我慢しなさいよ」

「でっけえ馬車だな……」

「スターク種の六頭引きよ。速度は遅いけど、大陸の端から端までわずかな飼葉で走ってくれる種だから、もうこのまま街道をあたしの領地まで行くわ」

「運転手……いや、御者は、ヘルッタか?」

「いえ、ヘルッタは南の親戚の家に避難したわ。御しているのはほら、あんたの新しい方の奴隷よ」


 ああ、夜伽(よとぎ)三十五番か。あいつ、馬車の操縦までできるのか……。

 ヴェルに、キッサに、シュシュに、夜伽三十五番。

 あれ。

 なんか、一人足りないような。

 それも、この国の最重要人物が。

 俺たちが今こうしている目的、そのものの人が。

 ふと見ると、車内の隅っこの方に、でかい芋虫がいた。

 そいつは床に転がり、もぞもぞと動いて、「んーんー」という鳴き声を発している。

 あれ、芋虫って鳴くもんだっけか?

 いや待て、これ、でかい芋虫じゃない、……小さい人間の女の子だ……!


「おい、ヴェル……」

「なによ」

「俺の見間違えじゃなければだけど」

「うん」

「あそこにおわすお方は、ヴェルの親友にして、俺たちが最も敬愛し尊敬しお守りしなければならない、聖なるお方のような気がするが」

「あれは芋虫よ」

「いやいや、俺には毛布で簀(す)巻(ま)きにされてる皇帝陛下にしか見えないぞ!? しかも目隠しと猿轡(さるぐつわ)!? なんでこんなことになってんだよっ!? お前、まさか反乱して傀儡(かいらい)にしようと……」

「んんーんーんー」


 芋虫……じゃなかった、毛布でぐるぐる巻きにされたロリ女帝陛下、ミーシアがその小さな身体をくねらせている。苦しそう。かわいそう。


「どうなってんだよ、これ」

「エージ、よく聞きなさい……」


 ヴェルが、真剣な顔で言った。


「帝国では完全禁止、辺境の地でさえも限られた時期、限られた関係のもの同士でなければ許可されていない、粘膜直接接触法の副作用……。これが、禁断の法力移転法を使ってしまった私たちが、甘受しなければならない苦痛なのよ」


 サスペンションもない馬車が、ひときわ大きく跳ねた。

 幌の向こう側から、風が森の香りを運んでくる。

 じぃっと俺を見つめる碧い瞳。

 そして、女騎士の顔が突然近づいてきて。

 俺にキスをした。








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