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第3話 それ、だけは。

「え、土岐さんが」


 そんな日々を重ねて、私達は、三年生になった。


 そして、やっぱり相変わらず情報通の友人から、土岐さんは物理教師の娘さんの家庭教師を始めたらしい、と聞かされた。


 バイト自体はうちの学校は保護者の許可申請のあと学校が許可すればOK。

 要するに、審査されるのはバイト内容と成績だ。


 土岐さんはどちらも問題ないのだろう。


「でね、多分……」

 友人が話してくれた内容は、特に驚くことでもなかった。


 物理教師の娘さんがとてもかわいらしくて、土岐さんとお似合いらしい、という内容。

 そりゃそうだ。

 物理教師の伊勢原先生は偏屈極まりないだけで、黒髪長髪高身長のイケオジだ。年齢も高校生のお子さんがいるお父さんとしては、かなり若い。

 だから、外見だけならファン、という生徒は枚挙に暇がない。

 先生は離婚されていて独身、という情報が以前、ちょっと話題になっていたくらいである。


 つまり、娘さんもさぞかし美少女なのだろう。


「美少女は、そうなんだけど。ふわふわくりくり、みたいな感じで、伊勢原先生とは似てないみたい。あ、でも……土岐さんね、楽しそうだったんだって。あと、ものすごくお似合いだったらしいよ」


「そうかあ……うん、良かったんじゃない? 土岐さん、進級してから楽しそうだし」


「うん、それは、ね……で、良いの?」


「何が?」


「そっか。なら、良いけど……」


 友人は何故か、いつもより少し、静かだった。

 あと、見てきたような話し方だったのが少しだけおかしかった。


 それはそうと、土岐さんは、三年生になってからは、前みたいに笑うようになっていた。


 文化祭も、皆が土岐さんに何かをお願いするのを遠慮していたら、なんと、自ら着ぐるみの客引きに立候補してくれたのだ。

 信じられないくらいアクロバティックな着ぐるみのウサギさんのおかげで、リンゴ飴、イチゴ飴の『飴や』は大繁盛、千客万来だった。


 そして、内部進学がほとんどなので普通の進学校生よりは緊迫感が少ない受験生の冬。


 そんな、ある日のこと。 


 一度だけ。私は見た。

 土岐さんと、伊勢原先生と、伊勢原先生の娘さんを。


「あ、緑丘さん?」


「……こんにちは。これから土岐先生に書道を教えて頂くんです」


「そうかあ。通いの生徒さんってやっぱり緑丘さんだったんだ……また、来年学校で」


「うん。伊勢原先生達、土岐さん、失礼します」


 ……私は多分、うまく話せた。


 土岐さんも、伊勢原先生も、おそらく、娘さんも笑顔だったから。



 年が明け、土岐さんは外部進学であることを知った。

 あまり、驚きはなかった。

 そして、そのまま普通に、私達は卒業式を迎えた……はずだった。


 それなのに。


「緑丘さん、あのさ、いらなかったら遠慮なく言ってほしいのだけれど、私の制服のボタンって、いるかな?」


 答辞をみごとにこなし、卒業式後のクラスの集合写真撮影とクラスメートとの撮影会みたいな遣り取りを終えたあとは全く姿が見えなかった土岐さんに声を掛けられたのだ。


「い、いります? え、え、下さるので?」

 いや、幻聴なら相当恥ずかしいぞ。


「うん。中学校の時は何だか争奪戦? みたいになったから学校側から禁止されてね。でも、ここは平穏だから、大丈夫かなって。で、どうせ誰かにもらってもらうなら、緑丘さんが良いなあ、って」


 幻聴ではなかった。でも。


「え、な、なんで」


「……友達だから。初めてだったんだ。この学校と、クラス。皆の一員? だった気がした。楽しかったよ。あと、緑丘さんは父の教え子さんみたいなものだし。緑丘さんには私、一番お世話になったから。あ、第二ボタンは残して良いかな。あとは、袖のまで全部、どうぞ。用途はご自由に。さすがに、シャツは袖だけで、ね」


 土岐さんが、笑った。


「あ、やっぱり第二ボタンは、渡す人がいるんだ。伊勢原先生の娘さんですね」


 ……バカ、何でここで、それを言っちゃうかな、私? 

 せっかく、途中までは普通に話せたのに。


「そうか。緑丘さんは会ってたよね、あの子に……なら、きちんとお話をしないと申し訳ないね。実は、私が第二ボタンを渡したい人はあの子じゃなくてね……」


「え」


「……驚いた? 内緒だよ。きっと、第二ボタン、もらって頂けますか? なんて言えるのは、まだまだずっと、先だよね。早く、そんな大人になりたいよ」

 ボタンを切るために、小さなハサミをポケットから出しながら、土岐さんはやっぱり、笑っていた。


 ……そうか、土岐さんを笑顔にしてくれた人は。


 その人なんだ。


 ブラウンのジャケットの第二ボタン以外は本当に、全て、外れていく。

 タグに付いていた予備ボタンまで。あとは、シャツの袖のところのも。


 ……さく、さく。


 次々に切れていく糸。たくさんのボタン。


 私は慌てて、手を差し出す。


「結構、量があったね」


 ざらざらと私の手の平に落ちていくボタン達。

 そして、土岐さんの、声。


「……何かあったら、父に連絡して。緑丘さんには、また、会いたいから。今度は目、逸らさないからね。あ、物理教室と、それから教室に行くから、じゃあね。それから、これ」


 首元から外されたのは、ボルドーのネクタイ。  

 ……それに、逸らさないから、って。


「あ、ありがとう!」

 敬語じゃない、私の返事。


「こちらこそ」


 第二ボタン以外は予備ボタンも含めて全て無くなった、ブラウンのジャケット。

 襟シャツからは、ネクタイも消えていて。

 そんな有様の制服を着ていても、やはり、土岐さんは誰よりも凛々しかった。


「みーどーり。あんた、土岐さんと話してた? え、ボタン? そんなにたくさん? もしかして……」


「うん。土岐さんの。上衣全部。もちろん、お裾分けするよ。あと、聞いたよ。土岐さんの意中の人は、伊勢原先生のご関係の方だよ」


 ネクタイは、手を使えない私の代わりに土岐さんがポケットに入れてくれていた。

 だから、私のリボンの隣には、あのネクタイが居る。

 ……十分過ぎる、卒業祝い。


「……やっぱりだった? あ、大丈夫。土岐さんのファンの子達には秘密にしておくから。あと、これ使いな」


 ポケットから極小サイズに畳めるエコバッグを出してくれた情報通の友人……いや。

 この子なら、大丈夫。


 何故ならこの子は、大の百合小説愛好家。美しい百合を静かに見守るのが信条、と断言している文芸部部長だ。


 情報通なのも「学内の美しく清々しい百合を守るために!」らしいから。

 あ、百合漫画も嗜むみたい。

 エコバッグは『いつどこでまだ見ぬ素敵な作品に出会えるか分からないから!』だそうで。


「……眉目秀麗、成績優秀な土岐さんと、偏屈教師の娘さん。しかも、あの、めっちゃくちゃかわいい……。良い……」


 幸せそうな友人。


 本当は噂、じゃなくて実際に見たのかな。

 私みたいに、二人が一緒のところを。


 まあ、あの二人がお似合いなのはその通りだと私も思う。


 どちらにしろ、友人も、私も……嘘はついていないのだ。 

 ……多分。


 土岐さんの好きな人は、確かに伊勢原先生の娘さんのご血縁なのだから。

 あのかわいらしい子だと友人が思うのは……それはそれで、良いのだ。


 土岐さんは、ボタンを「自由にしてね」と言って、笑っていた。

 多分、写真撮影後も物理教室にいたのだろう。


 集合写真のあと、クラスの子達とある程度一緒に写真を撮ってくれたのはきっと、土岐さんから、クラスメートへの感謝の現れだ。


 物理教室に向かい、それから荷物を取りに教室に戻り、下級生からの写真撮影依頼は固辞して、大量の手紙を受け取ると、土岐さんは帰宅した……らしい。


 さすがに、襟シャツやパンツのボタンをねだる者はいなかったようだ。


 私は、あの大量のボタンを収納してくれた友人のエコバッグに感謝を捧げた。


 そして、夕方、集まれたクラスメートで開催した、卒業おめでとうのファミレス食事会。

 ボタンを皆に分配した私は『卒業式MVP』となり、二年生から数えて二度目の栄冠に輝き、飲食全てを奢られたのだった。


 ところで、進路は。


 物理部のただ一人の先輩が准教授をされている名門大学に合格した土岐さん以外はクラスメート全員、付属の女子大学に進学。


 それからの日々は、たんたんと過ぎている。


 高校のクラスメートの誰かに、ほぼ毎日会える大学生活。ポニーテールを見掛けることもある。


 そして、たまに土岐さんのことを考える。


 ……ねえ、土岐さん。


 大学に入学して、お酒も飲める年齢になった私達は、まだたまに貴女のことを話すよ。


 百合大好きな私の友人も、未だに貴女と伊勢原先生の娘さんのことを考えて、にやけているし。


「尊いよねえ……」


 そうだね、きっと、尊い。


 貴女の思い人は。


 絶対に、素敵な女性だ。


 あの、かわいらしい子の……だもんね。


 いつかどこかで、その人が、土岐さん、貴女と歩いているところを偶然見られたら良いな、と思う。

 ……いつかの、あの時のように。



 実は、土岐さんからはお正月とか、節目に電話がくることがある。


 今どき、家の電話に。


 そして、ごくたまに、上等な筆とか、高級な半紙とかが、クリスマスプレゼントとして贈られてくるのだ。

 私も時々、高級色鉛筆とかを贈っている。品物じゃない時は、お高めのクリスマスカードか、アドベントカレンダーを。


 今年は何を贈ろうかな、と思うと、やっぱり考えてしまうのは、土岐さんのこと。


 そんな時は、クローゼットの中のネクタイや、 自分の部屋の本棚の中にある、あの台本を見てみたりして。


 ……そして、私は呟くのだ。


 それはいつでも、同じ言葉。


 ありがとう、私を友達、と言ってくれて。

 いつか、貴女の恋の相談にのったり、できるのかな。楽しみにしてるよ。


 ……だけど、次の言葉は。


 誰にも言わない。言うつもりもない。


 もちろん、土岐さんにも。


 ……いつまでも、貴女は私の、初恋の人だと。



 そう、『それ、だけは』。



《了》


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