秋の花がその盛りを過ぎる頃、玲陽は都への旅立ちを決めた。
犀遠の喪が開け、体も旅に耐えられるほどには回復していた。
歌仙を発つその前に、玲陽は母を訪ねた。
光沢を抑えた薄紅色の長袍に、軽やかな外袍を重ねたのは、秋の寒さを案じた犀星の手心だった。
犀星はこのとき、初めて玲家の門をくぐった。それは、彼が赤子の時に犀家に引き取られて以来、二十五年ぶりのことであった。
玲芳は母屋の客室で、玲陽と犀星を迎えた。
玲陽は背筋を伸ばして母に近く座り、犀星は少し離れて、玲凛と並んで様子を見守る。玲家本家の嫡流が、ここに揃った。
玲芳の目がかすかに震えながら、十年ぶりに会う玲陽の姿を必死になぞった。玲陽もまた、毅然としてそこにあった。彼の傍には、紺碧に流水の紋が浮かぶ大太刀が、そっと置かれていた。その帯には、犀星が贈った、夕日のような橙に白で犀家の紋が描かれた佩玉。髪には玲凛が自分の髪から抜き取って飾った、花弁の簪が揺れる。
玲芳はそっと膝を送り、玲陽に寄るとしっかりと握られていたその手に触れた。緊張した面持ちで、玲陽は視線をゆらし、それからおそるおそる指を開き、柔らかな玲芳の手を受け止めた。その温もりを、玲陽は覚えていた。
記憶よりも小さく思われる母の体は、心配になるほどに震えていた。
「母上」
玲陽の呼び声に玲芳の目が開く。
「都へ行く前に、お伝えしたいことがあってまいりました……」
玲陽は珍しく言葉につまりながら、それでも、精一杯に見つめた。
「母上。私を、産んで下さって、ありがとうございました」
そう言って、玲陽は子供のような笑顔を見せた。
玲芳は泣き崩れた。玲凛が目をこすり、犀星は欄間から見える空を見上げた。
彼ら旅立つ。
過去はすべて、懐かしい故郷に残して。
いつか運命のもと、この地に戻る時まで、互いの絆を信じ、未来へと。
犀星の目に映る空に、一筋の雲が線を引き、青の深みへと伸びていった。
新月の光 第一部 完