まだ夕方で日が長いはずだった。それなのに、颯真の家は何かで呪われたように暗くて重い空気を漂わせていた。帰宅して玄関を開けてすぐ、ただいまを言わずに母の元で駆け寄った。邪悪な空気が体中にまとわりつき、天井につるされていたロープで首を吊ろうとしていた。またこの悪夢のような空間がやってきた。
「母さん!!! 何してんだ。今すぐ。おりて。死ぬなんて、考えるなよ!」
「ふ、颯真? ……いいの。私はもう生きていく価値なんてないのよ……仕事も家事もできない、出来損ないの命ならこの世に残る意味なんて……」
さっきからマイナスな言葉しか思い浮かばない母の
「あのさ、大丈夫だから。俺が何とかするからさ。とりあえず、そこからおりよう!」
「何とか? ……何とかならないから、私がいなくなろうとしてるんでしょう。大丈夫、今、楽にしてあげるから」
「母さん!!!!!」
変なことを言い出す碧郁の頬を叩く颯真は、息が上がって怒りがおさまらない。
「誰が必要ないって言うの?! 誰が言ったんだよ。俺は母さんに生きててほしいって言ってるでしょう。なんで、俺に耳を貸さないで閻魔大王の言うことを聞くんだよ。洗脳されるなよ!!」
苦しい思いを叫ぶと、壁に虹色の異次元空間を出した閻魔大王がじろりと睨み、大きな腕で颯真の首をギリギリとつかみ、壁に追いやれた。
「誰のせいだ? ……こうなったのは誰のせいなんだ? ルール違反をしたら、罰を与えると言っただろう。下界の行動はわしがすべて把握してるんだ。次やったら、この女の命はないと思え!!」
ぐぐぐっと颯真の首に閻魔大王の爪が食い込んでいく。歯を噛みしめ、ぐっとこらえた。
「……御意」
いつの間にか現れた紫苑は、颯真の後ろで飛んでいた。生ゴミの匂いが充満している。
「くっさーいなぁ。おいらの鼻が曲がりそうだ」
ドサッと体が床に落ちる。閻魔大王は、腕をするりと元に戻して、ギッと睨みつける。やっと呼吸ができるようになった颯真は四つん這いになって深呼吸をした。普段、浅い呼吸が深く吸ってどうにか落ち着いた。あと少し遅かったら、命を持っていかれていたかもしれない。
首吊りをしようとしていた母の碧郁も一瞬にしてロープが消えて体が床に投げ出された。閻魔大王の魔力で眠らされていた。颯真は碧郁の上半身を抱えた。こんなふうにしてしまったのは、自分のせいなんだろうかと責めた。涙が零れ落ちる。
「任務遂行しなければ、お前たちの命はないことを覚えておけ」
そう言い残して、閻魔大王は消えていった。残ったのはコウモリの紫苑だった。救ってくれたはずの閻魔大王の裏の顔を見た。裁きを下す者も命の判別をされるとは思いもよらない。世の直しのために働いてると思っていたが、やらなければ命取られる。理不尽な仕事だとため息を漏らす。
「世の中、自由で平和な天国ってないんだろうか……」
そうつぶやいて、窓の外に浮かぶ細い細い月を見つめた。今日は月さえも顔を合わせたくないと言っているようだった。
颯真は、命あるだけでも救いかと諦めを決心した。
ふかふかのベッドに母の碧郁をそっと寝かせた。颯真は床に敷いたふとんに横になる。寝床があるだけでもそれでいい。夢だけでも悪夢じゃないといいなと願った。