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激戦を終えて

「はぁ、ぜぇ……」


 荒い息で、俺はようやく一息つく。

 狭い竜尾谷での戦い――それが、ようやく一段落してくれた。狭い道であったがゆえに、俺たちは切り飛ばし、突き刺し、命の絶えた敵兵の死体を乗り越えて進んでいたのだ。足元は血でぐちゅぐちゅと水音がし、体の全面は返り血に染まっていない場所などないほどだ。

 どれほど長く戦っただろう。時間の感覚すら曖昧で、ただ肉体と精神を削られた疲労感と、敵兵を倒しきった達成感だけがそこにある。


「うす……隊長、もう、動いてる奴ぁ、いませんぜ……」


「はぁ……あー、しんどいのぉ……」


「もぉ、無理ぃ……」


「よし……前方、伏兵に注意して進むぞ。上方、依然防御継続」


「うす」


 疲れ切った隊員たちの声と共に、俺は前へと歩みを進める。

 相変わらず、真上に対しての防御は継続だ。一時よりは止んだにしても、まだ敵兵からの矢は降ってくる。山の上に向かった第一師団、第二師団は失敗したのだろうか。

 だが、問題はない。既に竜尾谷の本隊は叩き、俺たち第三師団はほぼ無傷だ。精神的肉体的ダメージが多少あるだけで、この程度ならば一晩も眠れば回復する。


「戦死者は?」


「ゼロですぜ、隊長。負傷者が百人くらいいるだけだ」


「よし、行軍しながら隣の奴に手当してもらえ。竜尾谷を抜けたら、そこで休憩をとる。怪我人は、その時点で衛生兵のとこに行け」


「うす」


 指示を出し、俺は大きく溜息を吐く。

 溜息とはいえ、安堵の方だ。割と乱戦だったが、幸いなことに戦死者はいないらしい。

 百人の負傷者は、恐らく上方からの矢に当たった者だろう。


「いやー……きっついっすねぇ」


「全くだ。何が楽な戦だよ、アンナの奴」


「作戦段階では、左右の山を素早く制圧する予定だったみたいすけどね」


「こっちの工作班の動きも、確認されていたんだろうな。その上でこっちを罠に嵌めるために、出口あたりで待ち伏せされてたんだろ。どうにか途中から優勢になって、今は残存兵が必死で矢を撃ってる、ってとこじゃねぇの?」


「使えないっすねぇ、工作班」


「全くだ」


 マリオンの厳しい意見に、敢えて頷く。

 そもそも今回の作戦は、竜尾谷におけるスムーズな進軍が前提にあってのものだ。もしも先頭が俺たちでなければ、既に全滅している可能性だって高い。

 まぁデュラン将軍のことだから、そういう可能性も考えて俺をこっちに送ったんだと思うけど。


「でも、隊長大活躍だったじゃないすか。いっそのこと、隊長一人でアリオス王国落とせるんじゃないすか?」


「あー……やろうと思えばできるかもしれねぇな」


「ちょ!? オレ冗談で言ったんすけど!?」


「冗談だよ。本気にすんな」


 ひひっ、と笑みを浮かべて肩越しに振り返る。

 勿論、俺個人としては、やろうと思えばできると思っている。アリオス王国には名の通った武人はいないし、兵も民からの徴兵であるため士気は低く、ろくに訓練の経験もない。そんな相手など、何千人集まったところで案山子の群れがいるようなものだ。

 だけれど、それをしてしまうと、色々問題があるのだ。

 簡単に言えば、英雄扱いされることである。


「隊長なら、あながち冗談じゃなさそうっすね……まぁ、そのときはオレらとしちゃ、オレらの隊長だって誇りますよ!」


「やめてくれ。それが今、一番困るんだよ」


「へ?」


「俺は、静かに除隊したいんだ」


 俺は、この戦争が終わったら結婚する。

 ジュリアを守るために、故郷に戻って両親の遺した畑を、一緒に耕していくのだ。

 功績を上げて、そこそこ給金なり報奨金なり貰えるのは構わない。貰える分だけ、ジュリアとの結婚式を派手に挙げてやろう、と思っているくらいだ。

 だけれど、一人で敵国を落とした――そんな評判は、邪魔なのだ。


「もし俺が、アリオス王国を一人で陥落させたら、どうなると思う?」


「そりゃ、英雄っすよ。未来百年、吟遊詩人が歌う武勇伝に出てくる最強の英雄っすよ」


「そんな英雄が、結婚するから除隊します、って言えるか?」


「……」


 む、とマリオンが唇を突き出す。

 恐らく、その発想はなかったのだろう。

 まぁ、俺も最近まで考えてなかったけどさ。なんか、デュラン将軍に除隊を一度見直すように言われてから、改めて考えていたんだよな。

 もしかするとデュラン将軍は、俺にこの戦争で尋常じゃない功績を積み上げさせて、国民から英雄視させることを目的にしているのではないか、と。

 俺が除隊すること自体は、軍の規則に何の違反もしていない。引き継ぎ云々は、俺よりも『切り込み隊』の扱いに慣れたレインならば問題ないし。それに、俺以外にも様々な同期たちが、実家を継ぐから除隊します、と何人も消えていった。

 だから、俺の除隊に対して

 国民からの俺に対する羨望や賞賛の声――即ち英雄扱いによって、縛ろうとしているのではないかと。


「まぁ、考えすぎだと思うけどな」


「はー……しかし、隊長ってそこまで考えていたんすねぇ」


「そりゃそうだろ。何せ、除隊するって言ったら将軍が、『陛下も非常に残念だと嘆かれていた』とか言い出すんだぜ。しかも、望むなら給金も倍にしていい、とか言うしよ」


「そりゃ、オレが上層部なら間違いなく、倍でも三倍でも引き留めるっすよ」


「でも、俺は除隊する気満々だからなぁ。だから、将軍がどういう手を打ってくるかなぁ、ってちょっと考えてたんだよ」


 考えるのは、正直苦手だ。

 目の前で襲ってくる敵兵を、ひたすら戦斧で薙いでいくお仕事の、どれほど楽なことか。

 こういう頭脳労働は、俺じゃなくてレインが適任のはずなんだけど。


「まぁ、でも決まってんすよね、除隊」


「ああ。この戦争が終わったら、俺は除隊だ」


「ま、オレは隊長の除隊まで、のんびり付き合いますよ。冥府の付き合いは勘弁してくださいよ」


「俺だって行きたくねぇよ」


 がはは、と笑う。

 難しいことなんて考えずに、こうして笑っていればいい。戦勝に、戦死者なしに、そして今後の未来に。

 そう話しているうちに、見えてくる開けた大地。

 俺たちは難所、竜尾谷を抜けて、ようやくアリオス王国へと辿り着いたのだ。


 これから俺たちは真っ直ぐ進んで、アリオス王国の王都を叩く。

 そして、戦勝と共に凱旋をする。

 それで俺の役割は、終わりだ。

 そのときこそ故郷に戻り、俺はジュリアと結婚するのだ――。

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