「王族はこの上だ」
「ああ」
おそろしく際どい格好のレオナ。
彼女をなるべく見ないように、必死に俺はアリオス王城の方に目を向ける。
現在地は、恐らく王城の裏庭といったところだろう。少し離れた窓から炊煙が見えることから、厨房の裏手なのだと思われる。さらに、裏庭の向こうにはより高い壁があるため、この壁を昇っても外部からは見つけにくいだろう。
確かに、この場所からならば侵入は可能だ。
「壁をどう昇るんだ?」
「あそこに矢を放つ。それで綱を固定し、昇る。それだけだ」
「ふむ」
レオナが指差すのは、王城の頂点にある時計台だ。
金属製の時計ではあるが、その周囲は木製でできている。確かに、あそこに向けて矢を放ち、固定させれば綱上りは可能だろう。
だが――。
「音で、敵に気付かれないか?」
「……」
俺の指摘に、レオナは少し不機嫌そうに眉を寄せた。
勿論、この程度のことは俺が指摘しなくても、分かっていたことなのだろう。だが、それ以外に方法がないからこそ、多少音がしても仕方ないという考えなのだと思う。
レオナが小さく、溜息を吐く。
「屋上は、警備兵のルートにないことは確認している。多少の音が出ても、人が集まるとは考えにくい」
「でも、警備兵はいなくても王城務めの人間は、誰かいるかもしれないじゃないか。それこそ、メイドに察知されただけでも計画が終わるぞ。特に屋上は、不真面目な兵士がさぼるには丁度いい場所だ。もしかすると今、いるかもしれない」
「……ならば、どうすると言う」
「俺が先に行く。王城の頂上まで綱を抱えて昇って、そこから綱を下ろす。とりあえず、頂上まで行けばいいんだろ? 俺が綱を支えてるから、その間にレオナも昇ればいい。その後は、物証を残さずに内部に潜入だ」
「……本気か?」
レオナが、思い切り眉を顰めながらそう尋ねてきた。
まぁ、残念だけど本気なんだよね。敵に察知されないように動くのなら、その辺も徹底しておく方がいいと思うし。
「本気だよ。とりあえず、昇る。その後で縄を下ろすから、レオナはそれを使って昇ってきてくれ。俺も引っ張り上げるから」
「……問い方を間違えたな。正気か?」
「残念だけど、正気なんだよ」
レオナからすれば、確かに異常な所業かもしれない。
矢を放ち、固定させた方が確実に昇れるし、素早く済むだろう。多少音が発生するかもしれないけれど、事前に警備のルートにないことを確認しているのならば、そちらの方が早く潜入はできるはずである。
だが、人間というのはそんなに、確実な動きをしてくれるわけじゃない。警備兵がどこかでもたついてしまって、警備の時間にずれが発生する可能性もあるし、どじなメイドが行き先を間違える可能性だってある。気分転換に王族がいる可能性もあるし、不真面目な兵士がさぼっている可能性もある。そういう不確定要素がある以上、音は立てずに潜入する方がベストだと俺は思うのだ。
レオナは不機嫌に拍車がかかったように、憮然とした表情で腕を組んだ。
「いいだろう。ならばさっさと昇れ。この場で待つ」
「ああ」
レオナがそう言って、裏庭の草陰に身を隠す。
さて、俺は大言壮語を吐いた分、それなりの働きは見せなきゃいけないな。これで失敗でもすれば、それこそレオナに鼻で笑われるだろう。
だが俺がやるべきは、既に逃げる算段を整えている王族の捕縛なのだ。念には念を入れるくらいで、丁度いいと思う。
「ふっ――!」
壁に近付き、まず跳躍。
一気に二階あたりまで辿り着き、俺は近くの出っ張りを掴む。出っ張りといっても、ほとんど凹凸もない壁は、指先しか掛かってくれない。
だが、指先だけでも掛かってくれたら十分だ。指先から腕に全神経を集中し、絶対に外さないように固定し、体をまず持ち上げる。
音を立てないために、足は宙に浮かせたままだ。自分が操ることのできる部位で、最も細かい制御が利くのは両腕なのだから。
片腕でまず体を持ち上げて、もう片腕が掴める場所を探す。
あとは、その繰り返しである。
「くっ……きついな、これ……」
走って壁を昇れば、足音が響く。
刃を突き立てて掴む場所を確保すれば、突き立てる音が響く。
だから俺は、音を立てないように必死に、小さな突起を掴むことしかできない。俺の体重を支えることができる、強度のある突起を。
それを、何度も何度も繰り返す。
二階から三階へ。三階から四階へ。四階から最上階へ。そして、そこから屋上へ。
ようやく俺が、まともに掴む場所を確保できたのは、屋上に到達してからだった。
「むぅ、んっ」
全力で体を持ち上げて、屋上に到着。
ふぅっ、と小さく嘆息。ひとまず、見える位置に敵はいない。身を屈めたままで、そのままゆっくりと時計台へと近付き。
「あん……? なんだ、なんか音したかぁ……?」
「――っ!!」
思わず、俺は滑り込む。
時計台――その下に存在する、小さな空間。そこから、顔を出してきた人間の姿があったのだ。
ひっく、とやや赤ら顔で肩を震わせ、右手には金属製のスキットル――酒などを携行するための小さな水筒を持った、王城勤めの兵らしき男だった。
時計台の真下に滑り込んで、男の視界に入らないように身を屈め、息を殺し音を殺す。
「……鳥かぁ? ま、屋上なんざ誰も来ねぇか。だから俺も、こうして楽しませてもらってんだけどなぁ」
ひひっ、と笑い声が聞こえる。
俺の懸念は当たっていた。こういう屋上――特に誰も来ないような死角というのは、不真面目な奴のさぼり場になることが多いのだ。警備兵の巡回ルートにもない場所となれば、尚更。
だから俺は、速やかに。
音を立てずに、くいっ、とスキットルを口元に運んだ兵士の首を。
へし折る。
悲鳴の一つもあげることなく。
男の首は、俺が捻ると共にあっさりと折れた。
「……よし」
再び、周囲を確認する。
人がいる気配は、今のところない。今のうちに、まずレオナを屋上まで運んでおいた方がいいだろう。
時計台の柱に縄を掛け、固定する。そして、その縄を俺の体に巻き付け、肩を通す。
そして、先端を真下に向けて、ゆっくりと下ろしてゆく。
この場所から真下には、窓の一つもないことは確認済みだ。
「……」
くいっ、と縄に重みが走る手応え。
真下を覗くと、間違いなくレオナがその縄の先端を持ち、こちらを見ていた。
ああ、分かってるよ。
楽させてやろうじゃねぇか。
「……」
声を殺し、音を殺し、俺は。
壁に縄が擦れる音さえも出さないように、自分の肩を起点に。
縄を引き、レオナの体を引っ張り上げ続けた。