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第28話

暗闇のトンネルには、二人の足音だけが反響していた。ユヴィタンのマントの裾が湿った地面を引きずり、かすかな擦れる音を立てる。


 「一体どこへ向かっているんだ?」ユヴィタンが三度同じ質問を口にした。声は意図的に押し殺されている。彼のブーツが水溜まりに踏み込んで、鈍い「パチャ」という音を立てた。


 長井淳は足を止め、トンネルの壁に刻まれた爪痕を指先で撫でた。「ザーグの巣だ」振り向きもせずに言い放つ。「この近くに必ずある」


 「正気か?」ユヴィタンが彼の腕を掴んだ。「たった二人で挑むつもりか?」


長井淳が振り返ると、タクティカルライトのビームの中、彼の目は淡い金色に輝いていた。手首のコントロールパネルを起動すると、スタークラストレベルのマークが闇に浮かび上がった。「もう二人じゃない。スタークラストレベルが二人だ。」


 ユヴェイタンはそのパネルを数秒見つめた後、突然笑い出した。「で、やっと自慢することを覚えたのか?」


 「事実を言ったまでだ」長井淳はパネルを閉じ、歩き続けた。「帰りたければ勝手にしろ」


 「そのまま虫の巣で死ねと思ってるのか?」ユヴェイタンは足早に追いつくと、「あり得ないぞ」


 長井淳は不意に足を止め、険しい表情で聞いた。「…なぜだ?」


 「『なぜ』って何がだ?」


 「なぜ俺について来る? 危険を承知で」長井淳の声には本物の困惑が滲んでいた。「ヴィクトルたちが選んだルートの方が安全だっただろうに」


 ユヴェイタンはぽかんとし、長井淳を数秒間じっと見つめた。突然、さらに爆笑しながら言った。「まさか……マジで言ってるのか? 本当に理由がわからないって?」


 長井淳は静かに首を振った。タクティカルライトのビームが彼の顔に不規則な陰影を刻みつける。


 「友達だからだよ、バカ。」ユヴェイタンの声には、まるで「1たす1が2」を説明するような、当然きわまりない響きがあった。


  長井淳の表情が凍りついた。『友達』?あまりに馴染みのない言葉だった。傭兵団では、孤高を貫き、人々の好奇の視線に慣れていた。里の父が亡くなって以来――自分に『友達』ができることなど、もう考えてもいなかった。


 長井淳の声はかすかに震えた。「お前……俺を友達だと思ってたのか?」それはほとんど独り言のように、消え入りそうな声だった。


 ユヴェイタンの笑みが消えた。彼は真剣な眼差しで長井淳を見つめると、「何度も生死を共にしてきたのに、まだそんなことを聞くのか?」首を振りながら、こう続けた。「淳、友達ってのは口先じゃねえ。生きて死ぬのも一緒もんだ」


 長井淳は静かに立ち尽くした。タクティカルライトのビームが微かに揺れている。ユヴェイタンが戦場で幾度も身を挺してくれたこと、言葉など不要なほどの連携プレー――それらが脳裏をよぎる。もしかすると、これが……『友達』というものなのか?


 長井淳は少し躊躇ってから、「そういうの…よくわからねえ」と打ち明けた「里の父が逝ってから、ずっと独りだった」


 ユヴェイタンの表情が柔らかくなった。彼は長井淳の肩をポンと叩くと、「大丈夫、俺が教えてやるよ。友達の第一課だ——」少し間を置いて、きっぱりと言い切った。「仲間を一人で死地にやったりしねえ」


 長井淳は胸の奥に、見知らぬ温もりが込み上げるのを感じた。体内を駆け巡るあの灼熱のエネルギーよりも、ずっと慣れない感覚だった。彼はうなずくと、再び歩き出した――しかし、足取りはどこか軽くなっていた。


 二人は廃墟となった地下通路を進んでいた。突然、長井淳の足が止まり、しゃがみ込んで地面を調べ始めた。ユヴェイタンもそれに続き、膝をつくと――水たまりの縁に、かすかな足跡を認めた。


 「人間の足跡か?」ユヴェイタンが眉をひそめた。「こんな時に、よくまあこんな場所に来る奴がいるもんだ」


 長井淳は指で足跡の大きさを計りながら言った。「3、4人分だ…傭兵の制式ブーツとは違う」壁の削れ跡を指差し、付け加えた。「装備を携行した連中が通った痕跡だ」


 ユヴェイタンはその削れ跡を睨みつけ、「探検隊か? こんな状況で地下城を調査だって?」苛立ったように舌打ちをした。


 長井淳は返事をせず、痕跡を追ってさらに前進した。やがてその痕跡は、ひっそりと隠された分岐路へと二人を導く。入口を覆っていたクリップは人為的に除去され、その奥にぽっかりと口を開けた黒い洞窟が姿を現していた。


 ユーヴェイタンが声を下がて呟いた。「不自然だ……ザーグの巣穴へ通じる道を、わざわざ整備する奴がいるか?」


 長井淳は静かにするように身振りをしながら真っ先に洞口へ踏み込んだ。洞窟内は温度が急降下し、甘ったるい腐敗臭が空気にまとわりつく。壁面は分厚い粘液に覆われ、タクティカルライトのビームを受けて不気味なネオングリーンを放っていた。


 さらに進むにつれ、地面にはすすけた茶色の卵形の物体が現れ始めた。どれも洗面器ほどの大きさで、表面には血管のような脈絡が張り巡らされている。それらは通路の両側に整然と並び、まるで不気味な飾りのようだった。


 「こいつらは新種か?」ユヴェイタンは吐き気をこらえながら、エアロブレードで最も近い卵を軽く突いた。卵殻は驚くほど弾力があり、表面から透明な液体が少量滲み出てくる。


 長井淳は首を振った。「見たことがない」彼はそれらの卵を慎重に避けながら、前進を続けた。


 通路の突き当たりには広大な洞窟が広がっていた。その中央には巨大な陥没穴が口を開けており、中には同じ種類の卵が無数に積み上げられている――少なく見積もっても百個はある。さらに不気味なことに、穴の縁には見慣れない機器が数台設置され、使い捨ての注射器が転がっていた。


 「誰かが……こいつらを培養してやがるのか?」ユヴェイタンが信じられない様子で呟くと、機器を調べようと前へ出ようとした瞬間、長井淳にぐいっと腕を掴まれた。

 「動くな」長井淳の声には、張り詰めた緊張が宿っていた。


 ユヴェイタンはその時気付いた――それらの卵が微かに震え始め、表面の血管模様が明るく輝きだしていることに。卵の群れの中から、かすかな「パチパチ」という音が聞こえてくる。まるで内側から何かが殻を破ろうとしているかのようだった。


 長井淳はユヴェイタンを背後に引き寄せると、サーベルをすでに構えていた。彼の体内でエネルギーが渦巻き始め――皮膚の下の血管が淡い金色に輝きだした。


 「下がれ」長井淳の声は低く、しかし鋭く響いた。「こいつらは普通の虫の卵じゃない」


 ユヴェイタンは周囲のエネルギー波が乱れていくのを感じ取り、無意識に風属性を集めて防壁を展開した。「何だと思う?」


 長井淳はすぐには答えなかった。彼の視線が洞窟全体をくまなく走り、隅に散らばったいくつかの破損した培養ポッドに止まる。そのうちの一つには、かすかにダビデの星のマークが印刷されたラベルが残されていた。


 「実験体だ」長井淳はそう結論づけた。「誰かが虫の卵を使って実験をしている」


 その瞬間、最も大きな卵がぱりっと亀裂を生じ、半透明の前肢が内部から現れた。それは通常のザーグが持つ鎌状の前肢ではなく――むしろ人間の五本の指に近い形状だった。ただし、各指の先端には鋭い黒い鉤爪が生えている。


 長井淳とユヴェイタンは同時に一歩後ずさった。今や卵の群れ全体が激しく震え、「パチパチ」という音が連続して響く。割れ目から滲み出てきたのは、ザーグに見られるような緑液体ではなく――粘り気のある、金属光沢を帯びた紫液体だった。


 「ここを離れる」長井淳の声は異様に冷静だった。「今すぐに」


 ユヴェイタンが頷き、二人はゆっくりと後退し始めた。しかし、通路まであと一歩という時、背後からササクサという不気味な音が響いてくる。長井淳が咄嗟に振り向くと――天井から無数の拳大の蜘蛛が降り注いでいた。一匹一匹の背中には、小さなダビデの星の紋様がくっきりと浮かび上がっている。


 「触れるな!」長井淳が警告を発すると同時に、サーベルを閃かせて最も近い蜘蛛の糸を数本斬り払った。


 ユヴェイタンは即座にサーキュラーウィンドブレードを放ち、迫り来る蜘蛛の群れを撃退した。しかし、さらに多くの蜘蛛が四方八方から湧き出してくる。その動きは不気味なほど統制されており、あたかも訓練された軍隊のようだった。


 卵塊の破裂音がますます激しくなってきた。長井淳は即座に判断し、洞窟の壁に拳を叩きつけた。スタークラストレベルの力がトンネル全体を揺るがし、崩れ落ちた岩や土砂が一時的に蜘蛛の進路を塞いだ。


 「逃げろ!」長井淳はユヴィタンの腕を掴み、二人は出口へ全速力で駆けだした。


 背後では卵殻が完全に崩れ砕ける音と、嬰児の泣き声と虫の羽音を混ぜたような不気味な鳴き声が響いた。長井淳は振り返らなかったが、何かが卵の中から這い出し、信じられない速さで迫ってくることを感じ取っていた。

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