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第50話

長井淳は新たに占領した虫の巣穴の防衛施設を点検していた。すると突然、一匹のフライング・インセクトイドがよろめくように孵化室へ侵入してきた。その翅には焦げた痕が残っていた。


 「王…逃がした…あの人間が…」フライング・インセクトイドの虫言葉は途切れがちに発せられた。


 長井淳が眉をひそめた。「はっきり説明しろ」


 「仮面の人間が…衛兵を負傷させ…異形虫さえも阻めなかった…」


 長井淳の指が無意識に力を増し、堅牢な岩の扶手がその掌の下で粉々に砕けた。「ありえない...」普通の人間が異形虫の追跡を逃れることなど絶対に不可能だ。ましてやそれらに傷を負わせるなど。


 「案内しろ」彼は短く命じた。


 複雑に入り組んだトンネルを進むにつれ、道中の光景に長井淳の眉はますます険しくなっていく。凍りついたワーカーの彫刻、焼け焦げたフライング・インセクトイドの死骸――さらに血溜まりに倒れた二匹の異形虫まである。


 前方から激しい戦闘音が響いてきた。長井淳が足早に進み、カーブを曲がった先に、戦場の光景が飛び込んできた。


 金属仮面を着けた人間が空地の中央に立ち、旋回するウィンドシールドに身を包んでいた。三匹のタンクバグが順番に炎を噴射するが、炎の流れはウィンドシールドにぶつかるやいなや跳ね返され、火花が飛び散る。その人物の動作は無駄がなく、手を振るうたびにエアロブレードが放たれ、ザーグの堅い外殻に深い斬撃痕を刻み込んでいった。


 長井淳が目を細めた。「この戦い方…やけに見覚えが」


 その時、戦況が急変した。潜んでいた二匹の異形虫が、不意に相手背後から地面を穿って飛び出し、鋭い骨刃をまっすぐ背中へと突き立てようとする――まさに仕留めんとした瞬間――


 「やめろ!」長井淳の怒号が轟く。同時に彼は手を挙げた――地面が隆起し、岩の壁が異形虫の不意打ちを寸前で阻んだ。


 突然の介入に、場の空気が凍りついた。仮面の男が猛然と振り向くと、ウィンドシールドが乱れて消散する。一瞬の隙を見逃さず、一匹のタンクバグが炎を噴射──灼熱の火線がその肩をかすめ、仮面の紐を焼き切った。


 金属仮面が「カラン」と地面に転がり落ちた。


 銀白色の長髪が熱風に翻り、アイスブルーの瞳は驚きで見開かれた。その顔は、長井淳にとって見慣れたものだった――ユヴェタン。


 「お前か…」長井淳の声がわずかに澱んだ。


 スウォームがざわめき立ち、理解できないというようにその王を見つめた。長井淳が手信号を送ると、すべてのザーグは即座に攻撃を止め、徐々に後退していった。


 ユヴェタンの肩には火傷が残り、鮮血が指先から滴り落ちていた。しかし彼は痛みを感じていないかのように、ただ長井淳を睨みつけていた。「やはりお前だったのか…」


 長井淳が数歩前へ進み出た。二人の間はわずか三メートル。三年ぶりのユヴェタンは憔悴の色濃く、目尻の小じわも深まっていたが、生来の貴気は少しも衰えていなかった。


 「お前、傷を負っている」長井淳はそう言い放つと、「ついて来い」。


 ユヴェタンは一瞬ためらったが、やがて頷いた。


 長井淳の住まいは虫穴の最深部に位置し、改造された天然の洞窟だった。壁には光る菌類が埋め込まれ、地面は乾いた苔で覆われている。隅には粗削りな石のテブールと2脚の椅子が置かれていた——これは彼が数少なく保っていた人間らしい習慣の名残であった。


 「座れ」長井淳は石の椅子を指さすと、振り返って石の棚から薬箱を取り出した。


 ユヴェタンは慎重に腰を下ろすと、この奇妙な住まいを眺め回しながら言った。「思ってたより……まともに暮らしてるんだな」


 長井淳は何も答えず、ただ黙々とユヴェタンの肩の傷の手当てを続けた。やけどは深刻ではないが、手入れが必要だった。彼の動作は慣れたもので、この三年間、傷ついたザーグの世話をしてきたことで豊富な経験を積んでいた。


 「なぜここに?」長井淳はようやく口を開いた。「しかも探査隊に紛れ込んで」


 ユヴェタンは苦笑いを漏らした。「お前を逃がした代償は思ってたよりでかかった。皇室追放、爵位はく奪、実質的な追放だ」彼は顔を上げ、長井淳を見つめた。「だが、ザーグに『新王』が現れたと聞いて……お前だと確信した」


 長井淳の手が一瞬止まった。「巻き込んで悪かった」


 「俺自身の選択だ」ユヴェタンは首を振ると、「それよりお前、本当にザーグの王になったのか?」と問いかけた。

 長井淳はこの3年間の経緯を簡潔に説明した——女王をどう呑み込んだか、ルーラーとどう支配権を争ったか。ユヴェタンは真剣に聞き入り、時折うなずきながら。


 「スターブライトグループとは?」長井淳が不意に問いかけた。


 ユヴェタンの表情が険しくなる:「雷雨以上にたちが悪い。表向きはエネルギー事業だが、裏でザーグ兵器を開発している。この探査隊も、ザーグの遺伝子サンプル採取が目的だ」


 長井淳の瞳に冷たい光が走った。歴史は繰り返している、ただ主役が入れ替わっただけだ。


 「黒幕を突き止める必要がある」彼は低い声で言った。


「ルーラー、そしてこれらの実験を支援している人間の上層部を」


 ユヴェタンは突然、長井淳の手首を掴んだ。「俺にも手伝わせろ」


 長井淳は一瞬、硬直した。ユヴェタンの手は冷たかったが、掌から伝わる温度だけが妙に現実的だった。


 「なぜだ?」


 「これも俺の責任だから」ユヴェタンの声は小さかったが、一言一言が明確に響いた。「元・王室の一員としてな」

 長井淳はそのアイスブルーの瞳を見つめた。そこには憐れみも、計算もなく、ただ固い決意だけがあった。三年前、この男は大きな危険を冒して自分を逃がしてくれた。そして三年後、またしても迷うことなく自分の側に立っている。


 「わかった」長井淳はユヴェタンの手を握り返した。「一緒に」


 岩窟の外では、ザーグの鳴き声が途切れることなく響いていた。しかしこの瞬間、かつての敵同士であり、今は友人となった二人は、外界から隔絶した地下世界で、声なき盟約を結んだ。

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