佐藤優太は額の汗を拭い、タクティカルライトのビームが暗いトンネルの中を左右に揺れ動いた。彼の探査隊はすでに地下城を6時間も進んでおり、防護服の裏地は汗でびっしょりになっていた。
「課長、前方に高濃度の生物信号を検出しました」技術員の山本は手のスキャナーを見つめながら、声をわずかに震わせた。「計測値が…異常です」
佐藤はスキャナーを受け取ると、画面に表示された波形グラフが激しく乱れているのを確認した。こんな波形グラフは、彼が雷雨グループの極秘ファイルでしか見たことがない——ザーグの巣窟の特徴的なパターンだった。
「警戒を維持しろ」彼は声を押し殺しながら傭兵隊長に伝えた。「奴らはすぐそこだ」
傭兵隊長の石田が手信号を送ると、12名の完全武装した傭兵たちが即座に散開し、ファイアチーム隊形で前進を始めた。全員が最新の遺伝子強化剤を投与されており、タクティカルライトのビームに照らされた腕には、不自然な青紫に浮き上がった血管がくっきりと浮かび上がっていた。
「鉱物調査だけじゃなかったのかよ…」若い傭兵が小声で呟いた。「戦争にでも巻き込まれる気がするぜ」
「黙れ」石田が鋭く叱りつけた。「金をもらった以上、余計な質問は無用だ。やるべきことをやれ」
トンネルは次第に狭くなり、壁面にはベトベトとした生物の分泌物が現れ始めた。佐藤の鼓動が速まる――これこそ彼らが探し求めていたものだった。ザーグのフェロモン標識だ。スターライト・グループが闇市場で大金を払って入手した情報は、やはり正しかった。
「ストップ」佐藤が突如手を挙げて制止した。探知機が捉えたのは、かすかなながらも明らかに異常な気流の動きだった。「何かが──」
言葉が終わらないうちに、トンネルの天井が突然崩れ落ちた。数百ものフライング・インセクトイドが黒い瀑布のように降り注ぎ、瞬く間に空間を埋め尽くした。傭兵たちは即座に発砲、ガウスライフルが放つブルーライトが暗闇に致命的な軌跡を描いた。
「慌てるな!防御陣形を組め!」石田が咆哮すると同時に、彼の異能が発動した――皮膚が瞬時に金属化し、ドールシールドと化して最前線に立ちはだかった。
しかし奇妙なことに、フライング・インセクトイドたちは直接攻撃を仕掛けてこなかった。不気味な羽音を響かせながら空中で旋回するそれらは、突然一斉に淡い緑色の粉塵を噴き出した。
「防毒マスクだ!急げ!」佐藤が慌ててマスクを装着しようとした時、既に遅かった。粉塵が肌に触れた瞬間、甘ったるい香が鼻腔を貫いた。視界はたちまちかすみ、手足は鉛を詰め込まれたように重くなった。
「幻覚...を...起こす粉...か...」石田が片膝をつくと、金属化していた皮膚が徐々に色を失っていった。必死でもがきながら緊急救助ボタンを押そうとしたが、もはや指が思うように動かなかった。
佐藤の意識が最後にとどまったのは、自身の体がドサリと倒れこむ瞬間だった。かすんだ視界に映ったのは、整然と降り立つフライング・インセクトイド――鋭い口器で手慣れたように武器ベルトを切断しながら、なぜか人間の身体には一切危害を加えない光景だ。あまりに不自然だった…ザーグがいつからこんなに…「規律的」に?
闇。
佐藤が再び意識を取り戻した時、最初に感じたのは後頭部の激痛だった。うめき声を漏らしながら目を開けると、自分が湿った岩窟の中に横たわっていることに気付いた。手首と足首はどこからともなく現れた粘り気のある糸状の物質で縛られ、身動きひとつ取れない。
「課長!ご無事ですか!?」山本の声が右側から聞こえた。技術員も同様に縛られており、メガネは歪み、顔中に擦り傷がついていた。
佐藤は苦しそうに周囲を見回した。探査隊と傭兵隊の全員が、岩窟のあちこちにぐったりと横たわっていた。洞窟の入口は不気味な紫色に光る蜘蛛の巣状の膜で塞がれており、時折フライング・インセクトイドの影が外を掠めていくのが見えた。
「どれくらい経った…?」佐藤がもがいてみるが、その蜘蛛の糸は異常なほど強靭だった。
「おそらく3時間だ」傭兵隊長・石田の声はかすれていた。「装備は全て持ち去られた。通信機も例外じゃない」
若い傭兵の一人が突然すすり泣きを始めた。「あいつら…なんで俺たちをすぐ殺さないんだ?何を待ってるんだよ…」
「黙れ、青二才」石田が叱りつけた。だが佐藤は、隊長の手がかすかに震えていることに気付いた。
その瞬間、洞窟入口の蜘蛛の巣がかすかに揺れた。数匹のワーカーが這い入ってくると、前肢で糊状の物質が入った石の器を押し進めてきた。それは菌類と昆虫が混ざったような見た目で、異様な酸味を放っていた。
「冗談じゃない…」山本は青ざめた顔で呟いた。「こいつら…俺たちを《飼育》してるのか?」
ワーカーたちは石の器をそれぞれの捕虜の前に押しやって、静かに引き下がっていった。一人の大胆な傭兵が器の中身を嗅いでみたかと思うと、すぐにゲッと吐き気を催した。
「触れるな」石田が警告した。「寄生体のペトリ皿かもしれん」
佐藤は吐き気を催すような「食物」の入った器を睨みつけながら、頭をフル回転させていた。ザーグの行動パターンは、既知の研究データの全てに反している。人間を生け捕りにするだけでなく、食料まで提供するなど……この背後には、もっと複雑な目的が隠されているに違いない。
ちょうど全員が絶望的な沈黙に包まれていた時、隅にいた一人の傭兵が突然立ち上がった。佐藤は彼を覚えていた――登録名は「吉田」。フルフェイスのマスクを装着し、移動中ほとんど口を利かなかった男だ。
「吉田…? お前の束縛帯は…」石田が驚愕したことに、この傭兵の体を縛っていた蜘蛛の糸は既に断ち切られていた。
吉田は答えず、独りでに縛めを解いていた。よろめきながらも、それでも壁に手を付いて立ち上がる――どうやら行動能力を回復しつつあるらしい。
「アンチドートが効いた。」彼の声は異常に落ち着いていた。「生物毒素を使うとは読んでいた」
「そう言うと、吉田は手を上げた。空気が突然凝縮し、彼の掌の中で無色透明の『刀』が形作られる。軽く一振りするだけで、洞窟の入り口に張り巡らされた蜘蛛の巣は大きく切り裂かれた。」
「君も…『異能者』なのか?」石田は目を見開いた。「なぜ資料に記載がなかったんだ?」
吉田は唇を歪ませた。「俺はスターライトの人間じゃないからな」そう言うと、佐藤の方へ向き直り、「佐藤課長、スターライトグループがザーグと裏取引してた時、ザーグに裏切られる可能性は考えてなかったんですか?」
佐藤の顔が一瞬で蒼白になった。「あんた...いったい何者だ?」
「吉田」は冷たく笑うと、次の瞬間、蜘蛛の巣の裂け目から身を翻し、暗闇の奥へと消えていった。