東京の端ーハシター駅の前に少し古びた三階建てのビルがある。
ここにはアフレコスタジオがあり、日々声優という職業を生業としている者達が、アニメのアテレコや吹き替えなど様々な仕事を熟していた。
今日は、この場所に五十人程の人が集まっている。
その集団の話から察するに、どうやら近々新しいアニメが始まるようだ。
この団体は、そのアニメのキャラクターの声の担当を決める為に集まった声優達だった。
数人で一組を作って、オーディションのやるらしいが、この中から選ばれるのは一人か二人、メインだけ考えて七人程が選ばれるコトになっているらしい。
彼等の年齢層は、下は十代から上は五十代まで、男女ほぼ均等だ。
一人一人の手には、オーディションで使用する台詞が書いてある数枚の紙が握られている。
その紙には、古代中国を舞台とした小説で“封神演義”と書かれていた。
そして縁とは不思議なもので、その中に近い将来ーミライー、公私を共にするであろう者達がいた。
「千津さん・・・僕、ナタク役に受かるかな?」
「宮園さん、それは僕の台詞ですよ・・・楊ゼン役って倍率が高そうだし」
二十代の若者の二人ー千津風五と宮園季発は、お互いの不安な気持ち言葉にした。
緊張を何とか解こうとしてうろうろしている季発に対し、風五は気が済むまで台本とおぼしき紙に目を通している。
「そういえば・・・」
暫くして、に風五が思い出したかのように、台本から瞳ーメーを離して
「不四象ースープシャンー役は枡河虹介君で、雷震子役は上松鋭美さんに、ほぼ決まったようですよ」
と、手持ちの情報を伝える。
「それ僕も聞きました。
原作漫画を読んだ瞬間ートキーから、雷震子は上松さんのものだって確信していたんです」
“予感が当たった”と、季発は楽しそうに喋りだす。
「へえーっ、そうなんだ」
「だって、上松さんの声って男っぽいから、雷震子役取れると思ったんですよね」
感心したと言わんばかりに、彼はますます早口になるはず・・・だった。
季発の喋りは、風五の目線の行き先に遮られたからだ。
彼の視線は季発の後ろへと続いている。
(宮園さん、後ろ!)
「じゃあ・・・参考までに色々とお訊きしたいんですけど、どの辺が男っぽいのかしら?」
「えっ、えっと・・・!?」
女性の声ーしかしどちらかというと低いーに慌てふためいた季発は、勢いよく後ろを振り返る。
そこには、髪を結い上げてはいるものの、活発なイメージを漂わせた女性ー上松鋭美と、肩までの長さの髪の女性ー笹原萌葱が、二人を見つめている。
鋭美は半ば鋭い目で、萌葱は苦笑しているところから察するに、最初から彼等の後ろにいたのだろう。
季発は何かお咎めがあるのかと首を竦めて、彼女達が口を開くのを待つ。
しかし、鋭美の口から出た言葉は
「ところで、枡河君ていう男ーヒトー見かけなかった?」
という尋ね人を探す言葉-モノ-だった。
「彼、今日のオーディションで不四象役を初めて演じるんだけど、ここで待ち合わせしているんだよね・・・」
(ということは、彼の声と相性が合う人が太公望役に選ばれるってことか)
風五は内心で情報を整理して
「見かける以前に、彼の顔が分かりません・・・」
と、固まったままの季発の代わりに、風五が困惑した表情ーカオーを浮かべて答えた。
この人混みで迷子になってしまった彼を、心配していることは分かるが、何故彼が必要なのかが分からない。
「あの、もしかして・・・?」
「そうよ、あたしも先にオーディションに受かってたの。
それで、今日はあたしの声との相性を見る為に呼ばれたの」
“枡河君も同じ理由だよ”と、言葉を付け足した。
オーディションの時間が迫るなか、彼の行方が気になるのか、鋭美はきょろきょろと辺りを見回した。
埒があかないと感じた風五は、隣りで様子を見守っていた萌葱に質問した。
「笹原さんもオーディションを?」
「はい、私はマネージャーさんから、妲己を受けてみたらと薦められたので」
萌葱ははにかんで、そう答えた。
ようやく浮かんだ笑顔から、風五は萌葱が緊張から脱したのだと知った。
ややあって、季発が遠くからやってくる人影を見つけ
「千津さん、もしかして彼が枡河さんではないですか?」
と、どこか嬉しそうにそう言った。
“ほら、あそこ!”と、季発が指を指す方向へ目を向けると、しっかりとした足取りで周りにいる人間達を掻き分けて、こちらに向かって歩いて来る青年が、姿を現した。
「迷子って彼?」
「うん、そう!」
鋭美の短い返事の中には、嬉しさと少々の呆れが入り混じっている。
“やっと見つけた!”と言わんばかりに彼女は青年に手を振った。
その声に気付いたようで、二十代前半の青年ー枡河虹介は、苦笑しながら近づいてきた。
「済みません、人混みに紛れ込んじゃって、上松さんとはぐれてしまいました・・・」
申し訳なさそうに謝る彼に
「気にしないでいいよ」
と、鋭美はにっこり笑って許し
「彼が今日のオーディションで、太公望役候補の役者ーカターと一緒にお仕事をすることになっている、枡河虹介君」
と、改めて風五達に紹介した。
“初めまして”と挨拶をする彼の声は、一般の男性の声よりは少し高く、鼻にかかっている。
その気になれば、動物の声も当てることが出来るのではないかと季発と風五は思った。
やがて、彼の気持ちが落ち着いた頃を見計い「出会って早々悪いけど、打ち合わせの時間が迫っているから、一緒に行こう」
と、鋭美は虹介に中へ入るように促すと同時に、瞳で“萌葱ちゃん達はどうする?”と尋ねた。
彼女の言葉に一瞬だけ緊張が辺りを包み込むが、それも束の間の出来事だったらしく。
「僕達はもう少しここにいます」
私は建物の中の方が、落ち着いて台詞の練習が出来るから、上松さんと一緒に行きます」
風五と萌葱がそれぞれ意見を述べると
「じゃあみんな、アフレコ会場で会おうね!」
鋭美はにっこりと笑ってそう告げ、虹介と共にビルの中へと姿を消した。
三人の姿を見送った風五と季発に静寂が包み込む。
暫くの間は受かる為に役に没頭して、台本を読み込んでいたが、それも疲れを感じた頃。
「ああ、よかった!
やっぱり千津さんと宮園さんだ!!」
どこからか嬉しそうな声に二人は不思議な顔して、周りを見回した。
「お久しぶりさね」
「山峰さん!」
安堵の溜め息でも聞こえてきそうな程、のんびりとした口調で、山峰と呼ばれた人物は挨拶を交わした。
彼の手に例の台本がしっかりと握られているところから、やはりこのオーディションに参加するようだ。
「おはようございます、山峰さんもオーディションの参加者の一人?」
「そういう二人だって、オーディション参加者のうちの一人さ」
片笑みを浮かべた彼ー山峰勇魚は、独特な喋り方をする事で有名な青年である。
語尾に“さ”を付けて喋る癖があるこの青年は、幾つもの役を熟すのが得意であった。
「山峰さんが狙っているのは、天化役でしょう?」
「えっと・・・何で分かったさ?」
勇魚は瞳を丸くして、季発に訊ねてみる。
「何となく?」
季発はそう答えて、外方を向く。
しかし、内心では得意気に笑っていた。
やがて、オーディションの時間が迫ってきたのだろう。
辺りの様子が少しずつではあるが、緊張感に包まれてきた。
だが、何故か不思議とこの三人の周りには緊張感などなく、余裕すら漂っている。
五感を妨げるものなど一つもない・・・そんな感じだ。
自信があるないは別にして、目に見えない力があると言われれば、納得せざるを得ない。
そんな和気藹藹とした雰囲気に誘われて、彼等の側に寄ってきた一人の男性が
「三人共、相変わらず明るいね」
と、微笑ましいと言わんばかりに口を開く。
彼の名は夕木鮎斗といい、二十代後半の青年で、主役クラスの役をよく務めている。
趣味はバンドだが、まだ一度もライブを行ったことはない。
鮎斗は、昔一度仕事で一緒だったことを思いだし、三人に気軽に声をかけられたことが、緊張を解す良いきっかけとなったようだ。
「みんな余裕あるね」
「そう見えるさね?」
彼の問いに勇魚が苦笑して答えたかと思うと
「・・・山峰さんは天化役を確実に取れると思うよ」
と、しみじみと答えた。
「さっきも同じようなことを言われたさ」
石流の勇魚も、先程の季発の意見を思い出して、ますます鮎斗が何を言いたいのか分からなくなった。
「あーあ、あれは全然気付いていないな」
「あの喋り方は、天化そのものなのに」
風五と季発は彼に気付かれないように、こそこそと話す。
そうとはい知らない勇魚は、真面目な顔つきになり
「俺っちよりも天化の声に合う人がいたら、その人に決まるさ。
そうならない為にやるだけの事はやるさ!」
“だから気を抜いたら、天化役は貰えない”
彼の気迫から、そのような言葉が感じられて、鮎斗は思わず肩を竦める。
「そりゃそうだ・・・」
納得して、ポツリ呟く彼に
「それにこれを取るって約束したから・・・」
真剣に・・・いや、自分に言い聞かせるかのように言った勇魚は軽く一礼して、その場を後にした。
勇魚の自信が溢れる姿を目の当たりにした鮎斗は、気持ちを引き締めて
「悪いけど、俺も太公望役貰うから」
と、まるで宣戦布告するかのように言って、オーディション会場へと足を向けた。
二人の姿が吸い込まれるかのように消えた入り口を見つめていた季発は
「千津さん、僕は今のみんなと一緒に仕事がしたい!」
と、瞳を輝かせて言った。
「僕も、同じ事を考えていました」
風五もまた、この七人がアフレコ現場で揃ったら、さぞかし賑やかで楽しく仕事が出来るだろうと想像する。
彼等の“願い”という名の直感が、数日後に当たるとも知らずに、二人も会場へと向かう為、ゆっくりと歩き出した。
(終わり)