システムが私をこの世界に連れてきたとき、
世界線の安定を脅かす“あの悪役”は、すでに三十四歳で、十歳になる息子を抱えていた。
私は長い眠りから目覚め、何も知らず、何も覚えていなかった。
ただ、自分の名前が「結城望(ゆうき のぞみ)」で、年齢が二十三歳だということだけは知っていた。
それも、システムが私に教えてくれたことだった。
それに加えて、システムは“あの悪役”の危険性を、何度も何度も私に言い聞かせた。
過去に送り込まれた攻略者たちのように、
この世界に入った瞬間、命を落とすことのないように、と。
システムによれば、悪役の名は――神谷慎一(かみや しんいち)。
世界の富と権力の頂点に立つ男。
冷酷で陰湿、まるで荒ぶる獣のような存在。
彼にあるとされる唯一の良心は、幼い息子に向けられている、それだけだという。
私は鏡に映る自分をじっと見つめ、しばし考えた。
「私に……あの人が一目置くような、特別な何かなんて……ないと思う」
小さくつぶやいたその声は、鏡の奥へ吸い込まれていくようだった。
そんな私を、システムは黙って見つめていた。
しばらくしてから、意味深にこう言った。
「君が、最後のチャンスだ。もし君でもダメなら――」
言葉を途中で切ったあと、今度ははっきりと、
「……いや、君ならできるはずだ」と、言い切った。