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視えない同居人は家賃を払わない
視えない同居人は家賃を払わない
月野風斗
現代ファンタジー都市ファンタジー
2025年06月05日
公開日
1.2万字
連載中
 サラリーマンの三田涼介はお人好しで、面倒ごとをいつも請け負ってしまう。会社の働き方改革の一環としてリモートワークの試験運用を任され、田舎に飛ばされる始末。会社から住むよう命じられた一軒家はおんぼろで一人暮らしには十分すぎるほどに広かった。しかし、その一軒家にはどうやら普通の人には視えない先客が住んでいたようで――  ちょっぴりさえないサラリーマンと視えない不思議な同居人のほっこりライフを覗いてみてはいかが?

第1話 引っ越しは突然に

 俺にはお人好しという自覚はあるが、ここまで自分がお人好しだということは知らなかった。


 服や必需品を押し込んだスーツケースを引きながら何本も電車を乗り継いでいる間はこんなふうに考える余裕すらなかったが、あまりにも馬鹿馬鹿しい。


 何が働き方改革だ。なにがリモートワーク推進だ。


 俺は周りに流され続けた結果、元自宅から数百キロ離れた田舎のおんぼろ一軒家に住むことになったのである。


 ――1か月前――


 社会人になってから早6年。俺の勤める会社では、働き方改革の名のもと計画性のない企画が同時進行でいくつも進められていた。残業時間の管理、ハラスメント対策、有休制度の見直し、数を挙げればきりがないが、どれも突貫工事で進められている。

 そのせいもあって社員の負担は増大し、残業時間もむしろ増える始末。それでも一度改革を打ち出した手前やめるわけにもいかず、どの部署でも限界を迎えようとしていた。


 俺もその被害者の一人であり、さっさと帰れと言われながらエナドリ片手に終点間際までデスクで格闘する日々が続いていた。


 そしてある日、俺の人生の転換期が訪れる。


 「三田さん、今時間ある?」


 時間などあるわけがない。そう心の中で文句を垂れながら上司の後を付いていくと、改革の責任者の元へと案内をされた。

 面倒ごとの香りしか感じられない。


 「突然で申し訳ないのだが、いま進めている改革の一環でリモートワークの試験運用をすることになった」

 「はい」


 あぁ、嫌な予感がする。


「そこでだが、君に試験的にリモートワークを実践してもらおうと思っているのだが」


 リモートワーク? 

 会社に行かなくていいってことか?

 ついに俺にもツキが回ってきたか?


 思えばこれまで面倒ごとは吸い込まれるように俺にばかり回されてきた。はいはいと受け入れて損をするのは結局自分だ。わかっているのに小さい頃からノーと言えずに頑張ってしまった。


 そんな俺のことを見てくれている神様がいたのかもしれない。

 ありがとう、神様。


 お礼までして胸を弾ませる俺に、衝撃の一言が走った。


 「そこで君には移住してもらおうと思っている。独り身の君しかいないんだ」


 改革責任者は顔色一つ変えずにそう告げる。


 「はっ、はぁ」

 「家は借りてあるから安心してほしい。田舎で暮らせば、きっと気持ちも晴れると思うぞ」


 コイツ、正気なのか?

 リモートワークなんだから俺の家からでも、何ならこじゃれたカフェからでもできるんだぞ。


 あっけにとられていると、上司と改革責任者で勝手に話が進んでいく。


 「いやぁ、三田君、うらやましいなぁ。会社の金で移住してリモートで働けるなんて」


 うらやましいならなぜお前が行かない?

 独り身だからってどこでもホイホイ行けるわけじゃないんだぞ。


 体の内に渦巻く黒いものを得意のスマイルで必死に抑え込み、六缶パックのビールを買って家路についた。




 上司と責任者の間でいつの間にか話は驚くほどスムーズに進み、家の手配から引っ越し業者まで取り付けられてしまった。そんなスピードに飲まれ、とうとうこの一軒家の前で来てしまったというわけだ。


 まずは管理者にあいさつに行かなければならない。鍵も手渡しされることになっているため、俺はスマホに送られた地図を頼りに新居から20分ほどかけて挨拶へ向かった。


 のどかな田畑に励まされながら歩き続けると、大きな平屋の家が見えてくる。屋根には黒い瓦が敷き詰められ、大きな蔵もついている。家というよりも屋敷という言葉が似合う姿に圧倒されつつ、恐る恐る足を踏み入れた。


 「あのぉ、今日からお世話になる三田ですけども」


 あまりにも声が小さすぎたらしい。

 ふっと腹に力を込めて、もう一度問いかける。


 「今日越してきた三田でーす! 鍵を受け取りに来ました!」


 はーいと遠くから女性の声が聞こえ、少しすると大きな玄関ドアがガラガラと音を立ててて開いた。


 「おっ、君が三田さんね。あの家管理してる神山です」


 けだるそうな表情を浮かべる神山さんは俺よりも数個若く見える。

 ぼさぼさな髪に淵の黒い眼鏡、スウェットに短パン姿といういかにも寝起きという井出立ちだ。

 こんな姿をじろじろ見てしまうのも悪いかもしれない。


 「はい、三田です。どうぞよろしくお願いします」


 軽く頭を下げると、神山さんは淡々と言う。


 「すぐに出られなくてすいません。でも、チャイム鳴らしてくれてよかったのに」

 「え?」


 神山さんの視線の先を見ると、和風な塀にぽつんと黒いチャイムが取り付けられていた。

 こんな歴史がありそうな家に玄関チャイムがついてるとは。

 そうとは知らず大声で呼び出してしまった自分が恥ずかしい。


 「おばあちゃんから鍵預かってるから、ハイどうぞ」


 無造作に鍵を渡し、扉を閉めようとする。

 慌ててスーツケースから菓子折りを出し、引き留める。


 「ありがとうございます。あの、これ良かったらどうぞ」


 ド定番のふわふわ生地にクリームが入ったお菓子だが、神山さんは初めて口元を緩ませた。


 「え、いいんですか。じゃあありがたく頂きます。一応私とおばあちゃんで掃除してあるんで。またなんかあったら言ってください」


 神山さんはそう言うとさっさと家の中に入っていってしまった。


 「ありがとうございます」


 あわててお礼を言うが、届いているかは分からない。

 数少ないご近所さんになるのだろうが、仲良くやっていけるだろうかと不安になる。


 とりあえず荷物を広げたいので、我が家に戻ることにした。


 最近はすっかり見かけなかった引き戸の玄関ドアにカギを差し込む。少し硬い鍵を無理やり回すとガチャリと音を立てて鍵が開いた。

 少し力を入れてと扉を開くと、懐かしいなんとも言えない家のにおいが鼻をくすぐる。


 「今日からここが俺の家か」


 中は掃除が行き届いていて、歴史はありそうだが小綺麗だ。

 一階は風呂や台所、客間のようになっていて、二階が寝室らしい。

 とにかく一人暮らしにはぜいたく過ぎる広さだ。


 使わない家具などは自由に使っていいとのこと。とりあえず生活には困らなそうなので安心する。

 大きな木製の机や食器、布団などどれも遠い昔に見かけたような模様の入った品ばかりだ。

 ご丁寧に分厚いテレビまで置いてある。


 「はぁ、畳きもちいいなぁ」


 何も考えずに畳に横になる。

 初めは一生会社を呪ってやりたい気分だったが、これはこれでいいのかもしれない。


 移動に疲れてしまった俺はそのまま眠ってしまったようで、起きると外はすっかり暗くなっていた。


 ごはんを作る気力もないので、電気ポットでお湯を沸かし、カップラーメンを食べる。引っ越しそばならぬ引っ越しラーメンで腹を満たし、重い体に鞭を打って片付けの続きを始めた。


 「何やってんだろうな、俺は」


 我に返るとすぐに自分の情けなさが嫌になってしまう。その情けなさをかき消すように、必死に手を動かした。

 明日は自宅から持ってきた家電やネット環境などを整備しなくてはならない。考えるほど憂鬱になるので、押入れから古い匂いをまとった布団を引っ張り出し、今日は体を休めることにした。


 「お休み、俺」


 目を瞑ると虫の音色が聞こえてくる。都会の喧騒からは離れられたが、その分言いようのないむなしさが隙間に入り込んできてしまった。


 眠れずに漠然とした不安を抱えながら考え事をしていると、三田はいつの間にか眠りの世界にいざなわれた。




 「ここは私の家よ」


 遠くで女性がそんなふうに言っているように聞こえた。気のせいだろうか。


 「ねぇ、あなたも聞こえないの」


 やはり何か聞こえてくる。相当疲れているのだろう。夢でも見ているのかもしれない。


 「ねぇ、返事をして」


 段々と声がはっきりとしてくる。夢というものはこんなに鮮明だっただろうか。まるで近くで本当にささやかれているみたいだ。


 「これは最後の警告よ。今すぐここから出てって!」


 ヒステリックな叫び声に思わず飛び起きる。

 だが、周りには当然誰もいない、と、思っていた。


 「ぎゃぁぁぁ」


 俺は思わず情けない悲鳴を上げた。


 目の前には黒いスーツ姿の女が立っている。

 反射的に習ってもいないくせにボクサーの構えになる。

 髪を一本に束ねた気の強そうなスーツの女は、俺をまん丸い眼で見つめる。俺の反応に驚いたらしいが、驚きたいのはこっちの方だ。


 「どなた様ですか。ご近所さん?」


 田舎の近所付き合いは時に家の中まで入ってくるものだという同僚の話を思い出し、聞いてみる。

 しかし、女は静かに首を横に振った。


 「じゃ、じゃあ、どなた様ですか」


 背中から冷や汗があふれ腰の引けた俺を、その人は不思議そうな顔で見つめた。

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