「助けてくれ」
その日、親友の薫は真顔で私にそう言った。
「まさか、ここまで酷いことになるとは思っていなかったんだ。正直、俺も予想していなくて……自分の考えがどれだけ甘かったのかを、思い知らされているところでな」
「は、はあ?」
「早い話、このままだと俺は殺される。あるいは尊厳が潰される。それほどまでの危機だと思ってほしい」
整った顔が、真っすぐ私を見つめる。本当にどうしようもない、切羽詰まっている、焦っている――それがまさにありありとわかる表情で。
「頼れるのは、お前しかいない」
泣きそうな声が響く。
「お前だけなんだ……こうなった以上、信じることができるのは。他の奴らは誰一人信用ならない。裏で、俺を陥れるべくどんな画策をしているかわからない。……頼む、助けてくれ、この通りだ」
深々と頭を下げて、薫――俺っ娘の彼女は言ったのだった。
「とにかく俺を、恐怖のバレンタインデーから守ってほしいんだ!お願いだ、梨華!」
説明しよう。
ここは学校のトイレ。頭を下げている彼女は、男みたいな喋り方をしているが実際は超美少女なれっきとした女の子である。ついでに言うならここは女子高。私も含め、周囲には女性しかいないわけで。
なのに何故、バレンタインデーという話になるのだろう。
ここにはチョコを上げる対象となるような男子はいない。いや、女同士の友チョコなんかはあるかもしれないが。
「……まったく状況が呑み込めない」
周囲に誰もいないのは確認済み。とはいえ、休み時間にトイレでするような話なのか、これは。いや、教室だと他の誰かに聞かれるかもしれないから厳しかったとか、そういうことなのかもしれないが。
「何故にバレンタイン?……いちから説明してよ、薫。私ゃなんのことだかさっぱりなんだが?」
「す、すまねえ。いろいろ言葉が足らなかった」
そして、薫は「つまり」と付け加えた。
「このままだとバレンタイン当日に俺は殺されるから、お前に匿って欲しいって言ってんだ」
「1ミリも説明になってねえわ!」
本当にこの親友ときたら、成績はいいはずなのに言葉が不自由ったら。
とりあえずこれも友人の務めと、彼女の頭にツッコミチョップを入れたのだった。
***
まあ、ようするに、だ。
このあとパニックになりかけている彼女をどうにか宥めて話を聞きだしたところによると――。
「お前、二年生でうちの学校に編入してきただろ?親の仕事の都合で」
「ま、そーね」
実は、私は二年生からこの学園の生徒になったクチである。今まで地元の学校に通っていたのだが、生憎親が転勤することになって、いろいろ考えた末ついていくことになったのだった。
なんせ、うちの両親はどっちも同じ会社に勤務している。二人揃って転勤ともなれば、私が地元に残って一人暮らしするかついていくかの選択肢しかない。
正直なところ、その当時通っていた高校はあまり校風があっていなかったのだ。クラスでいじめ問題が起きて(なお私がいじめられたわけでもなければ無論いじめた側でもない)雰囲気が最悪に近い状況になっていたのである。
クラスの数も多くはないし、この雰囲気を引きずったまま二年生になるのちょっと嫌だな、と思っていた矢先に持ちあがったのが両親の転勤話だった。これ幸い、と私はその話に乗っかり、別の高校に転校することを決めたのである。編入試験は面倒くさかったが、それでも前の学校に居続けるよりはマシと考えたのだ。
で、今いるのが今時だいぶレアになった女子高。二年生で同じクラスになった俺っ娘キャラの薫とは、親友と呼んでも差し支えない付き合いをしていると思っている。女子ばかりというだけあって生徒たちもどこかフリーダムで、クラス全体も明るくなかなか楽しい場所だった。前の学校より若干偏差値が下がって授業そのものが楽になったというのも大きいが。
で、その薫が二月になって早々、こうして頭を下げてきたわけである。このままじゃ殺される、とかなんとか物騒なことを言って。
「俺、去年も大変なことになったんだ」
はあ、と短い髪を掻き上げる薫。制服を着ていなければ、その姿は完全に美少年のそれだ。声も少し低いので、私服で歩いていた時男子と間違われて芸能事務所にスカウトされたこともあったという。――電車の中、男性と勘違いされて痴漢と間違われた時はさすがにヘコんだそうだが。
「バレンタインデーの前日から、靴箱にその、フライングチョコが」
「フライングチョコ!?」
「靴が入らないくらいに溢れ、なんなら靴箱の前に積み上がっていて」
「前日の段階で!?」
思わず声がひっくり返る私。
確かに、女子高=男子がいないということで、女同士でちょっとそういう雰囲気になることがあるのは知っている。私はてんで女の子に興味はなかったが、そんな中宝塚スターみたいな美少年ルックの薫に人気が集まるのはまあわからないでもなかった。
ましてや彼女ときたらやることなすことイケメンなのである。成績はクラス上位、女子バスケ部ではエース、それでいて気遣い上手。まあ、うっかりそっちに走ってしまう子がいるのもわからないではないが。
「なお当日は、俺の家にトラックが来てダンボールが積み上がった」
薫は白目をむいて言う。
「おかしいよな……昔は連絡網とか回してたらしいけど、今そういうのないんだぜ?住所なんかクラスで配ってないだろ。俺も他のやつに住んでる場所なんかほとんど教えてないというか、精々年賀状やり取りしたことのある一部の奴だけのはずなんだ。……なんであんな多人数に知れ渡ってるんだろうな」
「怖い怖い怖い」
「でもって、チョコはその、あまりにも多すぎてとても俺と家族だけで食いきれなくてな。……こっそりオークションサイトで売る羽目に。結構な収入になっちまったぜ」
「生ものって売っていいとこだったのそれ?」
「そもそも中には、はっきり言って何が混ざってるのかもわからねえ濁ったジャムがまぶさったやばそうな手作りチョコとかもあったわけで」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
「なお、これが、当日朝の家での話だ。なお、メールとLINEの通知はオフにした察しろ」
「ぎゃああああああああああああああああああああ!」
どうしよう、既に話がヤバすぎる。
でもって、今彼女が言った通り、それは当日朝の話なのだ。当日、学校に行ったあとはどうなってしまったのか。
「それでも俺は学校に行った。嫌な予感はひしひしとしたが、だからってこんなことでズル休みしてもいいとは思えなくてな」
そしたら、と彼女の目が泳ぐ。
「電車の中で痴漢……ていうか痴女されたと思ったらバッグの中にいつの間にかチョコが入っていたり、駅からすでに十数人単位で尾行されてる気配があったり、正門を一歩潜ったチョコ後から怒涛のリアル鬼ごっこが始まって」
「リアル鬼ごっこってそれは捕まったら死ぬやつでは?」
「間違いなく死ぬな!」
「やけっぱちで明るく言わないでくれる!?」
その後のことはもう語りたくない、と薫はげっそりした顔で話を締めくくったのだった。お、おう、と私は言う他ない。その日一日、結局まともに授業や部活ができなかったのは明らかである。
とすれば、気になるのは。
「え、先生止めろよそれ……」
これだ。
生徒のあまりにも行き過ぎた暴走。もはやストーカーとか痴漢とか犯罪の領域である。先生から注意してもらうのが妥当なところだと思うのだが。
「それは無理なんだ」
薫は断言した。
「ストーカーの中に教職員が混じってる」
「ぐっぼお!?」
「うちの学校、先生の大半が女性だろ。……むしろ男性の先生が唯一の安全圏でな。結局その日は最終的に拝み倒して、当時の教頭先生に匿ってもらったんだけど」
「教頭!?」
「その教頭先生、翌日から学校来なくてさ。……何があったんだろな」
「教頭おおおおおおおおおお!!」
あかん絶対襲撃されとる。私はムンクの叫びみたいな顔になって思った。
ようするにそれは、先生を頼るとストーカー予備軍と巻き込まれ被害者に二分されるわけで――どっちにしろ無理、ということである。
そして数少ない安全圏という男性の先生たちにも止められないとか、女性陣のパワーがやばすぎる。はっきり言って、関わり合いになりたくないレベルなのだが。
「……今年から教頭先生代わったって聞いたけど、それって、そういうこと?」
私が恐る恐る尋ねると、「うん」と薫は涙目で頷いた。
「俺のせいで、まったく罪もない教頭先生が尊い犠牲になってしまった……こんなこと、許されるものじゃない!俺は、俺は本当に申し訳ないことをしてしまったと反省してるんだ。あんな悲劇、二度と繰り返したくない。だから、もう先生たちを頼るわけには……!」
「あの、もしもーし?」
ちょっとマテ。
私は顔を引きつらせて、彼女の肩を叩いた。
「その理屈で行くとさ。……薫を庇うと、今度は私が巻き込まれることになるよね?あんたそれはいいってなわけ?」
薫をかくまった教頭先生が恐らく女性達の怒りを買って沈んだ。なら、今度同じことをすれば天罰を受けるのは私ということになってしまうではないか。
正直に言おう、嫌すぎる。
「いくら親友でもね、命捧げるのはちょっと難しいんですよ、わかる?」
不憫だなと思う。モテるのはすごいが、薫の性的趣向が普通であることは知っている。男みたいな見た目をしているが、別にレズビアンということはないはずなのだ。
まあつまり、女の子にモテてもあんま嬉しくないだろう。私だってそうだ。それでストーカーまがいのことをされるのは実に可哀想だとは思う。思うけども。
「教頭先生はダメで、私が巻き込まれるのはいいってわけ?え?それで親友かい?」
「そうは言われても」
そんな私の言葉に、薫は困ったような顔をしてとんでもない爆弾を落とすのだった。
「もう梨華、巻き込まれてるし、狙われてるから今更だろ?」
「……ハイ?」
次の瞬間。
すぐ後ろで、爆発したような音が響き渡ったのだった。