温泉を出た後、小屋に帰って夕食を食べる。
ヴィヴィやフェムだけでなく、ミレットやコレットも一緒だ。
「今日は牛肉のシチューですよー」
「わふわふぅ」
モーフィーのおかげで、ムルグ村内の牛肉の価格がお安くなっている。
牛の肉はおいしいので、とても嬉しい。
温泉を満喫した日の夜はぐっすり眠れる。
温泉の効能なのかはわからない。
真夜中。フェムがむくりと起き上がった。
「フェム、どうした? トイレか?」
『…………』
「トイレならさっさと済ませるといいぞ」
『ちがう』
フェムの念話の声は少し緊張しているように感じた。
「じゃあ、どうしたんだ?」
『うむ』
フェムは耳をピクピクさせている。音に集中しているように見える。
俺とフェムが会話をしていると、ヴィヴィも目を覚ました。
「眠いのじゃ」
「寝てていいぞ」
「むみゅ」
素直にヴィヴィは眠りについた。
一方、フェムはベッドから降りる。尻尾がピンと立っている。
『呼ばれたのだ』
「だれに?」
『聞こえぬか? フェムの同胞の遠吠えが』
「……聞こえないけど」
耳を澄ませてみたが、俺には聞こえなかった。
だが、耳の良い狼には聞こえるのだろう。
『問題が起こったらしいのだ』
「ふむ」
『少し出かけてくるのだ。よいか?』
「いいけど……。何か手伝えることある?」
『気持ちだけいただくのだ。これは王としてのフェムの務め』
「そうか、頑張って来いよ」
俺はフェムを小屋の外まで見送ることにした。
小屋の外に出ると、フェムは馬よりも大きい本来の姿へと戻った。
「その姿を見るのは久しぶりな気がするな」
『そうでもないであろ』
初めて会ったとき、フェムはやせていて餓狼といった感じだった。
いまのフェムは精悍で力強くみえる。
『行ってくるのである』
「困ったらいつでも言えよ」
大きなフェムの頭をわしわしと撫でてやる。
『わかった。明日の夜ごはんまでには帰る』
そういうと、くんくんと俺のお腹当たりの匂いを嗅ぐ。
それから、頭をぐりぐりとこすりつけてきた。
しばらくそうしたあと、フェムは走り去った。
フェムの後姿が見えなくなってから、俺は小屋に戻る。
小屋の中には、俺とヴィヴィだけだ。
モフモフなフェムがいないだけでかなり寂しい。
「さて。寝るか」
俺はベッドに戻ると、目をつぶる。だが、なかなか寝付けなかった。
フェムが心配だったというのもある。
魔狼たちはそれぞれ一人前の魔狼。だから王である自分がいなくても大丈夫とフェムは言っていた。
にもかかわらずフェムが呼ばれたということは大きな問題がおこったのだろう。
巨大魔猪クラスの問題だったら、フェムは対処できるのだろうか。
とても心配だ。
俺が眠りにつけたのは明け方近くになってからだった。
夢を見た。
フェムが魔猪と戦っている夢だ。フェムは苦戦し、傷ついていた。
「アル! アル、起きるのじゃ」
「ああ、ヴィヴィ、おはよ」
「どうしたのじゃ? うなされておったのじゃぞ」
「すこし嫌な夢を見た」
「悪夢にうなされるとは、さすが下等生物じゃな!」
ヴィヴィはそんなことを言いながら、きょろきょろする。
「そんなことより犬ころはどこにいったのじゃ?」
ヴィヴィは昨夜は一度目を覚ました。だがすぐ寝なおしたので事情は分かっていないのだ。
「群れに問題が起きたとかで、森に帰った」
「ふーん」
ヴィヴィはそれ以上何も言わなかった。
いつもヴィヴィはフェムに怯えていたので喜ぶかと思ったが、そんなことはなかった。
ミレットやコレットたちと朝食を食べると、俺はいつもの衛兵の仕事をする。
いつも、近くを駆け回っているフェムがいないのが寂しい。
ヴィヴィは牛を見に行ったあと、俺のところに戻ってきた。
いつものように地面に魔法陣を描いている。
「はぁ」
「犬ころが心配なのかや?」
「夕食までには帰るって言ってたけど……」
「帰ると言っていたのなら、心配ないのじゃ」
それから地面を指さす。
「アル。これを見るのじゃ」
「む? これは……なんだ?」
「ふふん」
「いや、まじでなんだこれ」
少し理解できない魔法陣だった。
「これをおでこに描くと悪夢を見なくなるかもしれない魔法陣じゃ」
ヴィヴィはどや顔だ。
「そんな魔法陣があるのか……、知らなかった」
「当然じゃ。わらわがいま作ったのじゃからな」
「へーすごいな」
そういいながら、俺は魔法陣を解析した。
よくできている。
基本は、睡眠導入効果と解呪効果だ。それらを合わせて悪夢を見なくなる効果を発現させようとしたのだろう。
だが、
「この部分、こっちとつながってなくない?」
「む? つなげたら悪夢を消す効果が消えるのじゃ」
「でも、ここつなげないと、魔力の流れが分断されちゃうから」
「そうかもしれないのじゃが……」
魔力の流れが分断されれば、魔法陣として成立しない。
「ま、失敗は成功のもとだぞ」
「むむう」
俺はヴィヴィを適当に励ましておいた。
夕食の時間になった。
俺は小屋の外でフェムを待っていたが、帰ってこなかった。
小屋の外までミレットとコレットが来てくれる。
「アルさん。ご飯できましたよ」
「ミレット。いつもありがと」
「おっしゃん。フェム、帰ってこないの?」
「きっと忙しいんだよ」
「フェムちゃん、何事もないといいんですけど」
ミレットは心配そうにしながらコレットをぎゅっと抱く。
「フェムは魔狼王だから、大丈夫だよ」
「そうですよね」
ミレットもコレットも心配しているようだった。
もちろん俺も心配だ。
口に出さないが、ヴィヴィも心配しているように見えた。
フェム以外のみなで夕食を食べ始めたとき、
「わふわふ!」
小屋にフェムが飛び込んできた。昨日出て行った時と同じく大きいままだ。
息を切らしている。きれいな銀色の毛皮は泥にまみれていた。
そんなフェムにコレットが飛びつく。
「おかえり」
フェムはコレットの顔を舐めた。
「フェム、遅かったじゃ——」
『助けてほしいのだ』
「任せろ」
俺が即答すると、フェムは尻尾を振った。