父トリル・トルフは満面の笑顔だった。
「お待たせして申し訳ございません。伯爵閣下」
「全然待ってないよー。ぼくたちの方こそ急にきてごめんね?」
父トリルは大げさにぶんぶんと首を振る。
「そんな、何時であろうと、伯爵閣下の御来訪は我が商会の喜びでございますゆえ」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよー」
「もったいないお言葉でございます」
父トリルはちらりと俺の方を見た。
父トリルに対して、俺はアルフレッド・リント子爵だと明かしている。
そして、事情があって正体を隠していることも教えている。
だが、今は狼の被り物をかぶったままだ。気づかないかもしれない。
「ありがとう。戻ってくれてかまいません」
父トリルはこれまで俺たちの相手をしていた店員に声をかける。
「はい。伯爵閣下。お会いできて光栄でした」
「ありがとうね」
クルスは、握手するため手を差し出す。
感激した様子で店員はクルスと握手する。
そして何度も頭を下げながら、部屋から出て行った。
店員が出て行ったのを確認すると、父トリルは俺に笑顔を向ける。
「違ったら、申し訳ありません。リント子爵閣下ですよね?」
「やはり気づかれましたか」
俺は被り物を脱いで、それを机の上に置く。
そして俺は改めて頭を下げる。
「この前はありがとうございました」
「なんのなんの。我が商会にとっても良い取引でした」
父トリル相手には、牛肉を販売した。
そして、ムルグ村で使う日用品を大量に買い込んでいる。
最後に訪れたのは、ユリーナに恋人のふりをしてくれと頼まれる少し前だ。
「りゃあ」
シギショアラが俺の懐からもぞもぞ出てきた。
俺が机に置いた被り物に興味をそそられたのだろう。
「こ、これはシギショアラ大公閣下もおいででしたか」
「りゃあ?」
シギは狼の被り物を両手でつかみながら、首をかしげた。
父トリルには、シギとティミショアラを紹介してある。
「よくおいでくださいました」
「りゃ!」
シギ相手にも父トリルは深々と頭を下げた。
シギも見よう見まねで頭をぴょこッと下げた。
それから父トリルは俺とクルスに笑顔を向ける。
「ティミショアラ子爵閣下には、あれから何度かおいでいただきました」
「そうだったんですか」
「ごひいきにしていただいております」
シギの宮殿に行くと、ティミがお菓子を出してくれる。
そのお菓子はどれも美味しいものだった。
もしかしたら、トルフ商会で手に入れていたのかもしれない。
それから、父トリルはクルスに向けて言う。
「伯爵閣下、今回の御来訪は……支店の件でしょうか?」
「それも話したいことではあるんですけど……。今日は別の要件なんです」
「もにゅもにゅ」
クルスは俺をちらりと見る。
いつの間にかクルスの手をモーフィが咥えていた。
握手しているクルスを見て、咥えたくなったのかもしれない。
いつものことだ。
俺は気にせず話を進めることにした。
「実は我々は精霊石の売買取引を進めております」
「……精霊石ですか?」
「ご存じありませんか?」
「はい。その精霊石というのは、魔石とは違うのですよね?」
俺は机の上に大き目の精霊石を置いた。
「どうぞ、手に触れてご覧ください。害はありません」
「では、失礼して……」
父トリルは真剣な表情で精霊石を観察し始めた。
その表情は、ユリーナの父そっくりだ。
一流の商人はこういう目をするものなのかもしれない。
しばらく観察した後、父トリルは言う。
「大変綺麗な石ですが……」
「宝石としては不適ですよね」
「はい、そう思いました。宝石とは、別の価値があるのでしょうか」
「そのとおりです」
俺は小さな精霊石を改めて机に置いた。
「ちなみに我々が、この小さな精霊石につけた値段は……」
紙にさらさらと値段を書いて見せる。
「…………」
父トリルは言葉をなくしていた。
「驚かれましたか?」
「失礼ながら、はい。驚きました」
俺は精霊石の危険性なども軽く説明する。
「なるほど。それならば、高価な理由もわかります」
「ちなみに、トルフ商会としては買いたいと思われますか?」
「正直に教えて欲しいな」
クルスが笑顔で言う。
「……まことに失礼ながら」
「ですよね」
「ぼくも買わないと思うよー」
「もにゅ」
モーフィはまだクルスの手を咥えている。
フェムは大人しく俺の足元にいる。
そしてシギは俺の脱いだ被り物の中に入って遊んでいる。
父トリルは一瞬シギの方を見てから言う。
「閣下たちは、精霊石の買い手をさがしているわけではないのでしょう?」
「そうですね。買いたいという人はもう現れましたからね」
「では、なぜ私のところに……?」
「買いたいと言ってきている方が、トルフ商会の方だからです」
「…………」
父トリルはしばらく言葉を失っていた。
「……本当でございますか?」
「正確には、買い手を見つけてくれたという形ではあるのですが、買い手の情報は全く教えていただけないので」
「ぼくたちとしては、トルフ商会に売るという形になりますねー」
「たしかに、それならば、そうなりますね」
「額が額なので、本当にトルフ商会は買う気があるのか確かめに来ました」
クルスがそういうと、父トリルは険しい顔になる。
「その買いたいと言ってきたものは誰なのでしょう?」
「トクル・トルフさんですよ」
「愚息が……」
父トリルの顔はすこし引きつった。