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第20話

「アネッタ? あの方がミレーヌ様ではないのですか?」

「……わかりません」


 アネッタは、そうとも違うとも言わず、首をかしげるばかりであった。

 ただ、ルシアナにとって、彼女はやはりどう見ても未来の聖女ミレーユである。

 少なくとも、あのような子供と一緒に遊んだ記憶はない。


 ということは、ミレーヌではないということになる。

 ならば、本物のミレーヌは一体どこに?

 馬車を見ても、他に誰か乗っている様子はない。


 そして、謎の少女は、窓から死角の玄関に入った。


「お嬢様、ミレーヌ様がいらっしゃいました」

「え? ……わかりました。いま、伺います」


 アネッタは腑に落ちないものの、それでも家令に呼ばれてホールへと向かう。

 今、家令は確かにミレーヌと言った。


(ってことは、聖女様とは別人? 名前が似ているのも見た目が似ているのも偶然?)


 そう思っていたら、直ぐにアネッタが少女と共に戻ってきた。


「ルシアナ様、ミレーヌ様がいらっしゃいましたよ」

「お久しぶりです、ルシアナ様。シャルド殿下とのご婚約、おめでとうございます。お元気そうでなによりです」

「お久しぶりです……えっと、ミレーヌ様? ですよね?」

「はい、そうです」


 笑顔で頷く自称ミレーヌが笑顔で頷くと、アネッタも一緒に頷いた。


「そうなんです、この人はミレーヌ様で間違いなかったです。懐かしいですね、三人で王宮のパーティで一緒に遊んだ日が」

「そうですね。私も昨日の事のように覚えています。ルシアナ様も覚えていらっしゃるでしょ?」


 とミレーヌはその深紅の瞳をルシアナに向ける。

 そんな純粋な瞳で見られたら、覚えていないなんて言えない。

 でも、ルシアナにはこのような女の子と一緒に遊んだ記憶がまるでなかった。


「もしかして、ルシアナ様、私のことを覚えていらっしゃらないのですか?」

「……えぇ、ごめんなさい。あなたのような可愛い女性がいたら、絶対に覚えているはずなのですけど」

「ふふふ、私が可愛いだなんて、ルシアナお嬢様もお世辞がうまいですわね。でも、覚えていなくても構いませんわ。それなら、これから友達になればいいのです。それとも、公爵家のルシアナ様は、男爵家の私とは遊びたくありませんか?」


 ミレーヌはそう言って、不安そうに尋ねた。


(うわぁ、忘れていた私のことを責めもせず、それどころか友達になってくれようとするなんて。本当にミレーヌ様、可愛い。もう、ミレーヌ様が聖女様でもそうでなくてもどっちでもいいや)


 既にルシアナはミレーヌの虜になっていた。

 前世でルシアナが婚約破棄されたり、公爵家から追放されたりした直接的な原因は、その聖女なのだが、ルシアナは既に全部自分が我儘放題していたせいだと聖女を恨むつもりはまるでなかったし、未来ではむしろそれを望んでいるから、余計にどっちでもいいと思っていた。

 もしもミレーヌが聖女になったら、是非、婚約破棄するようにシャルド殿下に進言してくださいと願うほどである。


「遊びたくないはずがありません。是非、お友達になってください、ミレーヌ様」

「はい、よろしくお願いします、ルシアナ様」

「二人だけずるいですわ。私たち三人で友達ですわよ」


 ルシアナとミレーヌが手を握り合ったが、そこにアネッタが加わったため、握手ではなく、小さな輪っかになった。


「それで、ミレーヌ様、これからルシアナ様に屋敷を案内するのですけれど、一緒に行きますか? ミレーヌ様は前にもここに来たことがありますから、案内は必要ありませんし、お菓子の用意もしてありますから、先にそちらを召し上がられてもよろしいのですが」


 お菓子という言葉に反応したのは、ミレーヌではなくてルシアナだった。


(モーズ侯爵家と言えば、東部の国々との交易の玄関口。変わったお菓子もあるはずですわね)


 先にお菓子を食べたいとルシアナは思ったが、ミレーヌが笑顔で首を横に振る。


「私もお二人と行きたいです。お菓子はあまり興味がありませんので」

「あら、そうなのですか? あぁ、そういえば、ミレーヌ様はあまりパーティでもお菓子を召し上がりませんでしわたね。だから、そのようなほっそりとした体で。羨ましいわ」


 確かに――とルシアナはミレーヌの腰の括れを見て思った。


(ミレーヌ様と比べると、私、少し太ったかしら?)


 そして、直ぐに首を振った。

 確かにルシアナはお菓子を食べているが、その分、毎日トレーニングを続けている。冒険者になるために、こっそりメイスを振ったり、庭園でジョギングをしたりしている。

 きっと、これは太ったのではなく、筋肉がついたのだ。

 そう思ったのだが、流石にお菓子を食べる気にはならなかった。


「では、屋敷を案内しますね。といっても、ルシアナ様のお屋敷より遥かに小さいですが」


 と前置きをしてアネッタが屋敷を案内する。

 客室や応接室、書庫、食堂、厨房、侍女たちの控室等、アネッタの部屋など、様々な場所を案内してくれた。さすがに、モーズ侯爵の執務室と、離れにある宝物庫、武器庫などはアネッタでも勝手に入ったら怒られると言われたので、無理に入る事はできない。


「あちらの部屋は?」

「お母様の部屋です。お母様は私が生まれるより前に亡くなられていまして」

「え? それじゃあ」

「はい。私はお母様の実の娘ではなく、血筋ではお父様の姪、分家からの養子なのです。将来は隣国の第七王子を夫として迎え、このモーズ家を支えることになっています。この婚約は私が養子となる前に決まっていたことだそうで――」

「そうだったのですか――」


 とルシアナは思ったが、ふと不思議なことに気付く。


 ルシアナの記憶の中のアネッタとの交流期間は長かった。

 シャルド殿下との婚約以降は、殿下の気を引くため、王都から外に出ることも無くなったが、それでも、アネッタが王都に来たときは、よく一緒にお茶を飲んだ記憶があった。

 性格が悪くなっていくルシアナと違い、ちょっと貴族らしい平民に対する偏見はあるものの、子供のように純粋で、嫌いでは――本当に私はアネッタのことを嫌いではなかったのかしら?


 何かがおかしいとルシアナは思った。

 とても大切な、本当に大切なことを忘れている気がする。


「ルシアナ様?」

「……え?」

「ルシアナ様、どうなさったのですか?」


 アネッタが不安そうにルシアナの顔を覗き込んでいた。


「私は、アネッタ様のことが好きですよ」

「はい、私もルシアナ様の事が好きです」


 アネッタが笑顔で言う。

 ミレーヌも尋ねた。


「ルシアナ様、私のことはどうですか?」

「はい、ミレーヌ様の事も好きです」

「私も、ルシアナ様とアネッタ様、お二人の事が好きですわ」


 そう言って笑い合う。

 そして、ルシアナは笑顔の中に、その不安をしまいこんだ。

 自分がアネッタのことを嫌いになったはずがない、そう思って。


「ところで、アネッタ様。この扉はなんですか?」

「これは地下に続く階段です。地下には……あれ? 何があるのでしょう?」

「教会の地下には、墓所がありましたわね」


 とルシアナは修道女時代の記憶を思い出して言った。

 すると、アネッタが青ざめた顔で言う。


「まさか、この下にも墓所が?」


 アネッタは、いつも寝ている場所の真下に遺体が埋まっているかもしれないという恐怖のせいで震えが止まらない。


「いえ、あくまで教会の話ですから、さすがに無い……とは思いますが、どうなのでしょう」

「そんな! ルシアナ様、それでは私、不安で今夜眠れませんわ」

「ならば、確かめに行きますか?」

「お父様に止められているのですが――いえ、行きましょう!」


 アネッタは勇気を振り絞り、そしてルシアナに言った。


「ルシアナ様、先に行ってもらってもいいですか?」


 少しだけ勇気が足りなかったようだ。

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