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第163話

 トラリア王国東部の砦にて、レギナ王国との戦後の協議が進んでいた。

 現在は本交渉の前に行われる両国の文官による協議のすり合わせだ。

 話し合いは両国の代表によって行われるが、それでも事前に取り決められることは非常に多い。

 捕虜の引き渡しや新たな国境線の見直し、賠償金の請求諸々多岐に渡る。

 その交渉における一言が国の大きな利益、もしくは損益に繋がるため、緊張が緩まることはない。

 ただし、緊張はあくまでもそれが原因ではない。

 交渉のために揃った両国の文官はチラリとここにいるはずのない人物を見る。

 トラリア王国のフレイヤ王妃だ。


 敵国であるレギナの人間はもちろんだが、トラリア王国の人間ですら彼女がここに訪れることを事前に聞かされていなかった。

 特に何か言って来るわけではないのだが、彼女の持つ圧力は全軍を率いる大将軍にも比肩する。

 先ほどから書類作成に使われるインクの量よりも、文官たちから流れる汗の方が多いのではないかというくらいに話が進まず、緊張感だけが場を支配する。

 そして、彼女はニコリと笑うと、何も言わずに部屋を出た。

 鬼のいぬ間に洗濯と言えば無礼なのは承知であるが、両陣営の文官たちはこれ幸いにと一気に話し合いを進める。

 これまでこじれにこじれた交渉にも妥協案が出された。

 あの緊張感に戻されるくらいならば、とっととこのやり取りを終わらせたい。

 その話を部屋の外で聞いていたフレイヤは、ふっと笑う。


「これでよろしかったかしら?」


 フレイヤは部屋の外で待っていた男性――バルシファルに尋ねた。


「ええ、フレイヤ王妃。非常に助かりました」


 バルシファルがフレイヤに礼を言う。

 バルシファルは戦後処理の手伝いをしていた。

 それはこの地で最後まで祖国のために戦ったトールガンド王国の元将校の願いを叶えるためでもあった。


「本来ならば王であった妾の役目よ。あなたは気にしなくていいわ」


 フレイヤはそう言って「ふっ」と笑みを浮かべる。


「そういえば、冒険者ギルドに手紙を送っていたのよね? あなたのお気に入りの子を王立魔法学院に入学させてどうするつもり?」

「どこでそれを?」

「あら、ここは軍の施設よ。ここから出された手紙は検閲がかけられるわ。そして王妃である妾にはその手紙を読む権利が与えられるの」

「そうですか」

「顔色ひとつ変えないのね。そこはもう少し困った顔を浮かべてくれてもいいのよ?」


 フレイヤ王妃はそう言うけれど、別にバルシファルは彼女に知られたところで問題ないと思っていた。

 手紙の内容は、冒険者ギルドのギルド長のルークに、ギルドの推薦枠を使って魔法学院に入学させたらどうだ? というだけの簡素な内容で、特に深い意味を見出せないようにしている。

 シアがお気に入りの子だとフレイヤには知られてしまったが、彼女が本気になって調べたら手紙の検閲などしなくても調べられる。というより、とっくに知られていると考えていた。

 シアがヴォーカス公爵令嬢のルシアナ・マクラスだと知られているとは思わないが。


「それで、バルシファルはその子とどうなりたいの? 結婚は?」

「というより、彼女以外の異性に興味を持ったことはありませんからね。たぶん、これが好きという感情だと思います」


 バルシファルは初めて口に出した。

 それは本心である。

 彼にとって、彼女ほど興味の持てる異性はいない。


「結婚については考えていません。いまは近くで見ているだけで楽しいですから。それに、いまのままだったら不公平ですからね」

「不公平?」

「ええ、まずは彼にスタートラインに立ってもらいたいです」


 バルシファルは、恐らく今日も剣を振って自分に追いつこうとしているであろう甥――シャルドのことを思い浮かべて言った。

 彼がルシアナに恋をしているのは確かだ。

 ルシアナは気付いていない――というより妙な勘違いをしているらしいが、しかしシャルドの頑張りは事実だ。

 一方、フレイヤはバルシファルにそこまで言わせるシアの存在が非常に気になり始めていた。

 これは直接会って確かめたいと思うほどに。


(将来、妾の義妹になるかもしれないのだから仕方ないわね)


 フレイヤの悪い癖が出た。

 そして、彼女はシアに会うための算段を考え始めた。

 シアは王立学院に推薦入学する。

 ならば、入学前の面接として呼び出して会うことが可能なはず。

 そう思ったら彼女は即行動に移す。


 彼女がどう動いたかはバルシファルもわからない。

 だが、数カ月続いたトラリア王国とレギナ王国の事前交渉はその日のうちに終わることになった。

 しかも、レギナ王国側が大幅に譲歩する形で。


 そして、王都に帰ったフレイヤは、まずはシアに関する情報を集められるだけ集めた。

 ヴォーカス公爵家の従者の縁者で、彼を頼って王都に来る。

 ファインロード修道院の修道女であり、海の民がレッドリザードマンに襲われたとき、多くのポーションの提供をしたことで一部に名が知られることになった。というより、それより前の情報があまりにも少ない。

 ファインロード修道院に直接出向いて調べる時間はなかったが、しかしそこまで力のある修道女ならば他にも記録があるかと思ったが、何も見つからない。


(最新の情報だと、ヴォーカス公爵領で活動? 縁者の関係かしら?)


 魔法の腕もかなりのもので、治療を受けた冒険者の評判もいい。

 まず間違いなく、中級回復魔法は使えるだろう。

 魔法学院に奨学生として入学するための条件は十分に満たしている。


(でも、情報が足りない。バルシファルがあそこまで気になる何かがあるはず)


 フレイヤはそう思い、その日の面接に挑んだ。

 名目は王都に滞在する奨学生の意識調査というものだ。

 仮面を被り、王妃であることを隠し、シアが来るのを待つ。

 もっとも、それに付き合わされる学院の職員と、さらにはフレイヤがシアに執心していることを気付かれないためにカムフラージュとして呼ばれる王都滞在の奨学生からしたらいい迷惑だが。

 面接は滞りなく進んだ。

 フレイヤも当然、面接官として一通り仕事をした。


(今年の奨学生は質がいまいちね……あぁ、でも付与魔法を使えるコリーヌっていう子は興味深いわね。あの子はしっかり鍛えれば化けるわ)


 と紙に要チェックの印を入れる。

 そしてとうとうシアの番が来た。

 扉がノックされる。

 こちらが返事をすると彼女は入ってきた。

 修道服を着た可愛らしい女の子。


「受験番号51番シアです」


 彼女はそう名乗った。

 それを見て、フレイヤは――


(この子、ルシアナ嬢よね?)


 一瞬でシアの正体に気付いた。

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