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第24話 お隣の女神サマが人間不信になったワケ

 8時じゃないけど森実生徒会役員が全員集合した、我が大神ハウスにて。


 本日のパーティーの主役であるワタクシ、大神士狼はケーキを作るべく、材料を持って意気揚々とキッチンへ移動する古羊たちのあとを、いそいそと着いて回っていた。


 高いレベルで『男子厨房に入らず!』を実践し、断固として料理の腕を振るってこなかった古き良き日本男児の俺だが、今回ばかりはそうも言っていられない。


 なんせ今日の主役だから。今日の主役だからっ!


 やる気バリバリっ!


 さぁ、やるぞっ!


 と腕まくりしたところで。




「あっ! ししょーは、ソファーで待っててね?」




 という、よこたんからのありがたいお言葉を受け、キッチンから追い出される今日の主役。


 俺の歓迎会なのに疎外感が半端じゃない件について……。


 確かに昨今『追放系』は人気のジャンルの1つだけさ? された方はたまったもんじゃないよ?


 でもまぁ唯一の救いは、戦力外通告を受けたのが俺だけじゃないってことだよね。




「んでっ? なんでおまえも『こっち側』にいるわけ? なになに? おたくも料理できない人だったの? バイオ兵器とか製造しちゃう、お茶目な女の子だったん?」

「……洋子に言われたんですよ。『メイちゃんも疲れてるだろうから、ソファーで休んでいていいよ』って。まったく、1人だけ罪悪感が半端じゃありませんよ」




 我が家のソファーにどっしりと腰を降ろし、にっこり♪ と笑顔を崩すことなくサラリッと愚痴をこぼす古羊。


 先輩たちが居る手前、いつもの仏頂面が出来ないのだろう。会長スマイルでキッチンを眺めながらボケーとしていた。


 う~ん、やはりまだ本調子じゃないんだろうなぁ。


 なんせ言葉の節々から「疲れ」が滲み出ているように聞こえてくるし。




「ところで大神くん? 立っているならもう少し右にズレてくれませんか?」

「? 別にいいけど……」

「もうちょっと右に、そうそう、そこです。ありがとうございます。――はぁ、疲れた。なんで休日まで大神くんと顏を合わせなきゃいけないのよ?」




 天使の微笑みから一転。


 気怠そうにため息をこぼしながら、自分の顔をムニムニとマッサージし始める古羊。




「おいおい、素が出てるぜ会長? 大丈夫か?」

「問題ないわ。その位置からなら大神くんが壁になって、みんなに見られる心配はないし。それにみんな、ケーキ作りに集中してるから平気よ」




 言われてキッチンの方に視線を移す。確かにみんなケーキ作りに集中しているみたいで、いつも必要以上にうるさいあの廉太郎先輩でさえ、黙ってメレンゲを泡立てていた。


 あの調子なら確かにコッチの様子に気を配るヒマはないだろう。


 なら運よく2人っきりになったことだし、この時間を利用して『例の件』について聞いておきますかな。




「なぁ古羊」

「あによ?」

「おまえさ、あの『元カレ』――佐久間と昔、何かあったワケ?」

「……随分、直球な質問ね。もうちょっと遠回しに聞けないわけ?」

「いや、遠回しに妹ちゃんに聞こうとしたら『メイちゃんに、直接聞いてみて』ってボカされたからさ。なら言われた通り直接聞いてやろうかと」




 古羊は何とも気だるげな視線で俺を睨みあげると、これみよがしに「ハァ……」とため息をこぼした。




「そう言われて、アタシが素直に答えると思うワケ?」

「でも答えて貰わにゃ、コッチが困るし」

「なんでアンタが困るのよ? 意味が分かんないわ」




『ハァ? アンタばかぁ? 童貞?』みたいな目で見られた。


 コレが元気だったら今頃、往復ビンタの刑に処しているところだ。


 もちろん紳士であるところの俺は、往復ビンタを繰り出したい衝動をグッとこらえて辛抱強く会話のキャッチボール、いやジャイロボールを続ける。




「だって、答えはおまえしか知らないワケだし」

「答え? 答えってなによ?」

「そりゃもちろん、おまえが不調の理由だよ」




 若干敵意が溢れていた古羊の顔色がギクッ!? と強ばったのが分かった。


 やっぱり本人も自覚していたらしい。


 正直、他人の過去を詮索するのはイイ男である俺の趣味ではないのだが、事情が事情なだけに今回は思い切って踏み込んでいこうと思う。




「佐久間に会ってから、おまえ目に見えて調子崩してるだろ? 多分この歓迎会も、おまえのための慰安会いあんかいだと思うぜ。じゃなきゃ、あの羽賀先輩が俺みてぇな性欲モンスターの家なんかに来るかっての」

「よく自分をそこまでけなせるわね……」

「うるせぇ、うるせぇ。とにかくみんな、おまえのことを心配してるんだよ。だからさっさと理由を話せ。もしかしたら解決できるかもしれねぇし、解決できなくても、話してスッキリするかもしれないだろ?」

「……ハァ、アンタって案外お節介だったのね」




 古羊はしばらくためらうように逡巡しゅんじゅんした様子を見せていたが、やがて自嘲気味な笑みを溢して天井をあおいだ。




「大神くんはさ、誰かに『恋』したことって……ある?」

「はっ? ……はぁっ!? な、なんだよ、いきなりやぶからスティックに!? セクハラか!?」

「なんでこれがセクハラになるのよ……。いいから答えて。恋、したことあるの? ないの?」

「そりゃ……あるよ。俺も健全な男子高校生ですし? うん」




 古羊から顔を逸らし、ついでに唇も尖らせる。


 きっと今の俺の顔は、気恥ずかしさのあまり真っ赤になっているに違いない。


 この世に生を受けて16年と8カ月、太宰治も鼻で笑うくらい恋多き人生だった。


 なんせつい1カ月前までは、YOUに恋しちゃってたんだからな! とは恥ずかしいから言わないでおいた。


 そんな俺の態度を茶化すでもなく、「そっか」と表情の読めない顔で答える古羊。




「ねぇ、恋ってどんな感じなの?」

「ど、どんな感じって……」

「アタシね、実を言うと初恋もまだなの。だから恋って感覚が分からなくて……ねぇ、どんな感じ?」




 どこまでの澄み切った瞳が俺を捉える。


 えっ、なにこの羞恥プレイ? 


 これが佐久間とどう関係があるのかは分からないが、答えてあげるが世の情けというもの。


 俺はつい1カ月前のラブリーチャーミーな気持ちを思い返しながら、たどたどしい口調でこう返した。




「その……相手のことが愛おしくなったり、その人が笑顔だと自分も嬉しくて、声が聞ければハッピーで、そんで顔を見たら沸騰したように頬が熱くなって、話しかけてくれたら心臓が飛び跳ねそうで、他の奴と仲良くしてたら胸がチクチクして超いてぇとか……そ、そんな感じだよ」

「ふーん、よく分からないわ。あとは?」

「あ、あと? あとはそうだなぁ……かねが鳴るんだよ」

「鐘……?」




 小首を傾げる古羊に「おう」とぶっきら棒に頷く。




「こう……体の奥からドキドキって早鐘が鳴ってさ? 心が『この人だよ』って教えてくれるんだよ」




 言っていて顔がさらに熱くなってくる。


 今にも顔から火が出そうだ!


 なんで俺は同級生にこんな恥ずかしいことを赤裸々に語っているんだ!? 


 あぁ、今すぐベッドに横になってゴロゴロしたい!


 枕に顔を埋めて「君が好きだ!」と叫びたい!


 そしてそのままバスケがしたい!


 そんな恥ずかしがる俺の横で、古羊はやっぱり分からないといった表情を浮かべていた。




「……大神くんって、案外乙女なのね」

「誰が乙女だって?」

「あぁ、ごめんなさい。気を悪くしないでおと女神めかみくん」

「誰が乙女神だって?」




 こ、この女っ!?


 恋がどんな感じか知りたいって言うから、我が身を削ってまで教えてやったっていうのに……ッ!


 これがもし元気だったら2、3発シバいているところだ。


 古羊はひとしきり恥ずかしがる俺の顔を見て、ケラケラ笑ったあと。




「……さっきも言ったけど、アタシは恋っていうのを知らないのよ。だから中学時代は誰かを好きになるとか、付き合いたいとか、恋人になりたいとか興味がなかったし、持てなかったのよ」




 古羊は感情を切り離した声で、淡々と昔のことを語りはじめた。




「でもアタシってほら、自他共に認める美少女でしょ? だから結構男子からモテたわけ。ラブレターだって腐るほど貰ったし、告白だって数えきれない程たくさんされたわ。でも中学生のアタシはそういう恋愛ごととか興味なかったし分からなかったから、全部断っていたのよね」




 ただまぁ、それが魅力的に映ったのかどうかは知らないけど、中学2年に進級したてのある日、アタシは彼に……佐久間くんに告白されたの。


 まるで口にするのもはばかられるように、顔をしかめる古羊。


 だというのに、口調はやっぱり淡々としたもので、




「佐久間くんとは2年で同じクラスになってね。始業式の日に、みんなの居る教室のど真ん中でアタシに告白してきたの。なんでもアタシの姿を見て、一目で好きになったんだってさ」




 まあ確かに、佐久間くんはアタシ好みの顔だったし、告白されて満更でもなかったけど、それでもそのときのアタシはいつも通り断るつもりだったの。


 でも周りの女の子たちが「うらやましい、うらやましい」って何度も口にするもんだから、優越感っていうの? そういうの感じちゃってさ。気がついたらアタシも「別にOKしてもいいかなぁ」って感じになってた。


 場の雰囲気に流されたってわけね――と古羊は語った。




「それでまぁ、アタシもその場で了承して、晴れてアタシたちは付き合うことになったのよ。何度か電話したり、どこかへ遊びに行ったりもしたわ。……でも、なんでかしらね? アタシは佐久間くんのことを、どうしても好きにはなれなかったの」




 あの値踏みをするようなネチっこい視線。


 時折見せる粘着質な笑み。


 それがどうしても心に引っかかって、心の底から好きになれない。


 いつも隣にいて居心地が悪かったわ、と目を伏せながら答える古羊。




「それでもそれなりに上手くやって、付き合い始めて1カ月くらい経ったある日、あの事件が起きたの」

「あの事件?」




 古羊は苦笑気味に笑みをたたえながら、コクリッと小さく頷いた。




「佐久間くんに、今両親が2人とも出張に出かけていて、家には誰も居ないから、遊びにこないかって誘われたのよ」




 古羊はそこで嫌な予感がしたらしく、佐久間の申し出を強く断ったらしい。


 だが佐久間は聞く耳を持っていなかったらしく、無理やり家まで連れて行かされたとのこと。




「それで結局、佐久間くんの家に上がることになったんだけどね? 玄関を開けて、中に入った瞬間……襲われたのよ、アタシ」

「はっ?」

「だから、襲われたの。性的な意味で」




 その瞳はゆっくりと感情が失われていくように、濁っていく。


 ゆっくり、ゆっくりと、海底に沈んでいくように。


 感情を押し殺すように。


 分からない、古羊の気持ちが分からない。


 俺はそれが妙に怖くて、仕方がなかった。


 それでも古羊の話は続いていく。




「逃げようとするアタシを強引に抱きしめて、その場に押し倒したわけ。んで、怖くなったアタシが腕を無茶苦茶に振り回してたら、偶然佐久間くんの顔をビンタする形になってね。頬を殴られた佐久間くんが、一瞬ポカンッとした顔をしたかと思ったら、次の瞬間には急に怖い顔になって、右手を振り上げたの」




 古羊は大きく息を吐きだし、つまらなそうに言った。




「そこから先はもう一方的ね。怒鳴り声を上げながら、何度も何度もアタシを殴ったわ。顔やらお腹やら背中やら……。アタシも最初こそ抵抗はしたけど、だんだん怖くなってね。最後には小さく体を丸めるだけ……嵐が過ぎ去るのを待つ子どものように、ね」

「…………」




 何も言えなかった。


 あまりにも壮絶すぎて、何を言っていいのか分からない。


 今の古羊には慰めの言葉さえもチープに聞こえそうで……何も言えない。思いつかない。


 それでもなお、古羊の独白は続いた。




「赤く腫れたみっともないアタシの顔を見て、佐久間くんが『興が冷めた、帰れブス』って言い残してアタシを家から追い出したわ。それからどうやって実家に帰ったかは覚えていない。ただ気がついたら、ずっと部屋に籠って子どもみたいに泣き散らかしていたのは覚えてる。幸いにも次の日からはゴールデンウィークだったし、誰にも顔の腫れを見られることはなかったわ」




 俺は古羊の言葉の重みに、何も言えなくなっていた。


 そんな俺を見て、何を勘違いしたのかバツが悪そうな顔を浮かべる。




「……アタシだって悪かったと思っているのよ? 好きでもない相手と雰囲気に流されるまま付き合ったんだから。もしかしたら佐久間くんは、そんなアタシの気持ちに気づいてイライラしていたのかもね。つまり、どっちも悪かったってわけ。だから別に佐久間くんを恨んだりはしていないわ」




 違う、それは違う。


 理由はどうであれ、佐久間とかいうクソ野郎は古羊に暴力を振るったのだ。


 悪いのは、どう考えても佐久間の方だ。


 そう言いたかったのに、声が出ない。


 出てくれない。


 純粋なまでの悪意が腹の底に溜まり、のどを震わすことを阻止しているかのようだ。


 俺の脳裏に生徒会室で出会った佐久間の笑みが、フラッシュバックする。


 あの爽やかな笑みが、今ではもう気持ちの悪いモノにしか見えない。


 なんでそんなコトがあったのに、アイツは平然と古羊コイツに声をかけられるんだよ?


 意味がわかんねぇ、まったくわかんねぇ。


 俺には1つも理解出来ねぇよ、チクショウ……。




「まあ、別にそれはいいのよ」

「それはいいって、おまえ。……よかねぇだろ?」

「いいのよ。それはもう気にしてないし。……それよりも、本当の地獄はここからだったのよ」




 古羊の寂しげな声が、俺の思考を停止させる。


 ふぅ、と弱いため息をつく古羊。


 その表情はどこか諦観ていかんしたようなものを感じさせ、背筋が寒くなった。




「ゴールデンウィークも終わり、2日くらい経ったかな? やっと顔の腫れも引いたから、久しぶりに学校に登校してみたら……クラスメイト全員が冷たい目でアタシを見てきたのよ」




『おはよう』って挨拶しても、返ってくるのは侮蔑ぶべつの視線と嘲笑ちょうしょうだけ。


 みんな黙ってアタシから離れていくの。


 あんなに仲の良かった友達が、クラスメイトが……みんなアタシを無視するようになったのよ。


 その日から友達も、クラスメイトも、先生も、みんな、アタシの知らない別の『ナニカ』に変わってしまったわ……。




「……な、なんだよソレ? 意味わかんねぇよ?」

「でしょ? アタシだって意味がわからなかったもの。でもね? すぐにその理由が分かったわ。アタシが知らないうちにね、学校にある噂が流れていたの」

「ある噂?」

「そっ。アタシが家に引きこもっている間に、佐久間くんが悲しみに打ち震えながらみんなにこう言って周ったんですって」




 ――古羊芽衣は簡単に男に股をひらく淫乱な女だ。


 ――自分の性欲を解消することしか頭にない、いやらしい女だ。




 佐久間くんは、自分がそんな彼女(アタシ)の性欲を満たすための男の1人にすぎないってことを知って、とても傷ついたらしいって……。


 アタシが引きこもっている間に、そんな根も葉もない噂話うわさばなしが学校中に広まっていたのよ。




「どうして佐久間くんが、そんな嘘を言ったのかは分からない。……でも、みんなは佐久間くんの言葉を信じた。信じてしまったの。あの佐久間くんが嘘をつくわけがないって……そしてアタシはクラスメイトから、学校から居場所を無くしたわ」




 あんなに信頼していた友達は。


 仲の良かったクラスメイトは。


 心を開いていた先生は。


 誰ひとり、アタシを信じてはくれなかった。




「……ショックだったなぁ。もしかすると、佐久間くんに殴られたときよりも、ショックが大きかったかもしれないわね。『どうして? どうして?』って、何度も泣いちゃったし。もう涙が出ないくらい泣き腫らしたわよ」




 そこから先の学校生活はまさに地獄だったわ、と古羊は紡いだ。




「仲がいいと思っていた女の子の友達には陰湿なイジメを受けたし。知らない男の子に無理やり物陰に連れて行かされて犯されそうになったり。果ては噂を真に受けた男の先生から援助交際を持ちかけられたり……ほんと散々だったわ」




 古羊は不自然なくらい、ニパッ! と笑みを浮かべた。




「それでね、折れちゃったの。ポッキリと。アタシの心が。気がついたら学校にも行かず、家に引きこもっていたわ。1人ぼっちで。誰も信じることが出来なくなってしまったから」

「…………」




 頭をガツンっ! と鈍器で殴られたかのようなショックが、俺を襲った。


 男に殴られただけでも相当ショックだったろうに、嘘の噂を流されて、それまで仲のよかった友人やクラスメイトからも白い目で見られる。


 言われのない誹謗中傷を受けて、助けてくれる先生も居ない。


 そのときに負った傷は、どれほど深いものなのだろうか。


 その深さを想像するだけで、足がすくんでしまう。


 何か言わなきゃとは思うのだが、こういうときに限って舌が瓶詰めされたかのようにピクリとも動いてくれない。


 いつもは余計なことをペラペラ口にするくせに。


 そんな自分に腹が立つ。




「でもね、どん底にも救いはあったのよ」

「えっ?」

「みんながアタシから離れていくなか、洋子だけはずっとアタシの傍に居てくれた。洋子だけが、ただ1人、アタシを信じてくれていたの」




 古羊は先ほどとは違う自然な笑みで、




「きっとあのとき洋子が居てくれなかったら、アタシは今を生きていなかったかもしれないわね。だから、あの子には感謝してもしきれない恩があるの」




 キッチンで一生懸命ケーキを作っている妹を優しい目つきで見守りながら、古羊は力強い口調で口をひらいた。




「アタシはね、あの子のためなら一肌でも二肌でも脱いで、挙句あげくの果てにはマッパになってもいい覚悟で人生歩んでんのよ」

「おいおい? マッパになったら魔法パッドズレる――ぷぎゃっ!?」

「ふふっ♪ 相変わらず、余計なことばかりペラペラ喋るお口だこと。その舌、引きちぎっちゃうわよ?」




 ガッ! と片手で勢いよく頬を掴まれタコ唇にさせられる俺。


 見ると古羊の視線が慈愛に満ちたソレから、もはや有名過ぎて逆にチープに聞こえてしまう名狙撃手『クリス・カイル』の獲物を狙う目のソレに切り替わっていた。


 どうして俺はこう、彼女の地雷原を的確に全力疾走してしまうのだろうか?


 もしかして俺は彼女の心の地雷処理班なのかもしれない。




「んん~っ? なんだかソッチ楽しそうだねぇ? 何をしてるの?」

「別に何もしていませんよ、狛井先輩。ただ大神くんの顔にほこりがついていたので取ってあげていただけです。ねっ、大神くん?」

「はい、その通りです……ごめんなさい」




 キッチンから廉太郎先輩に声をかけられた瞬間、一瞬でドスの効いた声から可愛い女の子の声へとマジカル☆チェンジする古羊。


 その変わり身の速さと言ったらもう、精神が心配になるレベルだ。




「……先輩たちが居るから今回はこれで勘弁してあげるけど、次、舐めた口を叩いたらその口、縫いつけちゃうからね?」

「イエス・ボス」




 俺にしか聞こえないドスの効いた声音でそう呟きながら、ぶるんっ! と力強く我が玉のような肌から手を離すメイ・コヒツジ。


 この場に先輩方が居なければ、いったい俺は何をさせられていたのだろうか? とあったかもしれない未来に背筋をゾクゾクさせながら、詫びるような口調で彼女に向かって言葉を紡いだ。




「イタタ……ほんと悪かったよ。お詫びと言ってはなんだが、何かあったら俺を呼べ」

「はっ? なんで?」




 純粋に意味が分からない、とでも言いたげにその整った眉根を不審そうに寄せる古羊。


 俺はそんな彼女の言葉を無視して、勝手に話しを進めた。




「どこに居ても構わねぇ。どんな形でも問題ねぇ。思いっきり、腹の底から俺の名を叫べ」




 そうしたら。




「世界中のどこに居ても、必ず助けに行ってやんよ」

「…………」




 古羊は一瞬だけポカンッとしたあどけない表情を見せたが、すぐさま胡乱気うろんげな瞳で俺を睨みながら、




「……ハッ!」




 と、これみよがしに鼻で笑った。




「なんでアタシがアンタに助けて貰わなきゃいけないのよ? 理由がないし、意味がわからないわ」

友達ダチを助けるのに理由なんかいるかよ。おまえだって古羊が危ない目に遭ったら、損得勘定を抜きにして助けに行くだろうが」

「……まぁ、ね」




 痛いところを突かれたのか、少しだけ表情を歪ませる古羊。


 だがすぐさま気を取り直したのか、「ハンッ!」と鼻を鳴らしながら皮肉交じりの笑みを浮かべた。




「アタシを『助ける』なんてどうせ無理だろうから、気持ちだけはありがたく受け取っておくわ。気持ちだけは、ね」

「相変わらず一言多いヤツだなぁ」

「お互いさまにね……っとぉ」




 古羊がグッ! と大きく背を伸ばし、その見事に盛られたハリボテおっぱいを本物さながらにぷるぷるさせながら(どういう技術なのアレ?)、ゆっくりとソファーから立ち上がった。




「何か話したら、ほんとにスッキリしたわ。ありがと」

「そうか? ならよかった」

「さてっと、それじゃアタシたちもキッチンへ行きましょうか? ただジッと待つなんて性に合わないし」




 そう言って軽い足取りでキッチンへと向かう古羊。


 そんな彼女の後姿を眺めながら俺は大きく息を吐いた。


 結局、何も解決なんかしてはいない。


 してはいないが、どうやらいい気分転換にはなったらしい。




「今日のところはこのあたりが妥当かな」




 ……なんて、思っていたのが間違いだった。


 このとき俺は、もっと佐久間について警戒していればよかった。


 なぜ今頃になって佐久間が古羊に接触してきたのか?


 なぜ春先に古羊が他校の女子生徒に襲われたのか?


 もっとまじめに考えていれば、あんなことにはならなかったかもしれないのに。


 俺は知らなかったのだ。




 ――もうすでに過去の亡霊が、足下まで近寄ってきていることに。

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