「お母さん、優しそうな人だったね」
「そう? 母さんは怒ると結構怖いんだよ?」
そう言って一樹は笑った。
食卓には私の作ったカレーと、ちぎったレタスとゆで卵で作ったサラダ、野菜スープが並んでいる。
一樹の家で食事を作ることも増えてきて、いくつか私の買い足した調味料がキッチンに置かれている。学校が終わってバイトをした日は自分のアパートに帰ったが、バイトが休みの日は一樹のマンションに来ることが増えていた。
「今日のご飯もおいしいよ。ありがとう、七海さん」
「……良かった」
作ったものを温かいうちに、おいしそうに、嬉しそうに食べてもらえることが、こんなに心が温かくなることだって、私は知らなかった。
二人で過ごす時間を重ねる間に愛しい、という気持ちが私にも芽生えてきた。だけど、お互いにお金で買ったこと、買われたことを考えると、その気持ちを素直に認める気にはなれない。
「あ、そうだ。七海さんに渡したいものがあるんだ」
「何?」
一樹は食堂の脇に歩いていくと、置いてあったカバンから何かを取り出した。
「七海さん、これ、もらってくれる?」
「……カード?」
「うちのマンションのカードキー。暗証番号は……」
「ちょ、ちょっと待って! そんな大事なもの、受け取れない!」
「大事だから、君にもらってほしいんだ……それとも、迷惑?」
「迷惑なんて……」
私はカードキーを受け取ると、財布にしまった。
「恋人なら、合鍵くらいもっているよね」
私はそういうことかと、がっかりして、がっかりした自分に驚いた。
「……分かった」
「よかった、受け取ってくれて」
一樹の笑顔を、素直に喜べない。
その「よかった」は、どういう意味なのだろう。
恋人のふりを続けてくれて「よかった」なのか、本当に合鍵を持てる仲になれたことが「よかった」のか。私には一樹の心が、わからない。