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祈りの文香
祈りの文香
はじめアキラ
恋愛現代恋愛
2025年06月06日
公開日
2.5万字
完結済
――でも、いくら腹が立つ奴だからって……あんないじめしていい理由なんかないじゃない……!  大学のサークルでいじめに遭い、命を絶った文香。幽霊になった文香はいじめ主犯である由美香に復讐を決意する。だが、まだ力が弱い幽霊の文香は、簡単に健康な由美香を呪い殺すことはできない。  そこで目を付けたのは、由美香の兄である百合人。彼は心臓の病で長年入院している身だった。兄を溺愛する由美香を見て、百合人を殺せば妹を苦しめることができるのではと思う文香。しかし、百合人はなんと文香のことが見えていて……。  幽霊と病人。何より彼は憎い女の兄で、けして結ばれることはない存在。それでも次第に文香は百合人に惹かれていくようになってしまい……。

<1・いじめる。>

『あはははははははははははは!』


 悪意のある笑い声が響き渡る。私はずぶぬれになりながら、トイレの床に嘔吐を繰り返していた。

 周囲を取り囲む女性たち。彼女たちの目にあるのはきっと、ムカつく奴を排除できる歪んだ喜びだけだろう。


『う、うええ、えっ』


 私は吐きながら思った。どうしてこんな目に遭わされなければいけないのだろう、と。

 大学のこのトイレに連れ込まれて、トイレの便器にたまった水を飲めと強要されて。最終的には、トイレ掃除をするための汚い道具と汚れた床を舐めさせられた。排泄物を直接口にしたわけではないが、それでも匂いと悪寒は拭えない。砂も口に入った。吐き気と悪寒で戻してしまうのは仕方ないことだろう。

 床にさっき昼ご飯で食べた炒飯の残骸が広がっている。あんなに美味しかったのに、と思うとまた涙が出た。どうして自分は、こんな惨めな思いをしなければならないのだろう。私が何をしたというのだろう。


『吐いたもの、自分で掃除しなさいよお文香ふみか?本当に臭いったらないわ』


 リーダーの女――太田由美香おおたゆみかが悪意のこもった声で言う。


『これに懲りたら、もう二度と空気壊すような真似しないでよね。あんたのせいで、サークルの雰囲気悪くなって本当に最悪なんだから』

『そうそう』

『あんたみたいなのが一人いるせいで全然楽しくないったら。ちょっとは反省してよね』

『ねー』


 少女達が口々に言う。私は蹲ったまま、涙をこぼし続けるしかなかった。彼女達が笑いながら立ち去ったあとも暫くそうしていた。

 逆らうことなんかできない。だって、この間服を全部脱がされて、裸で恥ずかしい踊りをするところを撮影されたばかりだ。あれをネットでバラ撒かれたら何もかも終わってしまう。でも、自分は一生あの動画をネタにして、あんな連中に脅されつづけなければいけないのだろうか。


――どうしろっていうの。


 昔から憧れだった軽音部。音楽に興味があったから入ってみたら、そこは思っていた場所と全然違っていた。初心者で演奏が上手ではなかった私はいつも先輩たちに叱られてばかり。それだけならまだ妥当だったが、しまいには荷物運びや準備で手際が悪いこと、みんなと喋っている時に空気を読めないことなどなどを挙げ連ねられ、孤立することになってしまったのである。

 確かに、私は空気を読む、というのが得意ではない自覚がある。みんながせわしなく動き回っている時、指示がないとどうすればいいのかわからなくて動けないことが多いのも確かだ。しかし、だからといって毎日のように「空気を読め」「お前のせいで空気が悪くなる」と言われても、一体どうやって改善すればいいというのだろう。

 最終的に、一部の者達が私をサークルから追い出すためにいじめを始めたのだった。トイレの個室のドアを壊されて、股間丸出しで用を足しているところの写真を撮られたのが始まり。それからもっと酷い動画も撮られて、今に至るというわけである。

 そのうち、私は殺される。最初はサークルから追い出すという目的だっただろうに、サークルをやめた今も「また入ってくるかもしれないから」なんて因縁つけられていじめられ続けているのがいい例だ。次は、排泄物を食わされるかもしれない。もっと酷い性的暴行を加えられるかもしれない。

 もう、耐えられない。


――もう、いいや……。


 私はびしょぬれの姿のまま、ふらふらとトイレの窓に近づいた。


――なんかもう、どうでも、いい。


 そして――四階の窓から飛び降りて、命を絶ったのである。




 ***




 死んだあとも、私の意識は残り続けた。どうやら自分が地縛霊的なものになってしまったらしい、と自覚したのは少し過ぎてからのことである。

 もう体を襲う痛みも、悪寒もない。家族を悲しませてしまったことだけは申し訳なく思うが、今それ以上に心を占めるのは純然たる怒りだった。

 自分はこんなに苦しめられて死んだのに、何故いじめ加害者たちは何の罪も問われずに生きているのだろう?いじめの存在自体が誰にも発覚せず(こうして思うと遺書くらい残しておけばよかったのかもしれない。が、あの時はそんな冷静に考えられる精神状態ではなかったのだ)、もちろんいじめが疑われたものの誰にも目撃されていなかったせいでそれ以上の追求がなされなかったのである。

 私が落ちた時、雨が降っていたのもよろしくなかった。雨によって体に残っていた痕跡がみんな流されてしまったのである。加えて発見まで少し時間がかかったために遺体の状態が悪化し酷い有様となっていたようだ。――私が殴られる蹴られるといったような傷の残るような暴力を受けていなかったのも原因だっただろう。

 結果、あいつは――太田由美香は何事もなかったように、今日も大学で笑っている。サークルリーダーらがミーティングの時に私の自殺について一応触れたものの、私の死について悲しんでいる者はほとんどいないように思われた。それだけ嫌われてしまっていたということなのかもしれない。否、嫌うだけなら自由だ。私も不器用で、迷惑をかけた自覚はあるのだから。

 でも。


――でも、いくら腹が立つ奴だからって……あんないじめしていい理由なんかないじゃない……!


 幽霊になった私は、壁も空間も無視して自由に動き回ることができる。

 ある日トイレで、由美香が一緒にいじめをしていた他の女性たちと話しているのを聞いてしまった。


「文香のやつ、いなくなってくれて清々したわー」


 あはははは、と軽やかに笑う由美香。ねー?と他の女性たちも頷いている。


「いやほんと、視界に入るだけでも暴力だったもの。陰鬱だし、すぐごめんなさいっていうくせに全然直せないしさ。自分がどんだけサークルの雰囲気悪くしてたのかまったくわかってないんだもん」

「だよね。大学やめてくれればもう戻ってこなくなるだろうけど、あいつサークルやめても大学やめないしねー」

「本当にそれよ。おかげでいつ戻ってくるんじゃないかと気が気じゃなかったっていうか。死んでくれたおかげで、絶対戻ってこなくなって本当にほっとしたわー」


 意味がわからない。

 こんな酷いやめ方をしたサークルに何で戻ると思うのだろう?確かに学部が同じだったせいで、授業で一緒になってしまうことは時折あった。視界が合うたびにびくびくして、それがますます彼女らを苛立たせていたのかもしれないが。


「いじめだって言われたらどうしようかと思ってたー」


 手を洗いながら、由美香はいけしゃあしゃあと言う。


「あたしら、いじめなんかしてないもんね。あいつが全部悪いんだもん。むしろあっちが加害者なんだから、いじめとか言われたらマジできもいと思ってたわ」

「本当に良かったね。遺書とか残されてたらめんどくさかったけど」

「何も残さず飛び降りる馬鹿で良かったー」


 ああ、と私は理解する。

 こいつらは一切反省なんかしていない。後悔もしていない。自分達がやったことを、正当防衛だとでも主張しているかのようだ。


――ああ、そう。


 他の子達も許せない。でも、由美香が他の女性達を焚きつけて、いじめを主導していたことはわかりきっている。

 この女が、全ての元凶だ。私のことを面倒だと思う先輩らは他にもいたかもしれないが、彼女らは何が悪いか具体的にアドバイスしてくれたし、真面目な練習態度も評価してくれていた。この女がいなければ、私はあのサークルでみんなの役に立てたかもしれないのに。

 あんな惨めな死に方をしなくても良かったかもしれないのに。


――そう、そうだよね。お前はそういう女だよね。


 決めた。拳を握りしめて、決意する。


――お前は私以上に苦しめて苦しめて苦しめて、地獄に叩き落としてから殺してやる……!




 ***




 とはいえ。

 私はまだ地縛霊になったばかりで、さほど大きな力はない。あのトイレに縛り付けられているわけではないので自由に動き回れはするが、彼女を呪い殺すだけの力が足りないという自覚はあった。なんせ、太田由美香は極めて健康的で元気が有り余った女性で、そういう人間を弱らせて殺すためには相応のパワーが必要だからである。

 そもそもただ由美香を殺すだけでは意味がない。苦しめて殺さなければいけないのだ。


――なんとか、あいつの弱点はないの?


 あの女が精神的に苦しむ材料は何かないものか。同時に、私が私の力を増幅させるためにできることはないのか。

 そう考えた私は、まず由美香のうしろをくっついて回ることにした。由美香の弱点を見つけるためにはまず、忌々しいこいつについてもっと知る必要があると思ったからだ。


――何が何でも苦しめて苦しめて苦しめて殺してやる!私のこの気持ちこそ、正義のはずなんだから……!


 そんなある日のことだ。

 大学のサークル終わりに、由美香は何故かまっすぐ家に帰らなかった。彼女の家の最寄り駅はA駅である。しかしその日は何故か、三つ隣の駅であるB駅で降車したのだ。

 B駅は女子大生が行って楽しそうなスポットなどほとんどない。駅前にはコンビニやスーパーくらいはあるが、ショッピングモールやファッションビルがあるわけでもないからだ。遊びに寄ったにしては妙だ、と首を傾げながら私は彼女の後ろにくっついて歩く。

 幸い、私の姿は由美香には見えていない。でもって、通行人にも私が見える人間はほぼいないようだった。由美香の背にのしかかりながら進んでいくと、なんと彼女が向かった先は病院だったのである。

 それも、長期入院の病人が数多くいるようなタイプの病院だ。


――こんなところに何の用?誰かのお見舞いってこと?


 この女に、誰かを見舞うような慈悲の心なんかあったのか。少し驚きながらもついていくと、彼女はある病室の前で止まった。

 複数人の部屋らしい。かかっているネームプレートは『桜庭百合人』と『安斎あかね』。どちらかが彼女の目的なのだろうか。

 由美香は部屋に入ると、一番奥のベッドのところまで行く。そして。


「お兄ちゃん、来たわよお!」


 明るい声を出したのである。お兄ちゃん、確かにそう言った。私はベッドを覗き込んで驚く。


「ああ、ありがとう、由美香」


 ゆっくりと体を起こしたのは、青白い顔をした二十代に見える男性。ネームプレートからするに、この人が、桜庭百合人、なのだろう。しかし。


――苗字が、違う。っていうか……。


 私はしばらく見惚れて固まるしかなかったのである。

 百合人はお兄ちゃんと呼ばれていたが、由美香とは似てもにつかない、美しい顔立ちをしていたものだから。

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