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<10・その人望は武器となる>

 たまーに、わかりやすく嫉妬の声が聞こえてくることもあるのだが。大半がアーリアへの賞賛の声、憧憬の声であることに紫苑は驚いていた。北の地は無宗教と言われているが、正確には政府が国教を定めていないという方が正しい。つまり、無宗教の人もいればそうではない人もいる、ということだ。当然ぶつかり合うこともあるし、他の地を(主に勇者の暴走のせいで)追われた者達とぶつかることがあるのも事実ではある。

 それでも、そういうトラブルが起きるたび、彼は大抵どんなに忙しくても自ら出て行って解決に乗り出すのである。そして、人々に告げるのは。


『信じるものがあるのは素晴らしいことだと思うよ。それが神様であっても、己であっても、別の誰かの信念であっても同様にね。私は、それらは等しく神様と同じものだと思ってる。誰だって、そう……一見宗教を持たないように見える人だって、その人の胸にはその人だけの神様が存在して、それを守っているんだ。ただ、名前が違うというだけでね』


 自分が思ったことを、偽りなく伝えるのである。この時は、神様を持たない北本来の人々と、女神マーテルを信じる西の地の出身の人が揉めた時のことだった。マーテルを信じる人々には、特定の食べ物を食べないという風習がある。そのうちの一つとして、彼らは米に関する食べ物をなるべく食べないという習慣があるのだ。それは米が「神様に捧げる神聖な食べ物であるので、一般の人がそうそう食べていいものではない」という考えからである。

 が、そういう西の風習は、北の人々にはそうそう根付いているものではない。ゆえに、予め知らされていないと、歓迎の席でコメをつかった料理を振舞ってしまうことも珍しいことではないのだ。実際、その時もそれで揉めてしまった。西から逃げて来た人々に仮宿を提供した宿屋の主人が、北の地で採れたお米を使った料理を西の人々の夕食として出してしまったのである。

 勿論、西の地の人々と交流するのならば、北の方もある程度下調べを行った方が無難ではあったのだろう。が、そもそもそういう風習が西独自のものであると自覚しておらず、予め伝えるということをしていなかった難民の方にも問題はある。ましてや、彼らは逃げて来たところを助けて貰った立場なのだ。米料理が出てきてしまった時に苦言を呈する――だけならばまだしも、最後の一言はあまりにも余計なものであったことだろう。

 まあ早い話、「これだから神様を信じない野蛮な連中は!」みたいなことを口にしてしまったのである。そりゃあ、歓迎する気で用意した料理にそんなことを言われて、北の人々も良い気になるはずがあるまい。それでもめにもめて、結果アーリアが仲裁する流れになったというわけだった。その時言った言葉が上記のアレ、というわけである。


『何が一番大事なのかは、誰にだって違うことだ。みんな完全に足並みを揃えることなんかできやしない。例えば西の君たちだってそうさ。西の地方の人々は女神マーテルを信じる人は多いけれど、それでも細かく宗派は違うだろう?米が神聖だから絶対食べないというコーリア派の人もいれば、お祈りを捧げれば食べても問題ないと考えるライナ派の人もいる、違うかい?あとは、お祈りのポーズも違うだろう。同じ宗教の中の同じ地域の人であってもこれだけ個性があって考え方があるんだ、他の地域の人ならもっと違いがあって然りじゃないか。それを認めて、別でもいいんだって考えられる心の寛容さは、誰にだって必要だと思うよ』


 彼の凄いことは和平を考えるにあたり、他の地域の人々の習慣などについても、事細かに調べてあるということではなかろうか。例えばリア・ユートピアの場合は宗教による対立が最大の問題なのだろうが――その宗教間の考え方の違い、風習の違いについて彼は独自に調査を進めて知識を頭に叩き込んでいるのである。この時もそう。自分達のことについて、ちゃんと理解しようとしてくれている人がトップを努めてくれいる――そう知った西の人々が、どれほど安心したかは言うまでもあるまい。


『宗教に関する違い、習慣に関する違いは人それぞれだ。ごめんね、私がみんなにもっとその違いを伝えておけば、こんな風に揉めずに済んだんだろうけど……あまりにも必要な知識が膨大すぎて、まだまだ伝えきれてないことがどうしても多いんだよ。許して欲しい。ただ、北の人たちの知識不足もあったとはいえ、純粋に君たちを歓迎したいと思って料理を用意したって気持ちは汲んで欲しいんだ。郷に入れば郷に従え、なんて言葉もある場所にはある。全部は無理でも、君たちも多少なりにこの地に従う努力はしてほしい。それとね。……モノはなんでも言いようなんだ、今のケースは「次からはお米の料理はやめてほしい」って一言伝えれば解決できた問題だろう?』


 中立に立ちつつ、ダメなことはダメと言える。それがアーリアという人物だった。

 彼はまだまだ若い。自分とさほど変わらない年であろうと思ったが、まだ十八歳だと聴いてより納得したものである。あの童顔だ、下手すればもっと幼く見えてしまうこともあるだろう。年配の、異郷の人からすれば馬鹿にされたり見下されることも少なくないはず。きっと何度も、戦場のみならず交渉で嫌な思いをしたことがあるに違いない。

 それでも彼は、この地のリーダーになって――魔王などという汚名を着せられてなお、四つの地域を平和にするために奮闘しているのである。それを尊敬しない理由がないんだよ、と八百屋のおばさんは紫苑に告げた。


「元々は、記憶喪失でこの地で倒れてたところを救われた……って話は既に知ってるかい?最初は言葉も通じなかったんだよ。本人は『エイゴ』か『ニホンゴ』しか喋ることができなかったんだ、って言ってたっけね」

「あ、そういえば……僕も今、その日本語を喋ってるつもりなんですけど、どうして話が通じるんでしょう?」


 そういえば、と紫苑は思う。何故最初に疑問に思わなかったのだろう。自分とアーリアは、最初から言葉が通じていた。むしろ、他の部下たちの言葉も理解できる言語として耳に入って来なかったことがない。早い話、自分の耳には彼らの言葉が全て日本語として聞こえているのである。何か理由があるはずだ、とは思っていたが。


「それね、凄いだろう?今じゃ、異世界人の言葉でさえどこでも通じるようになったんだ。リア・ユートピア内でさえ、東西南北で多少言語の違いはある。特に南ともあれば方言がすごくて、頑張らないと聞き取れないところが相当あったっていうのにさ。我らがアーリア様は、自らその問題を解決してくださったんだよ」


 あれを見てくれよ、とおばさんが指し示したのは。道の街灯の上の方に設置されている、キラキラした青い宝石のようなものである。単なる装飾かと思っていたが、どうやら違うらしい。

 よく見ると、街灯のみならず、アレが設置されている場所は少なくないような気がする。それこそ、城の中にもいくつも存在していたような。


「翻訳スピーカーってやつなんだってさ。凄いと思わないかい」

「翻訳?まさか、あれが設置されている場所だと、どんな言語も自分の知っている言葉に変換して聞こえるってことなんですか?」

「その通り!アーリア様は、この地域の言葉を必死で覚えてくれたけどね。それでもやっぱり、言語が通じない地域があったり、異世界人の言葉がわからないのは不便だと感じたみたいなんだ。この世界にあるいくつかの技術を組み合わせて、なんとあんな機械まで自分で作って広めちゃったんだ。しかも、北の地域のみならず、他の地域の人々にも無性で提供してる。あの人があの装置を世界中に設置して回ってくれたおかげで、私達はいろんな人たちと円滑なコミュニケーションが取れるようになったんだよねえ」


 まあ、まだ登録されてない言語の言葉は翻訳できないんあけどね、とおばさんは笑う。


「それでもあの人は、自らいろんな地域を回って、新しい言語を取り入れてアップデートを続けてくれてるよ。異世界にもそう、本人は『興味があるから』って言ってるけど……あれは、この世界に時々召喚されたり、迷い込んでしまう異世界人が困らないようにっていう対策なんじゃないのかね。本当に真面目で、頑張り屋さんだと思うよ。異世界なんていったら、本当にいくつあるものかもわかったもんじゃないってのにさ……」


 そういうことか、と紫苑は納得した。彼は何度も紫苑の世界に足を運んでいるし、その文化にも随分精通していると聞いていたが――まさか、そういう事情もあったのだとは。大変どころではなく大変であるはずである。なんといっても、異世界のみならず紫苑の世界だけで、言語の数は目が回るほどには存在しているのだから。そして、一つの言語を極めるだけでも相当な苦労を強いられることは想像に難くない。だからこそ、英語検定やらなんやらなんて資格が当然のように存在しているのだから。

 おばさんにお礼を言って、紫苑は他の人々にも話を聴いて回る。彼がそうやって地道な努力を積み重ねていったように、自分もまた――そこまでではなくても、自ら耳で聴いて眼で見て、最善に近い判断を下していくことは可能であるはずだ。


――とりあえず、他の地域の人にもいろいろ話を聞かないと。勇者から逃げて来たっていう人なら、勇者についていろいろ知っていたりするかもしれないし……。


 できれば、北の地域以外の場所にも行って、色々と直接現地の人々の話を聴いたり、その地域の習慣についても学んでみたい気持ちはあるが。アーリアが何年もかけて学んだことを、自分が数日でマスターしようなどというのは不可能に近いことだろう。それでも付け焼刃だとしても、やらないよりはマシなような気がしているのも事実だ。

 人が、自分とは違う他人のことを100%理解しようなどというのは不可能に近い。

 それでも、相手を“理解しよう”と努力することはできる。そして人は、意見や種族が異なる存在であったとしても――己を“理解しようと努力してくれる人”にしか心を開きたくないと思うのが常である。


――本は、買っておいていいかな。書物の知識が全てではないけれど。


 とりあえず、紫苑は街の中にある書店の前で足を止めた。貰っているお金にも限りがある。なるべく種類は厳選しよう、と考えながら。

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