事態が急激に動いたのは――アーリアが紫苑と一部の部下達を現代日本に送り出した、それから約二週間後のことである。
彼らの世界ではまだ、二日しか時間が過ぎていないはず。調査結果は気長に待つ他ない。それを承知で、勇者マサユキ、アヤナ、リオウに関して情報収集をしてくれるように依頼したのは他ならぬアーリアである。彼らが戻るまで、自分達も自分達でやるべきことをこなしていくしかないのだ。つまり、彼らが戻るまでに事件が起きても、それらは自分達だけで解決するしかないのである。元より、異世界人にして無関係である紫苑を頼ってしまっているという、申し訳ない状況なのだから。
――本当に、どうしてあそこまでやってくれるのかな。私は、あの子に特に何かをしてあげられた記憶なんてないのに。
その日アーリアは、北の地の住民の依頼に則って、橋の修繕工事を行っていた。北の地は寒い。秋ともなれば既に、一部の地区には大雪が降ることも少なくないのだ。特に近年は、世界を収める女神の力が不安定になっている影響なのか、各地で自然災害が相当数増えているとされている。直接女神の支配下になくとも、北の地もまたリア・ユートピアの一部には違いない。例年より早く雪が降り始め、先日は城下町に隣接する山では大雪が降ってしまっていた。雪崩が起きて一部の道や橋が埋まってしまい、物流の妨げになっている。他の地域の勇者対策もしなければいけないが、“魔王”たるアーリアの仕事は何も彼らに対することばかりではないのだ。
「これ、本当に重いッスね……」
古参の少年兵であるコージが、材料となる木材を持ち上げてよろめいている。機動力と度胸を買われて兵士として雇われている彼だが、まだ幼いということもあって腕力に関しては他の兵士よりも相当劣る。それでも、復興支援事業や土木工事などの力仕事にも積極的に参加し、アーリアを助けてくれる尊い仲間のひとりだった。倒れそうになった彼に慌てて駆け寄り、運んでいた木材を受け取るアーリア。
「あ、すみませんアーリアさん……!」
「いいって。運ぶのは俺がやるよ。それより、橋のロープを結ぶ作業の方をお願いしてもいいかな。私、ああいう細かい作業がどうにも苦手でさ……多分コージの方が得意だと思うんだけど」
「わ、わかりました!やるッス!」
パタパタと走っていく彼。どんな人間にも得意なものと苦手なものがある。苦手を克服する心意気は大事だが、全てのことが万篇なくできる人間など実際には存在しないわけで。ある程度得意な分野に絞って能力を伸ばしていった方が、実際の仕事の現場では戦力になることも少なくないのである。苦手なことは、皆無とはいかなくても最低限なんとかなればそれでいいのだ。ましてや体格や腕力なんてものは、鍛えようとしたって簡単に鍛えられるものでもないのだから。
コージに言った言葉は事実で、彼はロープを結んで橋を仮固定し、そこを機械を使ってしっかりと杭打ちして固定する作業はかなり得意な部類である。今の杭打ち機は、有難いことに以前より相当軽く、女子供でも簡単に扱えるよう改良されている。体格がその女子供並であるコージでも十分扱えるし、むしろ細かなコントロールができることの方が求められるほどだ。餅は餅屋。重たい荷物運びをやらせるよりはよほど益になるというものである。
「アーリアさん、ちょっと全体に魔力を流して耐久を計測したんですが」
木材を丁度運んだところで、別の部下から声がかかった。今や、魔法と科学は両方用いるのが当たり前の時代となっている。魔法を使って組立を行い、その耐久は科学の力で計算するということも少なくない。逆も然りだ。かつて異世界の者が科学を持ち込んでから、この世界はその両方の文化が共存して回るのが常になったらしい。まあ、ここまで進化していくまでには、魔法派と科学派で相当揉めに揉めて血が流れたという経緯もあったらしいが。
「やはり、木材だけで修復するのはやめた方が良さそうです。今季の雪……今の時期でこれだけの積雪があるとなると、冬の本番にはもっと積もることになる。橋の中央にかかる重量を考えるなら、ここで無理に木材で組み立てるより……もっと頑丈な素材に変えて、今後に備えた方がいいかと」
「あーやっぱり。少なくとも支柱と、『吊り』に使うロープだけでも素材変えないと元の木阿弥っぽいよね。……大体素材だけど、アタリつけてる?」
「一応リスト化して出してはありますが……」
力仕事より、事務仕事やデータ処理の方が得意な部下もいる。目の前の青年もそのクチだ。ゆえに、先ほどから肉体労働ではなく、橋の全体の耐久を測ったり、設計の見直しをする役目を任せている。今のこの近辺には充電できる設備がないが、今のタブレットは人間の雷魔法の力を使って充電することもできる仕様だ。雷魔法が得意な者がコードを繋いで電力を供給すれば、それで充電切れという事態は免れられる。リーダーたる自分は、そういう割り振りを正確にするのも仕事に含まれるのだ。
「……あー、なるほど」
その彼がまとめてくれたリストを見て、アーリアは息を吐いた。
「石材だと重量オーバーになる……でもって、エンドラゴンの龍皮や髭が最適だけど、現在城に在庫が残っていない、か」
「問屋を片っ端から問い合せていますが、この時期ですからどこも品切れの可能性が高いかと」
「なるほど。……仕方ない、依頼主さんに相談させてもらおうかな。納期を待ってもらえるんだったら、私がちょっと言ってエンドラゴン狩ってくるよ。大型一体分あればなんとか足りるだろ?」
「は!?」
あーやっぱりこの反応。眼を丸くする部下に、アーリアは苦笑して言う。
「大丈夫、なんとなかなるよ。生息地も近いから、行って帰ってくるのも早いし」
そういう問題ではないと言われるのもわかっている。本来、王となるべき人間はなるべく指揮官の立場の人間が、本拠地からそうそう動くべきではないのである。万が一何か不測の事態が発生した時、迅速に対応できなければ話にならないからだ。リーダー探して右往左往、命令できる人間がいないから問題の解決に乗り出せなくて後手後手に、なんてことはよくある話である。
それでもアーリアが、本拠地を開けてでも自ら現場に乗り出していく理由は三つ。
一つは、代理で指揮権を任せられる部下がいるということ。今回現代日本に派遣したリョウスケもそうだし、城に残してきたクラリスもそうだ。何かがあったら、自分の許可を得ずに軍を動かしていいという権限を与えている。優秀な部下達だ、時には脳筋のアーリアよりもよほどいい決定を下してくれることだろう。
二つ目は、直接足を運んで現場を見なければ分からないことが多いこと。データでも状況は知れるが、魔力を流した感覚も災害現場の酷さも、足を運んで初めて実感できるものは少なくない。それらを知らずして、世界征服なんて夢のまた夢というものである。
三つ目は、そうやって現場で直接リーダーが指揮を取り、汗を流す姿を見せることが地域住民を安心させると知っているからということ。机の前に座って指示を出すばかりの人間より、自ら危険を顧みず先頭に立つ男の方が――たとえそれが若干非効率的であったとしても人々は信頼したいと思うものなのである。多少強引で、印象操作してしまっているような気がしないでもないが、自分のそんなちょっとした行動で皆が安心するならそれに越したことはない。自分も元は、普通の一般人として民衆や軍の世話になっていた人間だから余計にそう思うのである。
――ま、あとは……現状一番戦闘能力と知名度が高い私が出て行った方が、解決することが多いってのもあるんだけどさ……。
「た、確かにアーリア様の戦闘能力なら、エンドラゴンを狩るのも難しくないでしょうが……」
眼を泳がせる、部下。
「しかし、その……こんな言い方をしてはなんですけど。橋一つのためにそこまでする必要があるでしょうか。納期を延ばして貰う交渉をするためには頭も下げなければならないでしょうし、手間と危険を考えたなら木材で作った方がまだ……」
「でも、次の雪崩では誰かが死ぬかもしれないんだよ。今回はたまたま誰も橋の傍にいないタイミングだったら良かったけど、崩落する時にもし車や人が通ってたらどうなっていたと思う?」
「そ、それは」
「私は嫌だな。……それが、自分の身内かもしれないって想像したらさ」
彼が、アーリアのことを心配してものを言ってくれているのはわかっている。同時に、アーリアの名誉についても。北の地を任される“魔王”などとも呼ばれる存在が、そうほいほい民間人に頭を下げ、橋一つのためにドラゴン狩りまで行くような情けを見せて本当に良いものなのかと。
言いたいことは、わかる。でも、そこで犠牲になるのがもし自分の大切な人だったらと思うと、耐えられることではないわけで。ましてや、アーリアにとっては北の住人は須く自分を救ってくれた恩人であり、家族なのだ。目に見えている禍の種を、予め摘まないなんて選択肢はアーリアにはないのである。
「大丈夫だよ、すぐ行って帰ってくる。とりあえず今から麓に降りて、町長と話をつけてくるから……」
アーリアがそこまで告げた、その時だった。ぴぴぴぴ、と独特の着信音。部下がはっとした様子で通信機を取り、耳に当てる。そして。
「あ、アーリア様……!」
彼はそのまま、青ざめた顔でアーリアの名前を呼んだのだった。