アヤナの元に、再度エリーゼから連絡が入ったのは翌日のことである。
まだ、こちらが提示して向こうが了承してきた『交渉に一日』の期限は切れていない。アーリアも、今日中にこちらに来ることを了承している。ただ「アーリアとは別に、アヤナに会いたがっている者が北の地域にいて、その人物がどうやらアーリアの信頼する部下であるらしいとのことだがどうするのか?」という話である。エリーゼでは、当然許可も不可も判断が下せることではない。アヤナの判断を仰ぐのは当然と言えば当然だろう。
「いかがなさいますか、アヤナ様。最終的にアーリア本人と接触し、奴隷化しようとしている手前……その前にアーリアの部下と面会する意義はあまりないかと思いますが」
アヤナの能力によって、完全に奴隷と化しているアースは。忠実に、アヤナの為と思われる提案をしてくる。アヤナは他人のことは一切信じていないが、己の力に関しては絶対の自信を持っていた。洗脳下にある男が、自分の不利益になる提案などしてくるはずはない、という意味でだ。
「確かに、そうね。そもそもどんな目的で私と話したがっているのか不透明だわ。……その会いたがっている部下って、どんな人間なのかしら。エリーゼからデータは転送されてきた?」
「ええ。それが……どうやらアヤナ様と同じく、異世界の出身者であるようなのです。転生ではなく、事故による転移であるようですが」
「ふうん……」
アーリアの部下であるからといって、必ずしもリアナにとって不利益な交渉をしてくるとは限らない。場合によっては、アーリアが奴隷化されるのを見越して先んじてこちら側に付きたいという相談である可能性もある。勿論だからといって、そのお願いをアヤナが聴いてやるかどうかはこちらの気持ち次第であるのだけれど。
もし、どこかでアヤナの顔を見て、その美しさに一目惚れして傍に置いて欲しくなった男――などであるというのなら。奴隷化するまでもなく己の美貌を認めて擦り寄ってくる男、という時点で嫌な気分ではないのである。相手の容姿次第では、お望み通りにしてやってもいいだろうなと思っていた。が。
「……げ。女じゃないの……」
ちょっと可愛い顔の男の子、かと思えば(顔だけ見てそう思ったのは、相手の顔立ちと髪型が中性的であったからである)。よく見れば、スカートを履いているし胸も出っ張っている。女だ、それも中学生くらいの。
一気に気持ちが萎えた。アヤナはあくまでストレートな人間だ。イケメンならばショタだろうと、多少年がいっていようと興味があるが。女を食う趣味は全くないわけで。しかも能力が効かないという意味で厄介極まりないのである。勿論、女にモテてもキモいだけだから、という理由で女神に“異性限定”の能力を要求したのは確かにアヤナの意思であったが。
「……ただのチビなメスガキにしか見えないんだけど。こいつが、アーリアの部下?なんで?ひ弱そうにしか見えないし、一発ひっぱたけば泣きそうなツラしてんじゃないの。どういうヤツなわけ?」
「残念ながら、エリーゼもあまり詳しくはわからなかったようで。ただ、多少なりにアーリアに対して発言力は認められているようです。同時に仰る通り、武芸に関して言えば素人同然で、殆ど戦闘能力はない……一般的な少女と同等程度だと」
「それで、私に会いたがってるって?まさか北の地まで来いってんじゃないでしょうね?」
「いえ、東の地まで自ら出向くとは行っています。……いかがしましょう、アヤナ様」
「…………」
こいつ、何が目的なんだろう。アヤナは首をかしげる。こいつにソッチの趣味があるというのなら話は別だが、そうではないのなら――何故アーリアより前に、アヤナとの面談をしたがるのか。やはり、何らかの有利な交渉、寝返り交渉をしたいと考えるのが自然か。
――女だから私のチート能力は効かないけど……こいつなら、私の恋奴隷一人差し向ければ簡単に制圧できそうよね……?
交渉もやり方次第か、とアヤナは考える。この人間が何を考えていようと、こちらに不愉快な交渉ならば切って捨てればいいだけである。場合によっては、こいつをとっ捕まえればアーリアを奴隷化させる際に有利に働く可能性があるだろう。
ならば、条件をつけてみるのが妥当か。つまり――武器の携帯や護衛の数を制限する、であるならばどうか?
――いいわ。そっちが何を考えていても、全部制してみせる。ただの人間の魔王と部下より、女神に選ばれ多くの奴隷を従えるチートな勇者の方が遥かに強いってこと、思い知らせてあげるわ……!
「アース、返事を出して頂戴。私が言う通りにメールを打って」
たとえ駆け引きであろうと、自分は上を行ってみせる。
勇者としてこの世界を全て手中に収め、全ての美しい男を傅かせるのはこの勇者・アヤナなのだから。
***
――まー、どうせこんな風にでも思ってるんでしょうねえ……勇者サマは。
紫苑は今、アヤナの屋敷に続く広い森の中を、アヤナの手下の男達に先導されて歩いていた。傍にいるのは、護衛のクラリスのみ。護衛は一人のみ、武器の携帯は許可しない――それがアヤナが、紫苑に会うために必要とした条件だった。それさえ守れば、事前に会うことを許す、と。
あまりにも、予想通りすぎて笑えてきそうなほどである。紫苑にとって一番大変だったのは、此処に来る以前の段階でアーリアを説得することだった。護衛が一人いるとはいえ、それが強靭な肉体と魔法を使えるクラリスとはいえ――ただの女子中学生でしかない紫苑をアヤナに直接面会させるなど、危険極まりないからである。実際、紫苑も逆の立場ならきっと反対していたことだろう。自分など、例えブチギレたところで敵の部下一人倒すこともできないに違いない。アヤナに絶対服従の兵士一人でも差し向けられれば瞬殺されるのは目に見えている。そして下手に捕まるようなことがあれば、かえってアーリアの足を引っ張ってしまうことだろう。
だが、紫苑からすればまさに――それこそが狙いであると言えるのである。
『仰る通り、僕は皆さんと比べても非常にひ弱です。サシで格闘して戦えるのは、丸腰のアヤナ本人くらいなものでしょう。そして、それも向こうは分かっている。無防備な小娘一人、護衛が一人くらいいようが制圧するのはわけないことだ、と』
そう、誰が見てもそう思う。実際紫苑は、弱い。
『だからこそ。……僕が無力であること、弱いことが……武器になる』
簡単に制圧できると思える相手ならば、当然相手も油断する。簡単に懐まで潜りこませることだろう。
それそのものが、紫苑の計画の内だと気づかずに。
『アヤナは男性に関しては、異様なほどの歪んだ執着と性欲を見せますが……女性に対しては興味が殆どありません。同じ女性を過剰に痛めつける趣味もありません。話の流れ次第にはありますが、無闇と僕を傷つけるような行いはしないでしょう。どうしても気に食わなければ、自分のテリトリーから追い出すか拘束するか殺すかのいずれかの対応になると思われます』
『そりゃそうかもしれないけれど……』
『そして僕がやろうとしているのは、そもそも交渉ではない。……物理的にアヤナを追い詰めるのがアーリア、貴方達の役目であるのなら。僕がするべきことは、そのアヤナの心の壁を突破すること。……僕に彼女を倒す力はなくても、心を折るならできますから』
だから、自分が適任なのだ。伊達に読書と人間観察を趣味にしているわけではない。分析と計画立案なら、自分の力も通用する。それは既に、マサユキの件で証明されていることだ。
ゆえに、多少無茶であってもここは押し通させてもらったのである。どのみち、誰かがこの役目をする必要はあったのだ。なら、適任は“最も弱く、無力に見える自分”であるはずである。同時に、女性であるからアヤナと眼を合わせても問題ないというのもアドバンテージだ。彼女が自分を制圧したいなら、奴隷に命じるなんなりして物理的に倒さなければいけないのだから。
「アヤナ様は、こちらです」
そして、アヤナの手下に通されたのは――アーリアの城よりもずっと豪奢なシャンデリアがかかる、謁見の間だった。長い長い赤いカーペット、両脇に立つ天使の石像。そして、玉座に横柄な態度を崩すことなく、足を汲んで座るアヤナの姿。
「くれぐれも、失礼のないように。怪しい動きをしたら、わかりますね?」
「ええ、勿論です。……行きましょう、クラリス」
「はい」
武人であるクラリスは、油断なくあたりを見回してくれている。護衛を一人許しただけ、まだアヤナにも良心があったのか。あるいは護衛を一人許してでも、紫苑と交渉する余地があると思ったのかは定かでないが。
最悪、護衛ゼロでも紫苑は此処に来るつもりでいたのだ。クラリスの帯同を許してもらえただけ、御の字というものである。
「お初にお目にかかります、勇者アヤナ」
カーペットを歩き、接近を許されるギリギリまで近づいたところで――紫苑は制服のスカートを持ち上げ、うやうやしく礼をした。自分らしくもない女っぽい動作だが、これくらい大袈裟な方が目を引いてくれることだろう。どうせなら、ドレスの一つでも借りて来てくれば良かっただろうか。
「僕は、魔王アーリア様にお仕えする日高紫苑と申します。以後、お見知りおきください」
「御託はいいわ、紫苑とやら。私、女とだらだら話す趣味はないの。元々お喋りな女って好きじゃないのよね」
ふん、と鼻を鳴らすアヤナ。おっと、と紫苑は心の中で笑みを浮かべる。ちょっとした相手の言動からでも、その性格や性質を分析することは可能だ。今の言葉からでも分かることは少なくない。――マサユキについてと同時進行で調べたアヤナの前世に関する調査、その裏付けが早速取れそうである。
女性は、男性よりも基本的にお喋りが好きなもの、とされている。人生で一生のうちに話す言葉で比較するならば、男性より女性の方が圧倒的に多いなんて統計も出ていたはずだ。勿論、話すのが得意ではない女性もいるし、実は紫苑自身があまり井戸端会議や長電話を好む方ではないのだけれど。
人と話すのが得意ではない人間にも、何種類は存在する。静かでいるのが好きなケース、一人の方が落ち着くケース――そして、恐らくアヤナの場合は。おしゃべりな女性、に対して嫌悪感があるケース、だ。実際、前世の彼女のキャラクターとも一致する。何故なら、彼女は。
「交渉したいことがあるんでしょ。手短に終わらせたいのよ、さっさと本題に入って頂戴」
興味がなさそうでありながらも、紫苑の意図を探ろうとする眼。紫苑は失礼しました、と言って再度小さく会釈する。
さあ、ここからだ。自分の舞台を始めようか。
「僕は、貴女と交渉がしたかったのではありません。どうしてもアヤナ、貴女にお尋ねしたいことがあったのです。……北の魔王の部下ではなく、現代日本に生きる人間として」
彼女はいつ気づくだろう。
戦いは、とっくの昔に始まっているということに。