※【】内はギルバートの心の声となっております。それを頭の片隅に置いてお読み下さい。
僕は、シャーロットと婚約破棄がしたい!
今、切実に皆に言いたい事がある。
一度でいい。ワガママを言わせて欲しい。
ギルバートは机の上に突っ伏して、書きかけた手紙を誰にも見つからないように机の奥に乱暴に仕舞い込み、背中まである銀髪をグシャグシャにかき乱した。
手紙は婚約者、シャーロット・アルバにあてたものだ。
齢十八歳でまさかこんな人生の危機に直面するとは思ってもみなかった。
『急啓、シャーロット・アルバ様、今すぐ僕と婚約破棄してください草々』
そこまで書いた。
でも出す勇気はない。何故なら、シャーロットが怖すぎるから。
友好と和平の為の婚約だ。破棄出来る訳がない。分かっている。分かっているが、言わせてほしい。
【僕は、かの有名な悪役令嬢シャーロットと婚約破棄がしたい!】
シャーロットは隣の国、アルバの悪名高い末の姫だ。三姉妹の三番目。
会った事はないから容姿は全く分からない。ただ噂だけはしょっちゅう聞く。
公の場では何故か常に仮面をつけ、性格は醜く歪んでいて、領民や家族にさえも毒を盛るような女。その名もシャーロット。とにかく悪魔のようなアルバの末の姫。
それだけ聞いて、果たして結婚したいと思うような奴がいるだろうか? いや、居ない。絶対に居ない。無理すぎる。
ギルバートはグラウカの第一王子だ。順当に行けば次の王はギルバートである。
戦場に出れば『グラウカの冷徹な銀狼』と呼ばれる程強い。自分で言うのも何だが。
しかし、それはあくまでも戦場に出れば、の話だ。普段はどちらかと言えば控えめで大人しい方だと自負している。
「参ったな【どう切り出せばいいんだ】」
呟いたと同時にノック音がしてギルバートはすぐに居住まいを正す。
返事をすると執務室の扉が開いた。顔を出したのはギルバートの専属の従者、サイラスだ。
「王子、次の書類をお持ちしました」
「ああ。【苦労をかけるな、お前にはいつも】」
「失礼します」
サイラスはそっとギルバートの前に書類を置いて、足早に部屋を立ち去った。それを確認したギルバートはまた大きなため息を落とす。
ギルバートは酷い人見知りだ。数年間一緒に居るサイラスにすら自分から話しかけられない。
嫌われるのが嫌すぎて、おまけに口下手なものだからこんな風にいつもつっけんどんになってしまうが、心の中ではいつもお礼を忘れない。
そんなギルバートもそろそろ身を固めなければならない。
結婚は王族の義務であり、国を正しく導き子孫を残す事こそがギルバートの使命である。
そこで出て来るのが、かの名高きシャーロットである。あまりにも悪名高すぎて、ついたあだ名が悪役令嬢。笑えない。全然笑えない。
面白おかしく触れ回る輩を見ると、一発殴って問い詰めたくなる。それと結婚するのは僕の予定なのだが!? と。
そんな訳で、ギルバートの専らの悩みは婚約者シャーロット。これに尽きるのである。
ギルバートは毎日仕事を終えた後はきっちり二時間の鍛錬をする。
これをしておかないとよく眠れない。やはり人間には適度な運動は大事なのだろう。本当は運動は大嫌いだが。
出来るなら戦争にも行きたくない。根がチキンなので血なまぐさい戦場ではいつも吐気と戦っている。死体だって見たくない。もしも生き返ってゾンビになって襲われでもしたらと思うと、怖くて夜も眠れない。
何よりもあの甲冑! 重い上に臭い! 洗えないから仕方ないが、せめてもう少しどうにかならないものか。
由緒正しい先祖代々受け継がれる銀の甲冑は、外見は磨かれるが中身はいつまで経ってもそのままだから、ギルバートはいつも渋々着るが頭は被らない。何があっても。
吐き気と戦って口を引き結んでいるので、その上鼻でも息が出来ないとなれば、窒息死間違いなしである。
今日も訓練場に決まった時間に現れたギルバートを見て、騎士達の間にピリリとした緊張感が走った。この空気が嫌だ。肌を刺すピリピリとした雰囲気。そんな雰囲気にギルバートは眉根を寄せた。
しかし模擬刀とは言え当たれば怪我をするのは必須である。だからある程度の緊張感は持っていなくてはならないのも分かってはいるのだが……。
「本日も執務、お疲れ様でした!」
そう言って全員が一列に並んでギルバートに礼をしてきた。勤労で真面目な部下たちを持って、ギルバートは本当に幸せ者である。
「ああ」
ギルバートは低い声で言って上着を脱ぐと、それを待っていましたとばかりにサイラスが受け取りに来た。
【いつもありがとう、サイラス】
とは言えず、心の中でお礼を言いつつ無言でサイラスに上着を渡すと、一本の模擬刀を手にした。よく見ると先がささくれている。
「おい、これは?【危ないだろう、こんな物を使っては】」
ギルバートの声に駆け寄って来た騎士が刀を見て小さな悲鳴を上げた。
「変えておけ。【お前たちが怪我でもしたらどうする】」
「は、はい! 申し訳ありませんでした!」
一斉に頭を下げる騎士達に眉根を寄せたまま頷き、別の剣を手に取って鍛錬開始だ。