わたし達が中学2年生の時、学校で進路相談があったが、父はありもしない仕事を理由に来なかった。母は父の承諾なしに家を出ることを許されていなかったから、母が来ることもあり得なかった。
その頃には、わたしも母が無断外出を禁止されている理由が朧気ながら分かってきた。当時のわたし達の担任の先生は、両親よりも少し年下の独身男性で見目も中々よかった。父は、とにかく母が男性の目に入るのを極端に嫌っていた。
結局、進路相談は
「ご両親が来られなくて残念です」
「先生、僕達の進路は決まっていますから、両親が来れなくても大丈夫です」
「そのことなんだが、君の成績だったら、もっと偏差値が上の高校を狙えるのにもったいないよ」
「いえ、今の志望校で問題ありません」
海は頭がいいから、地域トップの進学校を勧められていたが、そこは私立なので我が家の経済状態ではどう逆立ちしても無理だった。でも2番目の高校なら公立なので、経済的に行けないこともないのに、わたしと同じ公立の中堅校に行くと海は言い張っていた。
わたしは、海の輝かしい未来を邪魔したくなかったので、海を説得しようと頑張った――いや、正直なことを言おう。濡れ落ち葉のように四六時中、海がわたしにひっついているので、たまには1人の自由が欲しくなっていた。
だけどそもそも、わたし達が公立高校にすら進学できるのか、危うくなりつつあった。父は年齢を重ねるにつれて、仕事が続く期間がどんどん短くなり、昼間から飲んだくれていることが多くなっていた。
なのに貧乏とはいえ、わたし達が生活できているのが不思議だった。祖父母に援助してもらっているのなら、こんな中途半端な援助はしないだろう。それに祖父母による母とわたし達の『誘拐』事件の時、父は祖父母からの交通費すら受け取りを拒否したから、彼らからの援助を受け取らないに決まっている。
進路相談からしばらく経ったある日、いつものように海と一緒に下校する最中、父がかなり年上らしき初老の女性と一緒に歩いているのを見かけた。べったりと父に腕を絡めているその女性がただの知り合いには見えず、父が溺愛している母以外の女性と親しくしているのに驚いた。
わたしは、海の腕を引っ張って父達を尾行し、父が物陰でその女性にキスをするところを見てしまった。父は毎晩、母に性欲を一身に引き受けさせているくせに他の女性とキスもしている。わたしは父を汚らわしいとしか思えなくて怒り心頭になり、父が女性から何かを受け取ったのを見ていなかった。
「海、お父さんはお母さんにあんなことをしておきながら、他の女の人ともキスするんだね! しかもお母さんよりずっと年上のあんなおばあさんと不倫?! そんなのひどいよ!」
「ああ、あれ。空の考えていることとちょっと違うよ」
「何が?」
「父さんがもらったの、見たでしょ?」
「何を?」
「お金だよ。父さんは、金持ちのおばさんや婆さん達に媚びを売ってお金をもらってるんだ」
父のしていることは、おぞましいことに不倫どころか、もっと汚らわしいことだった。
「媚びを売ってるって……要は売春でしょ?」
「まぁ、そこまでヤってるかどうかは分からないけど、いい金になるならヤってるかもね。
「た、た……ってそんな話しないでよ! 汚らわしい!」
海の話のせいで父が毎晩母にしている仕打ちが嫌でも思い出させられた。
「でもその汚いお金で僕達は生活しているんだよ」
「そんなの嫌!」
「嫌って言ったって未成年の僕達に何ができるのさ。家出しても僕達を雇ってくれるような所なんてないから、結局援交してお金を稼ぐしかないだろう? そしたら父さんのやってることと何が違うんだよ」
「おじいちゃん達に頼る」
「忘れたの? あの人達は、僕達のことを『汚らわしい』って言ったんだよ」
結局、働けるようになるまでこの家にいるしかないのかと絶望した。だけど、祖父母が母を父から引き離そうとしていたことを思い出した。母と一緒なら、わたし達が『汚らわし』くても引き取ってもらえるだろう。本音でそう思われていても何でもいい。父が身体を売って稼いだお金で生活するよりずっとマシなはずだとわたしは思った。
わたしは、いいことを思いついたと有頂天で、父が世間に暴露すると祖父母を脅した秘密の存在をすっかり忘れていた。
父はこのところ、相手の女性によく呼び出されるのか、頻繁に家を空けていた。その隙に母は逃げられたと思うのだが、母は例の『誘拐』事件以降、すっかり無気力になってしまっていた。洗脳されていたと言ってもいいのかもしれない。
その日も父はまだ戻っていなかった。家出を反対する海がトイレに行っている隙に急いで今日のことを母に打ち明け、祖父母の元へ逃げようと頼んだ。するとあんなに無気力だった母の目に光が戻ってきた。
でもうちでは父以外の誰も携帯を持っておらず、インターネットも家で使えないので、祖父母への連絡手段がない。
わたしがそう訴えると、母は寝室に行って父に内緒で貯めていたへそくりを取ってきてわたしの手に握らせた。あの『誘拐』事件の時に祖父母にもらったのを取ってあったのかもしれない。
「明日、学校の帰りに公衆電話でこの電話番号に電話して。おばあちゃんに繋がるはずよ」
「でも、これじゃ公衆電話で電話できないよ」
「コンビニでお菓子でも買ってたくさん小銭をお釣りでもらいなさい」
「ほんとに? 何でも買っていいの?!」
「いいわよ。でも無駄遣いしないようにね。空と1個ずつにしなさい」
「はぁーい……」
家出計画のドキドキと滅多に食べられないお菓子を買える嬉しさで私の胸は興奮し、その夜は中々寝付けなかった。
翌日、学校の帰りに海を何とか巻いてコンビニに行った。空は、何度話しても家出に否定的だったからだ。早く帰らないと海がわたしを探しに来るとは分かっていたけど、それぞれ1個しか買えないお菓子を何にしようか迷いに迷った。
結局、わたしはバナナとクリームがたっぷり挟まっている菓子パンと、生クリームとフルーツの載っているプリンを買った。海は甘い物がそんなに好きじゃないから、わたしに全部譲ってくれるだろうという算段だった。帰宅後、それは予想通りになったが、その代わりに祖母に電話したことを白状させられた。