中学3年で例外的にクラス替えがあり、わたしは
ハンサムな海がクラスに来る度にクラスの女子は浮足立ったが、海は氷点下の冷たさで彼女達を徹底的に無視していた。
そんな女子の反応は2通りに分かれていた。ひとつ目はわたしに媚びて海に近づこうという女子のグループ、もうひとつは海がお高くとまっている、シスコンで気持ち悪いなどと言う女子だった。わたしに媚びる女子は、後者の女子の反応をひどいと悪口を言っていたが、わたしに媚びない女子のほうが真実を語っていたと思う。
休み時間にもわたしにべったり張り付いている海のせいで、わたしには親しい間柄の同級生がいなかったが、それが変わるきっかけがあった。
ある時、わたしは授業中に消しゴムを落としてしまった。消しゴムは、床の上を弾んで隣の席の男の子の机の下まで飛んでいってしまっていた。彼は消しゴムを拾ってもすぐに返してくれず、わたしのほうを照れくさそうに見て『ちょっと待って』と口パクした。戻って来た消しゴムには、ノートの隅を破ったメモが付いていた。
メモには彼の携帯番号が書かれていた。わたしは、祖母にもらった携帯をまだこっそり持っていたから、それで彼――圭――とメッセージのやり取りをするようになった。幸運なことに携帯代は、わたしが就職するまで祖父母が払ってくれることになっていて心配はなかった。
圭とこっそりやり取りするのは、ドキドキした。それが海や両親に内緒でしている背徳感のせいなのか、恋なのか、わたしはまだ自覚していなかった。
圭は、海みたいな超絶なイケメンでも天才でもなかったが、はにかむとえくぼがかわいい人で話していると心がほんわかと温かくなった。
交際は、海にも両親にも内緒にしていたが、海は必ず休み時間にわたしのところに来るのですぐにバレてしまった。海が休み時間にわたしのクラスに来る頃には、わたしは既に圭と話に夢中で、3人の間に妙な緊張感が生まれた。映画を見に行くデートを決めたあの日もそうだった。
「今度の日曜日、あの映画見に行こうか」
「うん、いいね」
待ち合わせ時間と場所を決めようとわたしが言おうとした時、海の声が割って入った。
「あの映画って? 僕も一緒に行ってもいいかな?」
「えっ、海、それはヤボってもんでしょう?」
「ヤボって何? 映画館の闇にまみれていかがわしいことでもするつもりなの?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
「……いいよ、3人で行こう」
「えー」
「駄目なの……?」
圭は優しいだけに押しに弱いし、わたしも海のウルウルお目目で懇願されるとすぐに許してしまうので、デートが3人でのお出かけになってしまうことがザラだった。
海が自分のクラスに帰って行った後、わたしは圭に謝った。
「圭くん、ごめん。映画のことはメッセで決めればよかったね」
「いいよ、僕も空ちゃんの弟と仲良くしたいから。でも僕もたまには空ちゃんと2人きりでデートしたい。今度リベンジしようね」
そう言って圭は顔を赤くしてわたしの手をそっと握った。
次の日曜日、わたし達はなけなしのお小遣いを持ってシネコンへ向かった。映画代を払ったら、お金のかかるデートはもう当分できない。モヤモヤしてシネコンまでの道中、海とは一切口を利かなかった。
でも、シネコンの前で待つ圭の姿が見えると、今までの塞いだ気持ちはすっ飛んでわたしは圭のところに駆け寄った。
「圭くん! 待った?」
「ううん、今来たところ」
「じゃあ、チケット買おうか」
めいめいがチケットを自腹で買った後、ちょっと白々しかったかもしれないけど、わたしは売店をチラ見しながら飲み物が欲しいと海に強請った。
「なんか喉が渇いたなぁ。映画が始まる前に飲み物買う?」
圭が買いに行こうかと言ったのをわたしは制止して海に買ってきてと頼んだ。映画の前、わたしはせめて少しだけでも圭と2人きりになりたかった。
「海、お邪魔虫するんだから、お詫びにジュース奢ってよ」
「えー、何それ」
「空ちゃん、そんなの海くんに悪いよ。僕が買ってくるよ」
「いいから、いいから。海、早くして! 映画が始まっちゃう。炭酸系なら何でもいいから。お願い、ね?」
「うっ……うん、買いに行くよ」
海は最初、不満そうだったけど、わたしも海の必殺技を使ってかわいくお願いしてみた。わたしのちょっと小さめな瞳では、海みたいなウルウルお目目ほどの威力はなかっただろうけど、海にはちょっとは効果があったみたいですぐにジュースを買いに行ってくれた。
「何だか海くんに悪いね」
「そのぐらいしてくれたって罰は当たらないよ。だって……ちょっとだけでも2人きりになりたかったんだもん」
わたしが圭の手を握ると、圭は真っ赤になった。わたしは彼の手を引っ張って柱の反対側に回った。
「ちょっとこっちに来て」
「え?」
売店のほうを見ると、レジの前に人が並んでいて海の番はまだ来ていなかった。柱の陰は売店コーナーからちょうど死角になっているから、海にはわたし達は見えないはずだ。
わたしはちょっと大胆に圭に抱き着いた。圭の家に遊びに行こうとしても海がもれなく付いてくるので、わたしは2人きりのシチュエーションに飢えていた。
「そ、空ちゃん……」
「圭くん……」
わたしは圭に抱き着きながら、彼を見上げた。彼の顔が近づいてきて目をつぶって間もなく柔らかい感触を一瞬唇に感じた。
「ああ、離れたくない……」
「うん……」
でもそんな幸福な時間はほんの一瞬だった。海がわたし達を呼んでいる声が聞こえ、慌てて身体を離した。
「そんな柱の影で何していたの? いかがわしいこと?」
「ち、違うよ!」
「駄目だよ。まだ中学生なんだから、不純異性交遊は禁止だよ」
「そんなわけないでしょ! わたし達は清く正しい交際をしてるの!」
「ふうん、清く正しいねぇ……」
「空ちゃん、海くん……」
わたし達の口論は周囲の注目を集めつつあった。おろおろする圭の声で初めてそのことに気付き、口論はそこで強制的に終わった。
シネコンの席は、わたしを真ん中に左右に圭と海が座った。映画の途中、わたしは圭の手をそっと握ってみた。海に勘づかれないか、ドキドキして映画の内容どころではなくなってしまった。彼の手も汗でしっとり濡れていたから、緊張していたんだと思う。
わたしのなけなしのお小遣いは、このデートで大部分なくなってしまったが、恋人と初めてキスできてわたしは有頂天だった。だから海が売店から戻って来た時、どんな顔をしていたか、全然気にも留めていなかった。
その日の夜、わたしはベッドで目をつぶったものの、ファーストキスの興奮で目が冴えて中々眠れず、頭の中は、そのことでいっぱいだった。だから、いきなり不意打ちでシネコンで感じたような柔らかい感触が唇にして驚愕した。
――キスされた! どうして?!
驚きですっかり興奮から目覚めて文句を言おうと思ったら、海の言葉が耳に入ってわたしはフリーズしてしまった。
「僕が空にファーストキスをあげたかったのに」
でもなぜか、そう言われたこともキスされたことも嫌ではなかった。