瞼を持ち上げたらそこは見慣れぬ場所だった。
中世の大衆食堂を思わせる木造りの長いテーブルに両手を組んで載せている手はつるつるで小さく白いな、と思いながら少女は自分が椅子に座っているのだと理解した。
周囲を見渡せば他にいるのは少し遠くに男女並んで座っている人と、斜向かいにいる男と更に向こうに一人の女が見えた。それから壁際に立っている騎士服を着た数人の男。
「おぅ、ふぁんたじー。」
どこか他人事のように小さくつぶやく。よくよく自分の格好を見れば白いシャツにカーキ色の短パン、ニーソックスに革のブーツ、長く後ろに流したままの髪の毛は下に向かって水色から薄い青緑のグラデーションが地面につくといういかにもな格好をしている。ずいぶん若返ったもんだと密かに考える。
「いかにも中二病だなぁ。」
もう一度小さくつぶやいて長い髪を守るように左側にまとめてから膝に抱えた。地面につくなんて汚いじゃないか。何かまとめるもんないかなぁ〜ともう一度周囲を見るが特に何もなかった。
「あ〜。皆様お目覚めのようですのでご説明させていただきます。」
ゴホン。とわざとらしい咳払いをして騎士たちの中から一人の男が一歩前に出た。
「私は騎士のエリック・クラプトンと申します。ここにお座りの皆さんはチキュウと呼ばれていた世界からこちら側に転生した方々です。」
妙に説明なれした言葉にロサはチキュウ、チキュウと繰り返してなるほど、と右手に拳を作り左手にポフッと打ち付けた。我ながら古いリアクションだと内心苦笑する。
仕方あるまい。生前は97のお婆ちゃんで意識に間違いがなければ死因は老衰という大往生で我ながら満足の死に方であった。多少のことは大目に見てもらいたいものだ。
「転生者は遅かれ早かれの違いはあれど必ず夫婦で転生します。一緒に生まれることもあれば、別々に生まれることもありますが必ずペアで転生するようにと、この世界の神が定められました。」
ニコリと微笑む騎士の言葉にロサは逡巡する。
では自分より先に逝った旦那はもうこの世界にいるのだろうか。と。
「もちろん生まれ変わりなのですからまたご夫婦になる必要も決まりもありません。探すかどうかも皆さんの自由です。皆さんの基本情報は『すてーたす』と念じれば見れる仕組みとなっております。めいん職業とサブ職業は選択可能で成長に応じてスキルが加わります。また、元ご夫婦で相手の許可があればパートナーのすてーたすも確認できますのでお探しの際にはご利用ください。」
思わず説明されるままに『ステータス』と念じれば確かに文字で名前や年齢その他色々な情報が可視化して見える。他の人の反応を見るからに自分以外は見えてないっぽい。
エリック・クラプトンがそこまで説明すると、他の騎士たちによって目の前のテーブルに小さな袋と茶色いカバンが置かれた。
「そちらは国から転生者へ支給される当面の生活費である金貨10枚とアイテムバッグです。この部屋を出れば王城の門を抜けて王都に出れます。その後をどうするかは皆様にお任せいたします。不明の点などございましたら我々にお尋ねください。本日はお疲れ様でした。」
なんだか免許更新の講習会のような説明だなぁ〜。恭しく頭を下げる騎士を見て思う。
しかし金貨10枚とは多いのか少ないのか……。袋の中を覗き込みながら思わずつぶやく。
「MMORPG感ハンパない……。」
騎士の終わりを告げる言葉のあと、出入り口と思われる扉が開かれた。そこから数人の人が入って来るのが見えた。
「たかゆき……?」
つぶやいたのは男の声。それに反応するように座っていた女の人が立ち上がるのが視界の端に見えた。
あの美人さん生前は男かぁ〜。などと観察してしまう。
突然の展開に不安だったのだろう。前の名前を呼ばれて明らかに安堵の表情を浮かべていたが、元奥さん?の男性に連れられて部屋を出ていった。
男女二人で座っていた人たちは少し二人で相談事をしたあとに部屋を出ていった。その後を守るように一人の騎士がついていったのである程度は面倒を見てくれるのだろうと安心する。
『あ〜今年もいなかった。』とか『来年は会えるかなぁ……。』などという言葉が聞こえたと思えば扉から人の気配がなくなる。
斜向かいの人は何やらステータスを確認しているのか、空中で人差し指をさまよわせている。端から見たらそこそこ愉快な仕草に人前でする時は気をつけたほうがいいのかもしれない、とか思ってみる。
が、生前ゲーム好きだったロサはステータス画面などといういかにもゲーム、いかにもノベライズな小説的な展開にわくわくしながら自分のステータスを確認し、職業と二段書かれた上の段を触ってみる。するといくつかの職業名がスクロールで確認できる。
「ウォーリア、バックラー、スカウト、マジシャン……。」
ぶつぶつと思わずつぶやきながらウキウキが止められないロサは体が小さく左右に揺れる。本人は無意識だが、小さな体でするその仕草に周囲にまだいる騎士は目尻を下げて様子を見ていた。
すると、何か確信したように斜向かいにいた男は数度頷くと近くにいた騎士に何かを確認して外に行ってしまった。これで残ったのはロサ一人である。
生前のロサは百合という名前で、自分が死ぬ5ヶ月前に老衰で英輝と言う名の旦那を見送っている。先程の説明に間違いがなければきっとこの世界に先にいるはずだと考えた。
「あの、もう少しここで待っててもいいですか?」
自分の口から出た思いの外幼い声に我ながら驚きつつも、声と手の大きさから容姿は12、3歳前後と仮定する。こんな幼子を騎士が放り出すとは思えないが、忙しいのにこんな所に拘束するのは申し訳なくて一応確認してみた。
騎士たちは朗らかに頷いてくれた。
待ち合わせのコツはわかりやすい場所にいる人がうかつに動かないのが一番だ。これまでの人々の様子を見る限り転生した人がこの部屋に来るのは周知の事実のようなので下手に動くのは得策と思えない。
しかし、しばらく待っても迎えが来る様子がない。もしかしてこちらの世界でもう誰かいい人を見つけているのだろうか。と、だんだん不安になってきて窓から外を見る。
そういえば生前によく旦那に言っていたなとぼんやり思い出す。
『私が先に死んだらいい人を見つけて再婚していいからね。』
そして同時に言ったものだ。たまにでいいから私のこと思い出してね。と。すると必ず彼は『そんなのそのときにならなきゃわからないよ。俺が先に死ぬかもしれないだろ。』って笑っていたけど、それが彼なりの照れ隠しなんだって私は知ってた。
でも、今の状況って同じことなのでは?先に生まれた彼が別のいい人を見つけて迎えになんて来れないのではってちょっとドキドキしてきた。
だんだん日暮れが近づいて窓の外がオレンジ色になってきて焦る。どこか宿屋を探すべきだろうか。一人でもやっていけるかなぁ。とか。まずは武器が必要かなぁ。とか。
メイン職業はもう決めた。サブ職業は彼の職と相性を考えて決めたほうがいいかもしれない、と触っていない。なれない体を慣らすように腕を回したりジャンプしたりストレッチもした。
シンプルといえば聞こえはいいが、ダサい斜めがけのバッグはちょっとやだなぁと思いながらバッグを触りまくってたらみるみる形が変わって白いうさぎのぬいぐるみ形リュックになった。
これにはさすがの騎士たちも驚いて、一緒になってこれはなんだ、どういうことだ、といかついおじさんが可愛いぬいぐるみを囲むというシュールな図を作り出したものの、結局バッグのときと性能は変わらないとわかって、問題ない。と返してくれた。
と、まぁこんな具合で今やれることはやり尽くした。
どうしたものか……。
見かねた騎士が何か話しかけようとした時、扉の外からドタバタと走る音がする。
そういえばこの足音も久しぶりだなぁ。年を取ってからはお互い走るなんて無かったし。と笑みが溢れる。
そんなロサの表情に騎士は掛けようとした声を引っ込めた。
次第に足音が近く大きくなるに連れてフフッと笑いが止まらなくなって、ぴょんと椅子から降りて開かれた扉の手前で足を止めて待ち構える。
派手な足音と同時に現れたのは青髪を後ろで結んだ青年。額に汗を浮かべてちょっと頬に汚れがついているが空色と黄色のオッドアイにすっと通った鼻筋に懐かしさを覚える整った顔立ち。その頭の上にはシンの文字。
ますますRPGと思いながらその人を見上げる。
「うわぁぁ!」
まさか駆け込んだ先に人がいるなんて思わなかったんだろう。驚いたその顔が可愛く見えてしまったのは黙っておこう。と思う。
「ろ……さ?」
彼からも私の頭の上の文字が見えたのだろう。
ロサとシン。それは二人がゲームをするときにまず最初に登録するお決まりの名前だった。毎晩一緒にゲームをするのが生前二人の日課だった。晩年には孫まで一緒に遊びだすから娘にはよく文句を言われたものだがオタクな家族だからなんのかんの言いつつ老い先短い時間をどうやって一緒に過ごすか考えたがVRの向こう側で会うのが私達家族の形となり娘も笑っていたものだ。
「ご、ごめ、ゴホッ、ご。」
よほど急いだのだろう。前のめりで咳き込む見慣れぬ頭にギュッと抱きつくと、思いの外大きな手が背中を擦ってくれた。
「遅いよ。」
「ごめん。」
「……来ないかと思った。」
「約束したの忘れてないよ。四回目も一緒なんでしょ?」
「……うん。」
鼻の奥がツンとした。安心して泣きたくなるのを誤魔化すようにシンの首に顔を埋めてグリグリとする。
「待たせてごめんね。」
戸惑いを見せつつもゆっくりと頭を撫でられて寂しくて不安だったのが少しずつ落ち着いてくる。
「よかった。迎えが来ましたね。」
後ろから声をかけられてロサは慌ててシンから離れる。シンも視線を上げて声の主に向かって頭を下げた。
「ご迷惑をかけてすいません。」
そこまでやり取りしていた二人は、ハタと見つめ合って、騎士は笑みを浮かべ、シンはバツが悪そうに困った笑みを浮かべる。
「ロサさんのパートナーはシンさん貴方だったんですね。毎年欠かさずいらしてたのに今回に限って遅れるとは災難でしたね。」
「いえ、ちょっと日付を勘違いしてて……。」
ポリポリと後頭部をかくシンを見上げてコテンと首を傾げる。毎年ということは少なくともシンがこちらに来て1年以上たってることになる。つまり地球とは時間軸が違うということなんだろうか。
「しかし、納得ですね。」
「え?」
ニコニコとする騎士はちらりとこちらを見る。なんだろう。
「街で噂の隠密王子のパートナーがこれ程愛らしければほかが目に入らないのも当然です。」
「グホォォッ!!ゴホッゴホッ!」
「え、ちょっと、だいじょうぶ?!」
騎士の言葉に引っかかるワードをいくつか思いつつも、あまりに咳き込むシンの背中を小さな手で擦る。
「だ、大丈夫……。」
どうにか息を整えたシンは先程のやり取りを無かったことにしたいのか、赤面しつつも騎士の言葉に答えることなく、短い挨拶と礼を述べるとロサの手を取って足早に立ち去るのだった。