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個性部
個性部
一知半解
現実世界ラブコメ
2025年06月07日
公開日
1.1万字
完結済
自分に自信が持てない新入生・佐藤虹太は、「個性部」に入部する。そこは、ツンデレや文学少女、無感情アンドロイドなど極端なキャラを演じる先輩たちが集う不思議な部活。悩みながらも個性的な仲間と過ごすうち、虹太は「何者でもない自分」を少しずつ受け入れていく。

個性部

 春の空は澄みわたり、淡い桜色がまだ校門の周囲に残っていた。

 新学期、制服のブレザーは少し大きい。俺――佐藤虹太こうたは、どこか落ち着かない気持ちで昇降口に向かって歩いていた。


 高校に入学して三日目。知っている顔もほとんどいないこの新しい世界で、「俺は何者になれるんだろう」なんて、そんなことを考えていた。

 人より目立つこともない。地味で、特技もない。ただ、心のどこかで「変わりたい」と思っている自分がいた。


「なあ、佐藤。部活、どうするんだ?」


 クラスメイトの坂井が声をかけてくる。教室で隣の席になっただけの、まだ友達と呼ぶには早い存在だ。


「うーん、何も決めてない。サッカー部とかは経験者が多そうだしな……」


 俺は返事をしながら、廊下にずらりと並ぶ部活の勧誘ポスターをぼんやり眺めた。

 華やかなイラストの美術部、ポップな吹奏楽部、どこも楽しそうには見えるけれど、なぜか俺の心には響かなかった。


「おい、これ見ろよ!」


 坂井が指さしたのは、手書きの文字が目立つポスターだった。


『【個性部】部員募集中! 自分のキャラで世界を変えろ!』


「なにこれ、『個性部』?」

「なんか怪しいな……」

「でも、ちょっと面白そうじゃね?」


 周囲の生徒たちもひそひそ声で話している。

 俺はポスターの前で立ち止まった。どうせ無理だろうと思いつつも、もし、本当に自分を変えることができるなら……。なんとなく、ひきつけられている自分がいた。


「……見学、行ってみるかな」


 放課後、思い切ってポスターの下に書かれていた場所――部室棟の一番奥へと向かった。窓の外にはまだ淡い光が残り、薄暗い廊下の先に、その部屋はあった。


「失礼します……」


 そっとドアを開けると、中には四人の先輩たちがいた。

 部屋の壁には「個性部」の手作りポスター。机の上には分厚い小道具の山、コスプレ衣装らしきものまで転がっている。まるで、テーマパークのバックヤードのようだ。


「いらっしゃい。新入生くんね?」


 優しい声に振り向くと、そこには長い黒髪を柔らかく揺らす先輩がいた。制服のリボンはひとまわり大きく、他の誰よりも落ち着いた雰囲気。どこか母性的で、でも、いたずらっぽい微笑を浮かべている。


「私は部長の白石ましろ。個性部へようこそ。君の個性を、一緒に探してみない?」


「えっと、あの……どんな部活なんですか?」


「うちの部はね、あえて極端なキャラクターを演じることで、自分の個性を見つけていくの。どんな自分になりたいか、悩んでる子にもぴったりよ?」


 ましろ先輩の柔らかな声に、不思議と緊張が解ける。


「ちょっとアンタ、そこでボーっとしてないで、ちゃんと挨拶くらいしなさいよっ!」


 今度は鋭い声。見ると、短く整えた栗色の髪の少女が腕を組んでこちらを睨んでいる。だけど、その頬はほんのり赤い。


「高坂ひなた、ツンデレ担当、二年。べ、別にアンタに興味があるわけじゃないんだから! ただ、部に迷惑かけないか心配なだけで!」


 口調は強気、でもどこか照れ隠し。思わず、こういうキャラって本当にいるんだな……と感心してしまう。


「ひなた、あんまりおどかさないであげて。最初は誰だって緊張するんだから」


 ましろ先輩がくすりと笑うと、ひなたはぷいっと横を向いた。


「……興味があるなら、君も演じてみたい自分を決めてごらん?」


「そんな急に言われても……」


 戸惑っていると、次に声をかけてきたのは、窓際で静かに本を読んでいた少女だった。透けるような長い髪、薄幸そうな美貌。制服の袖から覗く手は分厚い文庫本を握っている。


「東雲ゆかり……です。文学少女属性……です。詩を読むのが好きです。あなたは、どんな言葉で世界を見ていますか?」


 低く静かな声だが、不思議と耳に残る。

 思わず、「えっ……」と答えに詰まる。


「大丈夫よ、ゆかりは人見知りなの。こう見えて、部の副部長さんなのよ」


 ましろ先輩が補足すると、ゆかり先輩は少しだけ恥ずかしそうに目をそらした。


「……個性部、変な部活に思うかもしれないけど、本当は――」


 そこで、不意に部屋の隅にいた少女がすっと立ち上がる。

 銀色のショートボブ、白い肌に青い瞳。何より印象的なのは、その無表情。


「桜井メイ。無感情アンドロイド属性。合理性と自己最適化の追求が主目的。入部理由……情報処理能力の向上」


 まったく感情の起伏を見せず、淡々と名乗る。その姿に、俺はつい目を見張ってしまう。


「メイはね、普段からああいう感じだけど……心の中では色んなこと考えてるんだから」


 ましろ先輩がフォローすると、メイは無表情のまま小さく頷いた。


「すごいな……なんか、アニメのキャラクターみたいだ」


 俺の呟きに、ひなたがすかさずツッコミを入れる。


「な、なによ! 本物のツンデレの迫力、見せてやるわよ! ま、まあ、期待してなさいっ」


「君も、自分だけの個性を見つけてみない?」


 再びましろ先輩が優しく問いかけてくる。けれど、俺は即答できなかった。


「正直、自分がどんな人間か……まだよく分からなくて」


「それでいいのよ。最初はみんな、分からないまま始めるんだから」


 ましろ先輩はにっこりと微笑んだ。


「とりあえず、仮でいいから入部してみない?」


 俺は大きく頷いた。


「よろしくお願いします!」


 ましろ先輩が、包み込むような笑顔を見せる。


「今日から、君も私たちの仲間ね」


 ドアの外では、いつの間にか夕焼けが差し込んでいた。

 新しい生活、新しい仲間――そして、まだ見ぬ個性。

 ここから、俺の学園生活が本当に始まるのだ。



 けれど、翌日。部活動の時間、俺は新たな試練に直面することになった。


「……で、今日から実践。新入生にはツンデレをやってもらうから!」


 放課後の部室で、腕組みしたひなた先輩が高らかに宣言した。

 背後では、ましろ部長が「ひなたに任せると楽しそうね」と微笑み、ゆかり先輩は静かに本を閉じ、メイ先輩は淡々と作業用タブレットを操作している。


「ツンデレって……アニメでよく見るあれ、ですか?」


「あれって何よ、あれって!」


 ひなた先輩が一歩詰め寄る。その勢いに圧倒されて、思わず椅子ごと後ろへ下がる。


「い、いや、よく分からなくて……」


「……ま、まあ、分からないのは当然かもね。しょうがないから、特別に私が直々に教えてあげる!」


 ひなた先輩は威張ってみせるけれど、頬がわずかに赤い。


「まずは基本からいくわよ。ツンデレってのは、ツンツンしてるけど、ホントはデレデレなんだから。素直になれないけど、好きな相手にはつい冷たくしちゃう――」


「それ、結構難しそうですね……」


「な、なによっ! 私だって最初は苦労したんだから! ほら、今から私の見本、よーく見なさいよ!」


 そう言うと、ひなた先輩は胸を張り、小さく咳払いをしてから、


「きょ、今日のプリント、忘れてるとか、ほんっとバカなんだから! ……べ、別にアンタのために教えてあげるわけじゃないんだからね! でも、放っとくと成績落ちるでしょ?仕方なく、教えてあげるのよ!」


 と、早口でまくしたてる。

 ……そして一瞬、俺の方をちらりと見て、すぐに視線をそらす。


「……ど、どう? 今のがツンデレのお手本だから!」


 俺は思わず拍手してしまった。


「すごい、プロみたいです……!」


「ぷ、プロって何よ! も、もう、褒めたって何も出ないんだから……」


 それでも、ちょっとだけうれしそうにしている。


「はい、次はアンタの番! ちゃんとやってみなさいよ!」


 ひなた先輩が椅子を引き寄せて、俺の正面に座る。

 後ろから、ましろ部長が「ひなた、怖がらせちゃだめよ」と優しく言うが、ひなたはぷいっと横を向いた。

 俺は心の準備もないまま、ひなた先輩の真似をしてみる。


「えっと……今日のプリント、忘れてるんじゃないの……。べ、別に、アンタのためじゃないんだけど……」


 自分で言いながら顔が熱くなる。

 隣のゆかり先輩が小さく笑った。


「新鮮で、いいですね」


「ま、まあ、最初にしては悪くないんじゃない!」


 部室はどこか温かい雰囲気に包まれていた。

 お互いに「違う自分」をちょっとだけ試してみる場所。

 それが、この「個性部」なんだろう。


「ひなた、ありがとね。虹太くん、明日も楽しみにしててね?」


 ましろ部長が軽やかに言う。メイ先輩は「次回、詩的表現および内省型思考の実践」とだけ告げて再びタブレットに向かった。


 部活動が終わり、帰り道。

 ひなた先輩が、靴箱の前でふいに俺に声をかけた。


「あ、あのさ……」


「はい?」


「……今日、ありがと。アンタのこと、ちょっと見直したかも……し、しないかもしれないけど!」


 顔を真っ赤にしながら、走り去っていくひなた先輩。

 その背中を見送りながら、俺は少しだけ笑ってしまった。



「今日の担当は、ゆかりね」


 放課後の個性部。

 ましろ部長の明るい声とともに、部室の空気がひときわ静かになる。

 ひなた先輩は相変わらずそっぽを向いているし、メイ先輩はいつも通りタブレットを操作している。


 そんな中、東雲ゆかり先輩が本を閉じて、こちらを見た。


「きょ、今日は文学少女……やってみませんか」


 彼女の声は、昨日までと同じく柔らかいが、どこか緊張がにじむ。

 それもそのはずだ。部の新入生に、突然、文学少女を演じろと言うのだから。


「え、文学少女……?」


「うん。私が普段、やっていること。たとえば、詩を書いたり、本を読んだり、好きな作家について語り合ったり……」


 部室の隅にある小さな本棚には、色とりどりの文庫本がぎっしりと並んでいる。その背表紙のどれもが、俺にはほとんど馴染みがない名前ばかりだった。


「まずは、この詩を読んでみてください」


 ゆかり先輩は、古びた詩集の一ページを開き、俺に手渡す。


「ゆっくりでいいので、自分の声で」


 俺は息を整え、一行目から読み始めた。

進めるうちに、なぜだか胸の奥がすうっと静かになっていく。

 言葉を声にすることで、景色が頭の中に広がるような不思議な感覚だった。

 読み終えると、ゆかり先輩が優しく微笑んだ。


「すごく、いい声ですね。詩を読むとき、私は心の中のもうひとりの自分に語りかけるようにしています」


「心の中の、もうひとりの自分……」


「そう。現実ではうまく言えないことも、言葉にすると伝えられる気がして……。文学少女は、みんな本当の自分を本の中に隠しているものなんです」


 ゆかり先輩の目は、ガラス細工のように澄んでいる。

 その言葉を聞いて、昨日の自分を思い出した。


 何者にもなれない気がして、うずくまっていた自分。

 本の中なら、どんな自分にでもなれるのかもしれない――ふと、そんなことを考えた。


「じゃあ、今度は自分で詩を作ってみるのはどうでしょう」


「えっ、いきなり、詩をですか?」


「一行だけでいいです。今の気持ちを一言で」


 言われてみれば、今の気持ちなんて、普段はちゃんと考えたことがない。俺はしばらく黙ってから、やっと口を開いた。


「……考えていることはたくさんあるのに、言葉が何も出てきません」


 ぽつりとつぶやいた自分の言葉に、部室が静まり返る。


「……いいですね。ちゃんと今の君が詩になってます」


 ゆかり先輩が、ほんの少し頬を染めて拍手してくれる。


「えっ、あの、違います。詩のつもりじゃなくて、本当に何も……」


「それでいいんですよ」


 その言葉が、まるで魔法の呪文のように響いた。


「私も、ずっと自分を表現するのが苦手で。だから、本を読んだり、詩を書いたりしながら、自分と向き合ってるんです。無理に作ろうとすることはないんですよ。心のままで大丈夫」


 あっけにとられる俺に、ましろ部長がやさしく声をかけてきた。


「どうだった? 文学少女体験」


「すごく、不思議な気持ちです。……自分の中に知らない気持ちがあること、少しだけ分かったかも」


「それは素敵なことよ。個性部はなりたい自分に無理に近づこうとする場所じゃないの。なれる自分を、ひとつずつ見つけていく部活だから」


 ましろ先輩の言葉に、心が少しだけ軽くなった気がした。


「虹太くん……えっと、また、今度、一緒に詩を読んでみませんか」


 ゆかり先輩は、まっすぐ俺の目を見てそう言った。


「はい、ぜひ」


 その小さなやりとりが、なんだかとても大切なものに思えた。


 誰かと心を通わせるために、言葉を紡ぐ。

 文学少女属性は、演じるというより、むしろ「自分自身の心の声」を見つけるためのものかもしれない。

 俺は少しだけ、自分というものに近づいたような気がした。



 週が明け、個性部の部室にはやわらかな日差しが差し込んでいた。

 少しずつこの場所の空気に慣れてきたけれど、今日はなんとなくそわそわしている自分がいる。


「今日の担当は、ましろ部長よ」と、ひなた先輩が嬉しそうに告げると、ましろ部長がにこやかにほほ笑んだ。


「お姉さん属性って、いったい何をするんですか?」


「そうね……まずは困っている人にそっと手を差し伸べることかしら。あとは、みんなの話をじっくり聞いてあげるとか。包容力があって、甘やかすのが得意な人、って感じかしら」


 ましろ部長の声はどこか安心感があり、自然と肩の力が抜ける。

 隣でひなた先輩が「ましろ部長がいると、部活が保健室みたいになるんだから……」と小声でぼやく。


「虹太くん、困っていることや、悩みがあったら何でも言ってね? 今日は私が特別に、ぜーんぶ受け止めてあげる!」


 部長はそう言うと、俺の肩を軽く叩いた。

 どこか子ども扱いされている気がして、ちょっと照れくさい。


「じゃあ、今日はみんなでお悩み相談大会をしてみましょうか。私がお姉さん役をやるから、みんなは悩みを打ち明けてくれる?」


「ええっ、なんだか恥ずかしい……」


「いいから、いいから。部長の命令よ?」


 お姉さんというより、ちょっとお母さんみたいな押しの強さだ。

 最初にひなた先輩が手を挙げる。


「べ、別に困ってなんかないけど……テストの点数をもっと上げたいのよ。どうしたらいいと思う?」


「そうね、ひなたちゃんは頑張り屋さんだけど、無理は禁物よ? 甘いものを食べたりして、ちょっと息抜きしながら勉強してみたら?」


「べ、別に……ありがたくなんかないんだから!」


 ひなた先輩が赤面しつつも、なんだか嬉しそうにそっぽを向く。

 続いて、ゆかり先輩。


「最近、夜なかなか眠れなくて……」


「ゆかりちゃんは、考えすぎちゃうのね。好きな詩を一編、声に出して読んでみたら? それだけでも、気持ちが落ち着くかもしれないわ」


「……ありがとうございます」


 小さな声で、でも本当に安心したような表情を見せるゆかり先輩。


 メイ先輩も、ましろ部長に悩みを打ち明ける。


「充電残量、最近不安定。最適化プロセスの効率低下」


「それは大変ね。たまには、何も考えずぼーっとするのも大切よ。メイちゃんも、部活の後で一緒に甘いものでも食べましょ?」


「……了解。最適化、試行」


 ロボットのような返事だが、どこかほっとしたような空気が伝わる。

 いよいよ俺の番が回ってきた。


「虹太くんは? 最近、悩んでいることある?」


「えっと……やっぱり、自分がどんな人間なのか、いまいち分からなくて。何をしても自信が持てないというか……みんなみたいに個性的な属性もないし……」


 そう素直に打ち明けると、ましろ部長はそっと微笑み、俺の手を両手で包み込むように握った。


「虹太くんはね、無理に個性をつくろうとしなくてもいいの。誰かを気遣ったり、悩んだり、迷ったり……。そういう優しさも、立派な個性なのよ。私は、そういう子が大好きだな」


 その言葉を聞いて、胸がじんわりと温かくなった。


「それに、個性部の一番の役目は、みんなが自分らしくいられる居場所をつくること。虹太くんは、もうちゃんと自分を見つけ始めていると思うな」


 ゆかり先輩も「……私も、そう思います」と小さくつぶやく。メイ先輩は「分析結果、個性の本質は多様性」と淡々と補足した。


「というわけで、次は私のお手製のお菓子でおやつタイムよ!」


 部長はどこからかタッパーを取り出し、手作りクッキーをみんなに配る。


「な、なによコレ、けっこうおいしいじゃない……!」

「お菓子の味で、心もふんわりしますね」

「糖分補給、最適」


 和やかな空気の中で、俺はこの部活に入ってよかったと、心から思った。


 放課後、帰り際にましろ部長がそっと声をかけてくる。


「虹太くん、もしつらいことがあったら、いつでも頼ってね。部活のことでも、プライベートなことでも、何でも」


「ありがとうございます……部長って、本当にお姉さんみたいですね」


「ふふ、それが私の属性だから。でもね、時々は弱音も吐きたくなるの。そんなときは、虹太くんが支えてくれる?」


「もちろんです!」


 小さな約束のようなやりとり。

 温かな夕陽が部室を照らしている――そんな穏やかな時間が、何よりも大切に思えた。


 誰かを甘やかすこと、誰かに甘えること。それは、強さでもあり、優しさでもあり、きっと個性のひとつなのだと、俺は思った。



 個性部に入ってからというもの、毎日が新しい発見の連続だ。

 ツンデレ、文学少女、お姉さんと続いた体験入部も、いよいよ最後の属性に差し掛かった。


「今日の担当は、メイね」


 ましろ部長がそう告げると、メイ先輩は静かに立ち上がる。

 彼女の動きは機械のように無駄がなく、相変わらず表情ひとつ変えない。

 冷たい銀色の瞳が、淡々とこちらを見つめている。


「あなたには、無感情モードの基本を伝授する」


 俺はごくりと息を飲む。

 メイ先輩の存在は、不思議と部のなかでも異彩を放っている。優しさや温もりを強調する他の先輩たちと比べて、彼女の発言や行動は、どこか人間離れしている気がした。


「まず、感情を表に出さない。顔も声も、変化は最小限。機械的な語尾、淡々とした話し方を心がけること。やってみて」


「えっと……こう、ですか?」


 俺は声のトーンを落とし、感情を押し殺した口調でしゃべってみる。


「……今日の天気、晴れ。昼食、焼きそばパン。満足度、標準、です」


「六十点。声の抑揚が不安定。語尾のですますは省略可」


 メイ先輩が、まるでAIのフィードバックみたいに的確に指摘する。


「な、なにこれ、全然楽しそうじゃないじゃない!」


「感情は非効率。判断を鈍らせる。……しかし、人間は感情を捨てきれない。そこに個性が生じる」


 メイ先輩は、ごく淡々とそう語った。

 その瞳の奥には、どこか遠くを見るような、わずかな揺らぎがあった気がした。


「感情が邪魔だと思ったこと、ある?」


 ふいに俺はそう尋ねてしまった。


「……ある。感情が高ぶると、処理速度が落ちる。だが、完全に無感情にはなれない。私のアンドロイド属性は、本当は揺れている心を隠すための仮面」


 ましろ部長が、そっとフォローを入れる。


「メイちゃんもね、実はすごく悩みやすい子なの。人と違う感情の持ち方や、不安を隠すためにアンドロイドを演じてるんだって、私は思ってる」


「隠すのは、怖いから?」


「正確には、合理的判断。弱みを見せると、他者の評価が変動する可能性がある。……でも本当は、理解されたいという気持ちも、否定できない」


 メイ先輩の言葉は、どこか切なく聞こえた。

 自分の個性を探しているつもりが、他の誰もが「本当の自分」と「演じている自分」のあいだで揺れている。

 そう思うと、不思議と安心した。


「俺、昔から普通でいることばかり気にしてた。みんなみたいに特別じゃないとダメなのかなって。でも、誰でも不安とか、隠したいものを持ってるんですね」


「……普通でいること、それも個性。本音を認めれば、機械ではない証拠」


「ありがと、メイ先輩。無感情って難しいけど、ちょっとだけ分かった気がします」


 メイ先輩が、初めてほんの少しだけ、口元をゆるめた気がした。


「演じてみて、どうだった?」


 ましろ部長が問いかける。


「ちょっとだけ、自分を客観的に見れた気がします。でも、感情がないと、なんだか自分が消えそうで……やっぱり難しいです」


「それでいいのよ。自分の感情を全部コントロールできる人なんて、いないもの」


 ゆかり先輩もそっと頷いた。


「誰でも、見せたい自分と、本当の自分がある。迷ったり悩んだりしても、それはちゃんと自分で選んでいる証拠だと思うんです」


 メイ先輩は少しだけ目を細めて、「合理的結論。感情を抱えても、前進は可能」とつぶやいた。


 放課後、帰りの支度をしていると、メイ先輩が不意に俺に話しかけてきた。


「……今日、私に付き合ってくれて、感謝する。君は、意外と適応力が高い。今後も、自己最適化のために協力を要請」


「はい、ぜひ。……でも、今度はもう少しだけ、感情を込めていいですか?」


「……検討する」


 彼女はそう言って、いつものように無表情のまま部室を後にした。


 みんな属性という仮面をつけながら、その裏で悩んだり、迷ったりしながら、それでも少しずつ本当の自分を見つけようとしている。

 個性部って、そういう場所なんだ。そう思いながら、夕暮れの廊下を歩いた。



 春の日差しが、窓ガラスをきらきらと照らしている。校庭にはうっすらと桜色が残り、昼休みの校舎には遠くで誰かの笑い声が反響していた。

 俺――佐藤虹太は、個性部の部室の扉をそっと開く。


「おっそいわねー、虹太!」


 ひなた先輩が、今日もきつめのツンツンした声で出迎えてくれる。けれど、俺の顔を見ると、少しだけ頬を緩めるのはもうお決まりだ。


「……遅刻、データ取得済み。遅刻率、上昇傾向」


 メイ先輩が、タブレット端末を指でなぞりながら、淡々と告げる。彼女の冷静なツッコミに、ひなた先輩がムキになって反論するのも、最近のルーティンだ。


「だからアンタは毎回……!」


「みんな、そんなに虹太くんをいじめちゃだめよ?」


 ましろ部長が、ゆるやかな声で微笑みかける。変わらない優しさと、誰よりも大きな包容力。その微笑みに、今もふと救われる瞬間がある。

そして、東雲ゆかり先輩。今日も窓辺で静かに本を読みながら、たまに俺たちのやりとりを見守っている。時折、長い睫毛の奥から、静かなまなざしを向けてくれる。

 この日常が、いつまでも続けばいいと思う。



「今日の部活動、始めます」


 ましろ部長の声で、個性部の活動が始まる。部室のカレンダーは、入学してからしばらく経った春のまま。日々の部活動は、同じようでいて、どこか少しずつ違う。


「まずは、今日の個性体験から行きましょうか。今日は虹太くんが、やりたい属性を決めていいわよ」


「え、俺が?」


 突然の指名に戸惑うが、部長が軽く頷く。ひなた先輩も「どーせ何も思いつかないんでしょ」と軽口を叩くけど、最近はそれすらも心地よく思える。


「じゃあ……今日は、『普通属性』で」


 部室の空気が、ふわりと和んだ。ましろ部長が面白そうに目を細める。


「普通属性……?」


「はい。なんでもない日常を大事にして、誰かを助けたり、頼られたりしなくても、そこにいるだけでいいっていうか。個性とか、演じたりしなくても、ただみんなと一緒にいたい。……そういうのも、アリかなって」


 ひなた先輩が、あきれたように息をつく。


「……なんだそれ。でもまあ、アンタっぽいかもね。ま、いいんじゃないの」


「合理的選択。無理に演じなくても、存在に価値あり」


 メイ先輩が、淡々と補足する。ゆかり先輩も、ページをめくる手を止めて、ぽつりと呟いた。


「……私も、最初は自分の個性なんて分からなかった。虹太くんの普通属性、きっと特別なんだと思う」


 ましろ部長が、満足そうに微笑む。


「うん、それが個性になることもあるのよ。みんな違って、みんな素敵。個性部の一番大切なところは、そういう居場所づくりだから」


 部室の空気が、柔らかく満ちていく。



 その日は、みんなで他愛ない話をした。新しく観たアニメの話、昼休みの購買のパンの話、テスト勉強の愚痴。ふざけあい、笑いあい、ときどき沈黙が流れても、その静けさすら愛おしい。


「虹太、明日のプリントちゃんと持ってきなさいよ!」


「忘れたら減点。私が記録する」


「ふたりとも、そんなに虹太くんをいじったらだめよ? 困ったときは、私も力になるからね」


 そんなやりとりが続く日々。

 何者かになりたくて入った個性部だったけど、「何者でもない」自分を認めてもらえる場所になった。



 帰り際、部室の窓から夕焼けが差し込む。今日はひなた先輩と帰り道が一緒になった。


「……アンタさ、最近、なんか変わったよね」


「え?」


「前はすごく不安そうだったけど、今は……なんか、自然体っていうか。ムカつくけど、悪くないって感じ」


 頬を赤くしてそっぽを向くひなた先輩。その背中を見ながら、俺はふと立ち止まる。


「みんながいるから、だと思います。……ありがとう」


「べ、別に! 私に感謝なんてしなくていいし! でも、まあ……アンタが変わった分、私も見ててちょっと……いや、なんでもない!」


 ひなた先輩は照れ隠しに、全力で前を向いて歩き出す。俺も、それについていく。

 小さな日常のやりとり。その一つ一つが、今はとても大切なものだと思える。



 週末、みんなで近くの公園にピクニックに行った。

 ましろ部長が持ってきた手作りサンドイッチ。ひなた先輩が、まるでツンデレのテンプレートのように「仕方なく」作ってきたクッキー。メイ先輩は、スマホで天気のデータを淡々と読み上げながらも、レジャーシートの端にきちんと座っている。ゆかり先輩は、詩集を読みながら、少しだけはにかんだ笑みを見せてくれた。


「こうやって外で過ごすのも、いいですね」


 ゆかり先輩の一言で、みんなの空気がふっと和らぐ。


「虹太くん、個性部に入ってよかった?」


 ましろ部長が、優しく問いかける。


「はい。本当によかったです」


「じゃあ、今日の個性部は『ふつうの高校生』属性でいこうか」


「異議なし」


「ツンデレも今日はお休みしてあげる。……べ、別に、疲れたからじゃないんだから!」


 そんなふうに、全員が肩の力を抜いてただ「居る」ことを許される時間。

 空に風が吹いて、桜の残り香がほのかに漂う。



 部活動が終わり、帰り道の坂道を、みんなで並んで歩く。


 夕焼けが西の空ににじんでいる。みんなの影が長く伸びて、重なったり、離れたりしながら、校門の先へ続いていく。


 きっといつかは、学年が上がって卒業のときが来るだろう。でも今はまだ、誰も卒業しない。部活の仲間たちも、そのままの毎日を過ごしている。


 きっとこれから、悩んだり、つまずいたりすることもあるだろう。でも、ここには「何者か」になろうと焦っていた頃の自分も、みんなと一緒に笑っている自分もいる。


 そうして今日もまた、個性部の部室に集まって、少しだけ自分を好きになれる日々が続いていく。


 どこにでもある普通の高校の、どこにもない「個性部」という場所で。

 誰もが自分のまま、ひとつひとつの個性を見つけていく――そんな、かけがえのない毎日が。


 そのことが、今はただ嬉しい。

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