目が覚めてベッドから起き上がり、窓越しから見える景色は既に茜色に染まっていた。
いったい、あれからどれくらい寝ていたのだろうか……それに、まだ新術の開発が中途半端な状態なのに、ここまでゆっくりと休んでしまって良かったのだろうか。
「ダートの力になりたいと思って始めたから、中途半端な状況にはしたくないな……」
そう思いながら部屋の時計を見ると、もう少ししたら夕飯の時間だ。
最近は彼女に作って貰ってばかりだったから、せめて今日くらいはぼくが作らないと……。
「……ん?これは?」
そう思い部屋から出ようとすると、テーブルの上に置かれている紙に見覚える無い文章が書いてあるのが見える。
風属性の魔術を用いた加速と減速、これは……理屈は良く分からないけれど、肉体の動きを強制的に変える事で、相手の感覚を狂わせるのは面白い。
ただ……これをどうやって形にすればいいのか、治癒術は基本的に特殊な方法を除いて、相手に直接触れていないと使う事が出来ないものが多い……だから、仮にこれを新術として形にする場合、どうやって相手に近づくかになるだろう。
「距離が離れれば離れる程、相手の身体に直接作用する魔力が飛散してしまう、でも……」
ぼくの魔力で編んだ紐をナイフや短剣に括り付けて、相手の身体に刺す事が出来れば、離れていて治癒術を使う事は出来る。
「問題はどうやって、武器を相手に刺すかなんだけど……」
「お?まぁ……んなもん、うち等と一緒に行動するんだから、仲間に任せておけばええやん?」
「……え?」
急に後ろから声が聞こえて、思わず身体が跳ね上がる。
ダートなら入る前にノックをしてくれる筈、という事はどう考えても別の人物だ。
けど、どこか聞き覚えがある……もしかしてこの声の主は、そう思いながらゆっくりと振り向くと……。
「よっ!みぃんな大好き、コルクちゃんやで!」
「……何してるのさ」
「うわぁ……いきなりそんな、迷惑なお姉ちゃんを見るような顔で見んといてよ、傷ついて泣いちゃうかもしれへんよ?」
「コルクは、その程度の事じゃ泣かないでしょ」
「ひっどいわぁ……何をそんな怒っとるん?あ、まさかぁ……ダーと一緒にいたいのに、貴重な時間をうちに邪魔されるんが嫌で……って、ちょいまちぃ!無視すんな!」
どうせ、ダートに会いに来たついでに、ぼくの様子を見に来たのだろうけれど、彼女のおふざけに付き合っていると、話が続かなくなるから無視をした方がいい。
……確かに、ぼくだけなら武器を相手に刺す事は出来ないけれど、コルクの言うように仲間に頼る事が出来れば問題無く出来ると思う。
「コルクさ、確かもう一本……短剣を持ってたよね?」
「ん?あぁ……せやね、痺れ薬を仕込んだ短剣と、やたらと切れ味の良い奴があるけど、それがどうしたん?」
「あのさ、急に事情を話さずにお願いするのもどうかとは思うんだけど、新術の開発で使いたいから、切れ味が良い方を借りてもいいかな」
「ん?別にんなかしこまらんでも、別にええよ?家に帰ればスペアがあるし、何ならあんたにあげよっか」
彼女はそう言うと、腰に差している短剣を鞘ごと外して渡してくれる。
「それにしてもあんたが、そうやって人を頼るなんて珍しいなぁ、もしかしてダーと一緒に暮らしているうりに影響を受けたとか?……同棲カップルはお互いに似るって言うもんなぁ」
「あのさ、ぼく達は別にそんな関係じゃないって分かってるよね?……それに、彼女にもそういう気持ちは持ってないだろうし、好意を持たれていない相手をネタにして弄るのは良くないんじゃないかな、ぼくは別に良いけどダートは嫌な気持ちになると思うし……一緒に暮らしている以上、気まずい関係になるのは嫌だから止めてくれないかな」
「すっごい早口やん……、けど……んな事無いと思うけどなぁ、でもまぁ……うん、あんたがそこまで言うなら謝るわ、ごめんな?」
正直、コルクのそういう状況を選ばずに人を弄って来るのはどうかと思う……それに、ダートはまだ年齢的には色んな意味で多感な時期だ。
いくらぼくが気にしないとはいえ、何度もそういう話題を振られたら、彼女が変に意識して勘違いをしてしまうかもしれないし、そもそも……歳の近い男女が、一つ屋根の下、近い距離感で共に暮らしているうちに、相手に好意を持ってしまったとしてもしょうがない。
「……謝ってくれたならいいよ」
ぼくも今はまだ、彼女をそういう風には見ていないし、異性として意識をしてないけれど、ダートの事を考えたら大人として適切な距離を保ってあげるべきだろう。
「あのさ……ここには、ダートに会いに来たんだと思うんだけど、ほっといて大丈夫なの?」
「んー……いや?今日は別にダーに会いに来たわけじゃないんよ、ほら……開拓に同行するてまえ、レースやダーと当日の事や、戦闘になった際の連携についてどうしようか話そ思うてな?そしたらあんたは寝てるし、うちはケイとかっていう栄花騎士団のうっさいのとやり合う事になるし、ほんま疲れたわ」
「……やり合う?」
「あぁ……その事については今から分かりやすく説明してあげるから、椅子に座ってちょいまっとき」
言われるがまま椅子に座ると、ぼくの前で必死に身振り手振りを交えながら、状況を説明してくれる。
「あぁ……」
何というべきか、どうしてぼくが寝ている間にそんなとんでもなく、めんどくさい事が起きているのだろうか。
互いに武器を手に取ってぶつかり合う程に、状況が大事になるくらいなら無理矢理にでも起こしてくれたら良かったのに……。
「とりあえず話は分かったけど、彼女に暗示を魔術を使わせたんだ?」
「えっと……そこはほんまにごめん!」
暗示の魔術は一見、凄い便利そうに見えるけれど……彼女のそれは、自分自身を強引に別の存在へと上書きして塗り替えて行く。
常人であれば、精神面に悪影響を及ぼしいずれ、自分が何者なのか分からなくなってしまう可能性がある。
中には負担が全くない人もいるけれど、特に彼女のように繊細な性格の持ち主の場合、精神に掛かる負担はぼくなんかでは想像もできない位に重い筈だ。
「……過ぎた事だからいいけどさ、次からは気を付けてよ?」
とはいうけれど、暗示の魔術を使い過ぎて精神に異常を来たした患者の症状は、自身をまるで意識の外側から覗き見ているような感覚になり、自分の意思とは違う行動をしてしまったり、心の中にいつの間にか、違う人格が形成されてお互いに肉体の主導権を奪い合ってしまうとというものがある。
もし……彼女が暗示に頼り過ぎてしまい、それらの症状が出てしまったら……何とかしてあげたいけれど、今のぼくではどうする事も出来ない。
「ん、そうする……けど、あんたもしっかり嫁さんの事を支えんといか……いたっ!いきなり人の腕をつねるのやめーや!あんた達うちの事を何だと思っとんの!?まじで!」
「急にふざけだして、状況をあやふやにしようとされたら、無理矢理にでも黙らせるしかないよね?」
「……ほんっと二人して、うちに対して容赦が無さ過ぎるわぁ」
「二人してって、ダートも同じ事をコルクにしたんだ?」
「……あのさ、うちが言うのもどうかと思うけどな?異性が無意識に相手と同じ事をするって言うのは、しっかりと意味があるから理解してあげる努力をした方がええと思うよ?」
言っている意味が全くもって分からないけれど、忠告を受けた以上は出来る限り努力はしてみよう。
とはいえ、努力をしようにも良く分かっていない以上、どうしたものかと頭を悩ませていると、ドアをノックする音が部屋に響く。
暫くして、ゆっくりとドアが開くとダートが隙間から顔を出して……。
「お夕飯が出来たから、皆で一緒に食べよ?」
と先程までのやり取りを何も知らない彼女が優しく声を掛けてくれる。
「……あぁ、もうそんな時間?」
「うん、そうだけど……なぁに?また起きて直ぐに新術の開発に集中しちゃって、時間を忘れちゃってたの?」
「いや……そうじゃないよ、新術に関してはコルクのおかげで何とかなりそうだからさ」
「へぇ……そうなんだ」
コルクの名前を出した瞬間、先程までの優しげな声が冷たく平坦なものへと変わる。
そして一瞬で真顔になった彼女を見て、もしかして……何か変な事をしてしまっただろうかと不安になる。
だって……起きた時に書いてあった内容と、場の状況を考えたら、ぼくの研究内容に書き足してくれたのは、コルクの筈。
「えっと……?」
そう思ってコルクの方を見ると、頬を引き攣らせてまるで……
『あ、こいつまたやりやがったな?』
と目で必死に訴えかけてくる。
……そんな風に見られても、ぼくがいったい何をしたというか。
「ふぅん……良かったね、とりあえずさ……ご飯が冷める前に皆で食べよ?コーちゃんも今日はもう遅いから止まって行くよね?」
「せ、せやな……うん、そう言う事ならお言葉に甘えて泊まらせて貰うけど、ダー?今日の夕飯はなんなん?」
「お肉と野菜を細かくして、ちぎったパンと一緒に炒めたものなんだけど、レースはこれが大好きなの」
「そ、そっかぁ……それは、うんすっごぉいたのしみやねぇ」
「でしょ?皆でゆっくり食べよう?」
また今日もダートに、ご飯を作って貰ってしまった事に心の中でお礼を言いつつ。
三人でリビングへと向かったけれど、食事中はあんまり会話をしない彼女が今日はいつも以上に話しかけて来る。
そんな状況に少しだけ違和感を感じながらも楽しい時間を過ごした後、開拓について軽く話あった結果、現地にて何か問題が発生した時はコルクの指示に従う事で合意した。
「じゃあ……うちはダーと一緒に寝るから、レースは寂しいと思うけど今日は寂しく一人で寝るんよー」
「レースは最近、新術の開発ばかりだし、今日はもう朝までゆっくりと休んでよね?」
そんな彼女の言葉に頷いて部屋に戻ると、今日はそのまま朝までゆっくりと休む事にした。