教頭は、今日は通常授業は中止でオカメインコはそのまま待機するように、と指示をして、オカメインコ(校長)と去っていった。
僕と璃々ちゃんは、屋上に留まることにした。他の、皆も、教室に戻るよりここに残る方が便利だと考えたのか、大半が再び座り込んだ。オカメインコ同士が集まってぴちゅぴちゅと話し始めている。
あれは、言葉は通じているのだろうか。通じていそうだけれど、僕にはぴちゅぴちゅとしか聞こえない。
「び、ぴょ、ちゅちゅちゅびょちゅ(璃々ちゃん、なんで僕が僕だってわかったの?)」
璃々ちゃんは、僕を抱いておなかに顔を埋めていた。スーハースーハーと呼吸をしている。
あれ? この呼吸の音、聞いたことがあるな。
「ぴ、ぴよよ……?(な、なにしてるの……?)」
さっぱりわからず困惑して訊ねてみると、彼女はおなかから顔を離した。髪や肌にいくつかの白いふわふわをつけたまま、えへへというような笑顔になった。
「あっ、ごめんね。ふわふわであったかくて、それに、すごくいい匂いだったから」
「ぷきゅ……?(いい匂い……?)」
「うん。落ち着くし、癒される匂い」
確かに、いつもよりほわほわとした空気に包まれていて、璃々ちゃんが穏やかな気持ちでいるのが伝わってくる。
彼女は、結構メルヘンな格好をしている。髪形は少しギャルっぽいだけなんだけれど、靴下は、不思議の国のアリスが穿いていそうな縞々デザインだし、ブレザーの下のベストはピンク色で、校章の近くにお菓子のイラストが入ったピンバッジをつけていたり、「可愛い」にとっても気を遣っている。
そういうのが純粋に好きというのもあるけども、可愛い格好をしていると勇気が出てくる気がするのだと、前に言っていた。
本当は臆病なところがあったり、真面目に色んなことを考えている子なんだって、僕は知っている。
「そうそう、なんで鈴芽くんが鈴芽くんだとわかったかって話だったよね」
「ぴよ」
「教室に来た時、目が合ったでしょ? あの時に、きゅんっとしたんだよね」
「ぴよ(それは、僕もきゅんっとしたよ)」
「やだ、嬉しい! それでね……」
璃々ちゃんは、キラキラとした瞳で僕を見上げた。
「鈴芽くんが、一番可愛いオカメインコだと思ったの」
「ぴょっ!?」
僕は翼をわきわきさせて目をまんまるにした。オカメインコは白目の部分が焦茶色だからわかりにくいが、びっくりすると瞳孔が小さくなる。それがますます、まんまるに見えるのだ。
「ぴょ、ぴょうぅ……」
嬉しさと恥ずかしさで、僕は顔を逸らした。
「ぴゃっ?(あれ?)」
そして、気づいた。
「ぴゃちゅぴょびょちょぶちゅびゃびゃ?(僕の言葉、わかるの?)」
「え? あれ?」
璃々ちゃんは目を丸くした。
「そういえば、『なんで僕が僕だってわかったの?』って聞こえてた……」
丸くしたままの目をぱちぱちと瞬かせる。
「でも、人間がオカメインコになるなんてとんでもが起きてるんだから、言葉くらい通じてもおかしくないよね」
そう言って、うんうんと頷くと納得したように笑う。納得が早い。
「ぴょう、ぷちゅぴよぴぴぴ……(そう言われたら、そうかも……)」
人間がオカメインコになったのだから言葉くらい通じるだろう。
「ぴゅゆぴゅゆぷぷぴよよよ?(だけど、最初はわからなかったよね?)」
「そうだね?」
うーん、と璃々ちゃんは考える仕草をして、ぽんと手を打った。
「鈴芽くんがオカメインコに馴染んできて、璃々もオカメインコに馴染んできたとか?」
「ぴょ……(えー……)」
後者はともかく、前者はなんかイヤだ。あんまり馴染みたくない。
それにしても、彼女はやっぱり頭がいい。一人称は璃々だし格好はメルヘンだけど、頭がいいし誰よりもまともだ。
たぶん。
「そうだ、鈴芽くん、さっき、屋上に入る前にさ……」
璃々ちゃんはなんだかもじもじとし始めた。どうしたんだろうと思っていると――
「璃々と交尾……したがってたよね?」
「ぴょっ!?」
オカメインコたちが一斉にこちらを見る。僕が放った特大の「ぴょっ!?」が、太陽に吸い込まれていく。
「鳥語省略(な、何を言ってるの!? 僕、そんなこと思ってないよ!)」
僕はぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! ぷるっ! と首を振る。
「鳥語省略(思ってないっていうか……お、思ってないことはないけど、あの時は誘ってなかったよ!)」
「そうなの? でも……」
もじもじと上目遣いで僕を見て、巻いた毛先で顔を隠しながら、彼女は言った。
「おしりを思いっきり振ってたから……」
「ぴょぴょっ!?」
あれは、そういう意味だったのか!?
「鳥語省略(違うよ! トイレに行きたいんだよって伝えたかっただけだよ!)」
オカメインコたちの視線が痛い。
僕の必死の鳴き声が、また太陽に吸い込まれていく。
「ぴょぴょちゅちゅびちゅぴゅちゅ……!(そんなこと、知らなかったから……!)」
「そうなんだ。あのね、人間がオカメインコになったって知って、璃々、色々検索してたんだ。それで、交尾の動画もあって、可愛かったんだけど……」
「ぴょ?(可愛い?)」
「うん。見てみる?」
スマートフォンを操作した璃々ちゃんは、二人で画面が見られるように横に座った。
動画を見てみると、それは全然ひわいな感じじゃなくて、ただただ可愛かった。
「ぴよぴよぴい……(ほんとだ、可愛いね)」
「でしょ! あっ、そうだ。お弁当作ってきたの。一緒に食べようよ」
「ぴぴょっ!?(お弁当!?)」
僕はさっき、グラウンドに出したあれがゆるかったのは、朝食のせいではないかと疑っていた。
お弁当を食べたら、また……
それに、璃々ちゃんのお弁当は……
ぴよぴよぴよぴよぷきゅぷきゅと、僕は必死に、人間のごはんはまずいんじゃないかという話をした。
「そっかあ……そうだよね。カラスさんなんかはなんでも食べるから大丈夫かと思ってた……」
彼女はしょんぼりしてしまった。そこで、グラウンドから教頭の声がした。
「全校オカメインコの皆さま、餌……ごはんについて説明があります」
餌って言った。今、餌って言った。
「おなかがゆるかったオカメインコさんたちも多かったと思いますが、普通に人間の朝ごはんを食べませんでしたか? それが原因です」
やっぱり!
僕は安心した。
「しかし、人間のごはんを食べられないと不便でしょうから……」
何かイヤな予感がした。
「特別な胃薬を用意しました。そのう炎にもならない魔法の薬です」
魔法が存在しない現代日本でいきなり魔法とか言った。そんなに画期的な薬があるなら、普通の小さい本来のオカメインコたちに飲ませてあげてほしいものだ。
「普通のオカメインコは人の食べ物を口にしないので必要になることが少ないのです」
僕は言葉にしていなかったはずなのに、奇跡的に会話になった。そして、何か都合の良いことを言われた。
「ただし、アボカドとチョコレートとネギ関係は絶対に食べないように。食後の服用で問題ありませんので、ごはんが終わったらグラウンドに取りにきてください。屋上からでも教室からでも、飛んでこられます」
「ぴよっぴよよっ(まだ飛べません!)」
僕は情けない抗議をした。璃々ちゃんは嬉しそうだ。
「良かった! 一緒にお弁当が食べられるね!」
🐤🐤🐤
教室に入って、お弁当を広げる。
「……………………」
そこには、焦げ茶色だったり、黒かったり、なんかぐちゃっとしたものが入っていた。
璃々ちゃんは料理が苦手なのだ。でも、僕のためにがんばって作ってくれている。
正直、人間でもおなかをこわす危険が高い。
でも、彼女がおなかをこわしたところを見たことがない。鋼の胃袋の持ち主なのだ。
「はい、あーん」
箸が持てない僕に、璃々ちゃんは「あーん」をしてくれる。
朝に願ったことが実現しているのに、色んな意味で緊張する。
「ぴ、ぴよ……」
くちばしを開ける。煮込み過ぎてぐちゃっとした上に変な臭いのするブロッコリーを口に入れる。
まんまるの目を、黒焦げ茶、黒焦げ茶にしながら飲み込んだ時――
くちばしに、やわらかい唇が押し付けられた。
「キスくらいなら、してもいいんだよっ」