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閑話1 仔猫を飼いはじめた話(西見視点)

 週明け月曜日の早朝。

 都内の某外資系商社ビルの上層階では、海外営業北米担当チームのメンバーが、コーヒーを片手に雑談をしていた。

「機嫌良さそうだな、なにかいいことでもあったのか」

「まあな」

 西見の問いかけに、同僚の津和梓つわあずさは、コーヒーを口に運びながら目を細めた。

「猫を拾ったからね」

「えっ、猫?」

 西見と他数名の同僚は顔を見合わせた。三十手前なのに、大型プロジェクトのチームリーダーを任されているこの男は、米国本社の現執行役員の縁故採用で入社したことで有名だ。アメリカ人と日本人のいいとこ取りの外見は、稀に見る整った容姿で、男女問わず多くの人間の注目を集めている。

 また二年間に及ぶニューヨーク赴任から帰国して半年ほど経つが、クールな外見を裏切らないそっけなさと、厳しい仕事振りが有名で、決して社交的とは言えなかった。まるで周囲と縮まらない距離感を、あえて保とうとしている風にすら見えた。

 当然これまでほとんど、プライベートの話をしたことはない。それが突然猫を拾った、と聞く日が来るとは……同じチームの面々も、まさかこの男がという思いと、話すキッカケがつかめたとばかり、数少ないチャンスに食いついた。

「猫って、仔猫か?」

「いや、もう大人」

「へえ、けっこう大きいの?」

「それがこれまで栄養状態があまり良くないせいで、かなり細いし軽い」

「病院へは連れてったのか?」

「ああケガをしてたからな。ずいぶん嫌がられたけど、まあ無理やり車で連れてったよ」

 西見はわずかに眉を寄せた……なんか嫌な予感がする。

「おい、津和……」

 西見が口を開かけたそのとき、たった今出社してきたばかりの、同チームのアシスタントを務める女性社員が会話に加わった。

「津和さん、猫ちゃん飼いはじめたんですか?」

「ああ、先週拾ったんだ」

「野良ちゃんですか。私の知り合いも、元野良だった子を飼ってるんですが、警戒心が強くてなかなか懐かないって、嘆いてますよ。津和さんとこの子はどうですか?」

「まだ懐いてるとは言えないかな。でもわりと警戒心薄いみたいで、簡単に触れるし、かわいがりやすいな」

 西見はますます疑いを濃くしていく……いや、でもまさか。まだ確信が持てない。

 すると今度は、津和のはす向かいのデスクから、別の社員が会話に加わってきた。

「うちの嫁の実家も、猫を飼っているんですが、可愛がりすぎてすっかりワガママになっちゃっいましてね。もう高級な餌しか見向きもしないって、嫁が文句言ってました。与えるものは気をつけないと、一度味をしめると、他の食べ物は口にしなくなっちゃうそうですよ」

「ふうん、それはいいこと聞いたな。高い物を食べさせれば、それしか食べなくなるのか」

「え、それのどこがいいんですか?」

「だって、それを与える限り、俺のそばから離れられないってことだろう?」

 津和の口元がかすかにゆるんだ。その様子は、飼い猫を溺愛する飼い主そのもので、周囲は微笑ましい光景になごんだ……ただひとり、西見を除いて。

「津和、お前……まさか、その猫って」

 津和は同僚の青ざめた顔を、面白そうにながめながら、優雅に足を組みかえた。

「可愛い日本猫だけど? 丸くなって寝てる姿が、庇護欲そそるよな」

「わあ津和さん、猫ちゃんと一緒に寝てるんですか。ベッドに入ってくるなんて、かなり懐いているじゃないですか!」

「まだ自発的に、ベッドに入ってくれないけどね。まあいずれ、そうさせるつもり」

 西見は驚きと、あきれた気持ちで呆然とする。そして、一筋縄ではいかない男に囲いこまれた、憐れな『仔猫』に対して同情を禁じ得ないのだった。


(閑話1 おわり)

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