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第12話 変化していく日常

 バイトを終えて外に出ると、ロッカー室の前で津和が待ちかまえていた。

「えっ、待ってたの」

「ついでだよ。残業があったんだ」

 俺が付いてくるのが当然とでも言うように、津和はさっさと踵を返して駐車場へと向かう。

(残業あるからって、俺の帰りとピッタリ合うわけない……合わせてくれようとしないかぎりは)

 薄暗い地下の駐車場を、縦に並んで歩きながら、俺は思いあまって津和の背中に声をかけた。

「あのさ、俺もう足痛くないし、明日からは一人で帰れるから」

 車の前で足を止め、運転席のドアを開きかけた津和は振り返ると、スッと目を細めて俺を見つめた。

(俺のこと、失礼なヤツだと思っただろうな)

 でも、はっきり伝えなくては。

「……なんて顔してるの。何かあった?」

「は?」

「とにかく乗って。ここじゃ話もできない」

 俺はノロノロと助手席のドアを開くと、先に運転席側から乗った津和に手を取られて、車内に引っぱりこまれた。

「えっ、ちょっと……」

 気がつくと、津和の腕の中で抱きしめられていた。

「気を使うなって言っただろう」

「なっ……」

 それは俺の台詞だ、と言い返しかけて、ふと気づいた。

「それって、おたがいさま、だろ」

「俺は君に気をつかってるとか、そういうのじゃないから」

 そっと体をはなされ、両肩をつかまれた。間近で見つめられると、なんだか落ちつかない気持ちになり、つい視線をさまよわせてしまう。

「やっ、だってこんな風に、仕事終わるの待っててくれたりしてんじゃん……」

「それは俺が好きでやってるだけ。悪いからとか言って、遠慮している君とは違う」

 唇が、吐息が、かすめるくらい近づけられた。それは映画のシーンで言えば、ロマンチックなキスする瞬間にも見えるし、殺し屋が今まさに息の根を止めようとしている直前にも見えるし、なんとも奇妙な緊張感で体がこわばった。

「なんて顔をしているんだ……まるでキスをねだられてるみたいだ」

「えっ」

 ドクッと心臓がはねた。まるで俺が思い浮かべたことをのぞかれたようで、顔がカッと熱くなる。

「図星か」

「はっ……んうっ……」

 唇が重ねられて、目の奥が熱くなって思わずつぶってしまった。触れた部分から血が逆流するような熱いキスに、頭が混乱して思考がまとまらない。

(な、なんで!?)

 やがてはじまったときと同じように、いきなり唇が解放され、俺は息を止めたまま至近距離にある顔を見つめる。内心パニックにおちいってる俺に対し、津和はフワリと笑った。

「これで仲直りできた」

「は……はあ!?」

 今度はチュッと、やたら可愛いリップ音を立てて再びキスされた。クスクスと笑う姿に、俺はからかわれているのか意地悪されたのか、それとも嫌がらせされたのか混乱を極めた。

「ど、どういうつもりだよ」

「君は俺に怒ってて、俺は君に誤解されて傷ついた。それをキスで修復したってこと」

 説明を聞いても訳がわからず、津和が異星人に見えてきた。

「修復って、その、それでキスって」

「仲直りの定番だろう?」

 甘い微笑を向けられながら、そっと頬をなでられた。俺はパクパクと口を動かしたが言葉が出てこない。

(それ絶対おかしいだろう!? 変だよな? 俺が変なんじゃなくって、いいんだよな!?)

 車のエンジン音が響き、車体はゆっくりと駐車場を抜け、夜の街を走りだした。俺は心の中に渦巻くいろいろな感情や疑問に、とりあえず無理やり蓋をして、まずは冷静になって考えようとした。

(きっとアメリカ生活が長かったせいだ……西洋じゃキスって挨拶だって聞くし、そんな深い意味なんかないはずだ……)

 これじゃ単なる言い訳だ。チラリと隣を見やると、涼しい顔でハンドルをにぎる津和の横顔があった。つい形の良い唇に目がいってしまい、パッと視線をそらす。

 津和の態度があまりにも普通で、平然としていて、なんだか悔しかった。だが、ひとつだけ認めなくてはならないことがあった……津和のキスに嫌悪感はなかった。むしろ気持ち良かった。色恋沙汰には縁遠くなってる俺ですら、腰砕けになるんだから、こんなのされたら誰だって簡単に落ちると思う。

「津和さんって、恋人とかいないの」

「なに、急に?」

 車内にクスクスと微かな笑い声が響き、俺は気まずさに口を引き結ぶと、わざと運転席に背を向けた。

「可愛い反応だね。もしかしてキス、久しぶりだった?」

 いつまでも笑っている津和に、俺は恥ずかしさを誤魔化せたことにホッとした。わざと不貞腐れた振りをすることで、先ほどのキスを冗談の範疇にとどめたかった。

「……うっせ、どうせ俺には恋人なんていねーよ」

「君のペースでいいだろ。君の人生なんだから」

 おだやかな言葉が、俺の心にやさしくしみていく。それはずっと誰かから言ってもらいたかった言葉だと、たった今気づかされた。

「……でも俺のペースでやってたら、いつまでたっても何も変わりゃしないよ。ここ何年も、ちっとも変わらないし」

 少し反論したい気持ちもあって、愚痴みたいなものを吐いた。すると津和は、うーんと思案げにうなる。

「いっそのこと、俺のペースに合わせてみたら?」

「はあ? なんでそうなるんだ」

「俺にはここ数年いろいろあったから。良くも悪くも数か月、数日単位でも変化を感じられたし、時には思いがけず、すばらしい変化に恵まれることだってあった」

 信号待ちで津和の手がのばされ、俺の頭をサラリとなでていった。

「悪いことばかりじゃなかったよ? いいことばかりでもなかったけど」

 そう淡く微笑む男の顔に、俺はすっかり毒気を抜かれた。恵まれてきた男のように見えるけど、良いことばかりじゃなくて悪いことだってあっただろう。

「だから君だって、俺と一緒なら変わっていける。すでにこの生活は、変わったことのひとつだろう?」

「それはそうだけど」

「俺のマンションに住んで、俺と飯食って、俺と一緒に眠って、そうしているうちに元の生活が過去になって、いつか変化した未来が、あたりまえの日常になるよ」

 津和の言葉はやっぱり不思議な響きがするが、なぜか妙に説得力があった。なぜなら俺の日常は、津和と出会った瞬間からどんどん変化してたから。

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