ボクは今、猛烈に悩んでいる。
最近、クラスメイトの那奈ちゃんの態度がどこかそっけない。
身に覚えがあるといえば、まあ、ある。
それは昨日の事だ、彼女が生徒会長の御堂先輩に呼び出され、作業をしていた時、彼女はスマホを机の上に置き忘れていた。
そのヒントは”n&p date.cat”になっていたので、意味が分かったボクはそれを解除して中身を見てしまった。
つまり、このパスワードはボクと那奈ちゃんが子猫を見つけた日になっていた。
残念だけどその子猫は数日後にカラスに襲われて死んじゃったけど。
それで……中に入っていたのがボクの知っている彼女の表側アカウントのななみ以外に、裏アカウントのななぽんだった。
このアカウントでは、普段の彼女からは考えられない過激な言葉やきわどい写真が載っていたが、ボクはあえて見なかったことにした。
けど――勝手にスマホの中身を見てしまった、なんて正直に言えば、悪いのは完全にボクの方だ。謝るべきか。でも、あのまま、見なかったことにはできないし……。
……というか。
なんで今日に限って、またもやし鍋なんだよ!?
意味がわからない。
うちの家は世間で言う「財閥系」ってやつで、料理もいつも豪華。
専属のシェフがイタリアンやらフレンチやら中華やらを日替わりで作ってくれるのに、なぜか月に一度、**“もやし鍋だけ”**の日がある。
しかも、よりによって今日がその日。悩みがある時に、なんでこんなシンプルすぎる食卓なんだ。
祖父は「食えれば何でもいい」と豪快に鍋をかきこみ、
祖母はどこ吹く風でお茶をすする。
そして父と母は、どこの新婚カップルですかってくらいラブラブムードで並んで座っている。
何なんだよこの空気。
……だが、今日はいつもと違った。
「真人、どうした? 何か悩み事か?」
「父さん、言いたいことはいろいろあるけど……。なんで毎月一日、こんな食事なんだよ。ダイエットとか? 節約とか?」
「ハハハ、そのうち分かる日が来るって。なあ、里香」
母さんは相変わらず綺麗で、年齢を感じさせない。
若い頃は大学のキャンパスクイーンだったらしいけど、今でも普通に通じそうだ。
なんというか――ボクの悩みだけが浮いてる気がする。
「ぬう、真人。悩みか。まあ、男は悩んでこそ成長するもんだ。よく悩め」
奥に鎮座するのは、どこかのヤクザの親分みたいな祖父――梶屋剛(かじや ごう)。
ライオンみたいな白髪に、深く刻まれた皺。
見た目はもう十分な怪物級だが、中身もとんでもない。
たった一代でカジヤグループを築き上げた“伝説の男”。
少年院から脱走して祖母を助け、そこから財閥を作った――という話だけど、流石にそれは盛りすぎだと思いたい。
「貴方、真人はまだ若いんですから、あまり無茶なことは言わないで下さいよ」
「花蓮、何が無茶か、ワシが真人の頃、お前を助け出したのは丁度ワシが少年院を出てから仲間と仕事を始めた頃じゃろうが」
「そうでしたわね、あの時の貴方、本当に凄かったわ」
祖父がこの祖母と知り合ったのがちょうど僕と同じ年の頃なのか、それだとちょっと相談してみてもいいかもしれないな。
「ねえ、おばあちゃん。お爺ちゃんっておばあちゃんにどんなプロポーズをしたんですか?」
――だがこれが地雷だった、まさか……この何気ない質問からあんなすさまじい流れになるとは、この時のボクはとても想像が付かなかった。
祖母は顔を赤らめ……つい顔を手で隠してしまった。
これは相当情熱的な告白だったんだろうか。
「……そうか、ついに話す時が来たか、真人……心して聞くがいい、ワシが……子爵令嬢の早乙女花蓮、つまりお前の祖母を射止めた伝説を」
まあどうせトラックの前に飛び出したとかそんな話だろうけど……話半分で聞いておくか。
「ワシはな……当時自分が何も持っていない事を伝える為、全裸で浜辺で花蓮に告白したんじゃ」
「!?!? ぜぜぜぜぜ、全裸!?」
「そうじゃ、ワシは……何も持っていない、だが必ずアンタを幸せにして見せる! と全裸でお前のお婆さんに告白した」
想像の斜め上のヤバいネタが出た! ってそれどう考えても犯罪だよ!!
「父さんは……流石にやりすぎだろ。全裸って、真人にはキツいですよ……」
呆れながらも目を逸らすボクに、祖父がどっしりとした声で言い返した。
「なんじゃと。じゃあお前は、真人に何かアドバイスできるのか?」
「ん……そ、それは……」
父は、少しだけ懐かしそうに口を開いた。
「じゃあ、真人に教えてやるか……真実の愛とは何かってやつを」
「え、ちょっ――」
「……ポケベルの時代、まだコンビニも今みたいに無かった。連絡手段もろくになかったあの頃、俺はお前の母さん、里香の家の前で――六時間、雨の中、坂の下でずっと待ってたんだ」
「…………」
「……ずぶ濡れでさ、まるで犬みたいに。けどな、それでも信じてたんだ。待ってりゃ、きっと出てきてくれるって。最後に笑って会えるなら、濡れるくらいなんてことないってな」
祖母がその横で、懐かしそうに微笑んでいる。
父の声に誇張はなかった。けど――
「いや今の時代それストーカーだよ!? 通報されるよ!? っていうか通報してほしいよ!? よく母さん逃げなかったな!?」
「逃げなかったというか、家の前に居たら出るしかないでしょ」
まあそりゃそうだ。
でも母さんもどこかズレたとこあるのかもしれない。
「何言ってる。あれがあったから今の私たちがあるんじゃないか」
「まさに“愛の形”ね」
「やめて、ボクの常識が崩壊していく音が聞こえる!!」
父さんの話はまだ続いた。
「あのな、昔は待ち合わせは柱の前、柱を選ぶのもテクニックだったんだぞ」
「柱ってなんだよ、どこの鬼退治バトル漫画だよ!? 柱を選ぶ意味が分からないよ」
「お前、知らないのか? 駅前の待ち合わせってのはな、**“どの柱の影に立って待つか”**で本気度が試されるんだぞ。電車の風除けにもなるし、恋の駆け引きは柱の位置から始まるんだ」
「いや意味が分からない! そんなの待つ側と来る側で意思疎通してなきゃ成立しないし、そもそも今はGPSがあるし!」
ダメだ、会話がまるでかみ合っていない。
「今は楽でいいよなぁ~」と父は遠い目をする。
「“鳴らないポケベル”を見つめ続けるあの切なさ……あれが本物の恋だったんだ」
「じゃあ父さん、母さんからの番号って覚えてたの?」
ポケットベルがどんなものか知らないけど、何だか語呂合わせで番号ってだけは聞いた事がある。
「忘れるわけないだろ。いまだに暗証番号は**“04106”**だ」
「……“お・よ・び・だ・せ”? 怖っ! それで坂の下で六時間いたの!? もはや念じゃん!!」
祖父が笑い出した。
「フッ、真人……お前も、いずれ分かる。女の一言は男の生き様を変えるのだ」
「じゃあ僕が那奈ちゃんに『元気ないね』って言われたら、全裸で雨の中立てばいいんですか!? それが伝統なんですかこの家は!?」
「うむ、そうだ」
三人同時にうなずくな!!
「なあ真人、お前は何かされたらすぐ気にして引きずる。だが本当の恋ってのはな、**“笑われても走れるか”**なんだよ」
「笑われたくないから相談してるんだよ!! こっちは今世紀最大に悩んでるの!!」
……もやし鍋はすっかり冷めていた。
全裸告白に、坂の下のストーカー、そして柱のポジショニング戦争――
この家の恋愛観、全部ヤバすぎるってば。
「まあ、真人が本気なら、一回くらい笑われてもいいんじゃないの?」
隣で母さんがにこやかに言うけど……その価値観、もう信用できないから!
そんな僕の混乱をよそに、祖父がゴツい手で何かをテーブルにポンと置いた。
「これをやる。真人、お前の好きな女を連れてこい」
「……え?」
テーブルに置かれていたのは、まるで金箔でも貼ってありそうな、やたら豪華な黒金の封筒。
「今週末、カジヤグループ主催のパーティーだ。幹部とその家族、身内しか来れん。いわば政略と縁の交差点……」
「お前がこの家の人間なら、そこで“誰を連れてくるか”で、その先が変わる」
「……お前の“本気”、見せてみろ」
「じ、じいちゃん、それって……」
「要するに、好きな女をこの修羅の宴に連れてきて見せろ、ってことだ」
祖母がため息をつきながらも、「あら、素敵じゃない」と微笑む。
「え、待って……え? 今のボクのこのグチャグチャな恋愛脳に、その選択迫る!?」
「てか、那奈ちゃん、このタイミングで呼んだら絶対死ぬじゃん……」
ボクは悩みながらも次の日、那奈ちゃんをパーティーに誘う事にした。
「……那奈ちゃん、ちょっといい?」
教室に残っていた彼女に声をかけると、那奈ちゃんはちらりとこっちを見て、微妙に口元を歪めた。
「ああ、真人くん。何か用?」
「うん、ちょっと……話したいことがあるんだけど」
「……聞くだけなら」
彼女の声は相変わらず淡々としている。
ボクがスマホを勝手に見たことを、やっぱり気づいてるのかもしれない。
廊下に出て、人気のない渡り廊下で向かい合う。
気まずさと緊張で、ボクの喉はカラカラだった。
「その……週末、パーティーがあるんだ」
「……ふーん。どうせ、お金持ちの人たちが集まる、豪華なやつでしょ」
「う、うん。まあ……カジヤグループの、幹部とその家族が集まるやつで」
「それ、あんたのお家関係のことでしょ。あたし、場違いだと思うけど」
あくまで淡白な言葉。だけどボクは、引けなかった。
「でも、ボクは……那奈ちゃんを連れて行きたいんだ」
言葉にすると、鼓動がさらに高鳴った。
那奈ちゃんは目を伏せ、少し黙ったまま、何かを考えているようだった。
「……なんで、あたしなの? もっとふさわしい子、たくさんいるじゃん」
その言葉の裏には、「あたしみたいなのが行っても意味ないでしょ」という諦めがにじんでいた。
「ふさわしいとか、関係ないよ。ボクは……ボクの意志で、君を連れて行きたいって思ったから」
真正面から言った。目も逸らさずに。
しばらくして、那奈ちゃんはふっと、寂しそうに笑った。
「……ごめん、ムリ。ちょっと、そういうの、今は重い」
言葉は短かったが、拒絶ははっきりしていた。
彼女はくるりと背を向け、渡り廊下を去っていく。
……やっぱり、早すぎたのか。タイミングを間違えたのかもしれない。
◆
「――金平さん、断ったんですね」
淡い照明の生徒会室。
御堂光(みどう ひかる)は、ソファに座る那奈の横に紅茶を置いた。
「……断ったっていうか、行く意味ないし」
「ふふ……あなたがそう言うとは思っていました。けど、僕はいいと思いますよ。行ってみれば」
那奈は顔を上げた。
「え?」
「真人くん、あなたのこと、本気で想ってるみたいでしたよ。あれで意外と真っ直ぐなんですよね、彼」
御堂の笑みは、いつもの爽やかな表情だった。けど、なぜか――奥に冷たさを感じた。
「……いいじゃないですか。たまには“お姫様役”をやってみるのも」
「……御堂先輩は、どうしてそこまで」
「僕? 僕は、君がどう変わるのかに興味があるだけですよ」
さらりとそう言い、カップの紅茶をすする御堂光。
那奈は、彼の視線から目を逸らした。
それは、まるで“お前の変化を楽しませろ”と言わんばかりの、どこか“舞台に送り出す演出家”のような視線だった――。
◆
部屋の中、鏡の前。
カーテンは閉じたまま、柔らかいライトだけが那奈の顔を照らしている。
スマホのカメラをインカメに切り替え、アプリのフィルターを起動。
画面に映った自分の顔を、じっと見つめる。
「……やれるでしょ、“ななぽん”。今日は特別なんだから」
鏡に映るのは、制服姿のまま、ほんの少しだけ口角を上げた少女。
だけどその眼差しは、どこか挑発的だった。
裏垢用スマホを手に取り、構図と角度を慎重に整える。
制服のブレザーの前を少しだけ開けて、リボンの位置を直し、頬をなぞるように指先で触れる。
――"きっちり真面目"じゃ、誰の目にも止まらない。
何枚か写真を撮ったあと、微調整しながら1枚だけ選び、アップする。
コメントはない。ただ、ハッシュタグだけ。
#ななぽん降臨 #気まぐれ制服 #今日だけね
投稿を終えると、那奈は静かにスマホを伏せた。
立ち上がり、ベッドの端に置いてあったジャケットを羽織る。
ブレザーの襟を正しながら、ふと自分の姿を鏡に映す。
「……完璧、じゃない。でもこれでいいの」
制服姿のまま、ドアの前に立つ。
そして、彼女を迎えに来たのは恋人未満の友人……真人だった。
パーティー会場をどこかの豪華ホテルのホールだと思っていた那奈は、それ以上に豪華な会場を見て驚いていた。
会場になったのは、同級生の真人の家、つまり梶屋家の大邸宅。
下手な一流ホテルよりよほど豪華な場所だ、ここでは既に老若男女全てが一流の服装で正装をし、パーティーに参加していた。
そんな中、那奈は真人に連れられる形で制服姿のまま彼の母親の部屋に案内された。