――そして、時は戻る。
「さ、入って。三雲さん」
担任の桜井先生に促され、ドアの前でひとつ息を整える。スカートが短すぎないだろうか、髪が跳ねてないだろうか、顔の筋肉が正常に動くだろうか……。
忍者としての誇りを胸に、しかしながら女子高生としては今日が初日。図らずも不安で膝が震えそうになっている。
そう、今の俺は完全に女子高生となっていた。
俺の〈忍法美女肉〉とは体内の男性ホルモンを女性ホルモンに入れ替えることにより、全身を女性化する忍法だった。
このような空前絶後な忍法を習得するために、俺はどれだけ過酷な修行を積んできたか、思い出すだけでも胃が破裂しそうだった。できればもっとかっこいい忍法を習得したかったと思うときもあるが、この任務に携わることになったのは〈忍法美女肉〉を身に着けたおかげでもある。
女子校に忍ぶ伊賀のくノ一を探しだすという任務、まさにこの〈忍法美女肉〉が生きる絶好の舞台だった。
まさに忍者としての本懐、ここが俺の死に場所である。
「よし、行くぞ……」
女子として、そして忍者として。これは甲賀忍者として失敗の許されない任務なのだ。
最後に「忍の一字」と小さくつぶやき、二年C組のドアを開けた。
瞬間、ふわっといい香りが舞い出してきて、意識が飛びそうになった。
「うわぁ」
クラスの誰かから、驚いたような声が聞こえた。俺は声に反応しないように、あくまで冷静に、ただ自分の足元だけを見ながら黒板の前に向かう。
「三雲レンさん。今日からうちのクラスに転校してくることになりました」
――三雲レン。
三雲蓮太郎改め、これが〈忍法美女肉〉により女体化した俺の世を忍ぶ仮の名前になる。
まだ聞き慣れない俺の名前が先生から紹介されて、ちょっと背中がむずがゆくなる。
「三雲さん、何か一言」
俯いて自分の上履きをじっと見つめていた俺は、先生に促されてようやく顔を上げた。
目の前に広がる教室の風景。見渡す限り、女子しかいなかった。すべての女子が、俺の一言を待ち構えている。
「あ……」
昨晩からずっと考えていた自己紹介をしようと口を開けるが、いつの間にか喉がカラカラで声が出てこない。
膝と膝をくっつけて直立不動のまま、自分の体なのに自由に動かせない不自由さを感じていた。これでは忍者として、なんとも情けない。女子としてのプレッシャーに負けたようなものだ。
「緊張しなくてもいいのよ。じゃあみんな、いろいろ教えてあげてね」
先生に背中をポンと叩かれ、ようやく金縛りが解けたように肩の力が抜けた。
緊張なんて忍者としてあるまじきことだ。いかんいかんと髪を耳にかけ、前を向く。
このクラスの中に、伊賀のくノ一が潜んでいることだって十二分にあり得るのだ。
「み、三雲レンです。よろしくお願いします!」
すいっと、いかにも自然な感じで教室中を見渡し、深めにお辞儀をする。
下手なことをして怪しまれてはいけない。俺は女子高生として、ここにやってきたんだ。これくらいの演技に戸惑っているわけにはいかない。
すると、堰を切ったようにクラスメイトから歓声のようなものが上がった。
「かわいい!」
「髪綺麗!」
「読モ? ちょっと美人すぎん?」
クラスメイトからの誉め言葉が自分に向けられているとは到底思えず、鼻の奥がきゅんとしてしまう。こんなに誉められたことは、これまで一度だってないぞ?
「レンちゃん、よろしくねー!」
声のほうを見ると、廊下側の席でポニーテールを白いシュシュで束ねたギャルが手を振っていた。制服の胸元は開いて、リボンもだらんとぶら下がっている。もちろんスカートも短く、素肌の面積が多い。
そんな野生のギャルと視線がぶつかると、まるで胸に手裏剣が刺さったかのようなときめきが生まれてしまう。
――かわいい。
「よよよ、よろしくお願いします」
唇を震わせながら、そのギャルに向かって大きく頭を下げる。
――かわいい。
すべてがかわいいで埋め尽くされている。
俺の恋愛経験の乏しさから、運命なんて言葉まで頭に浮かんでしまう。このまま見つめ合っていると好きになってしまいそうだ。女子校生活開始一分で恋に落ちるわけにはいかないぞ。
そんな迂闊な感情が悟られないように、髪を撫でて顔を隠す。
「じゃあ三雲さんの席は、宝来さんの後ろね」
桜井先生に促され、最後列の唯一誰もいない机に向かう。その道中
も女子たちの視線にさらされながら、俺の胸は高鳴りっぱなしだった。
冷静を装いながら、自分の席に座ったときだった。
「ひゃっ!」
太ももの裏が椅子に直接触れ、ひやりとして変な声が出てしまった。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです!」
俺はお尻の下のスカートを何度も整え、きちんと足をそろえて椅子に座りなおす。
スカートで椅子に座るなんて初体験すぎて、まったく落ち着かない。これ、パンツ丸見えなんじゃないか? よく女子はこんなもの履いて出歩けるよな。スリルしかないぞ。
「よろしくね、三雲さん。私、宝来明日香」
椅子の上でもじもじしていると、前の席の生徒が振り返ってきた。
黒髪のショートボブで、さっきのギャルと比べると制服も正しく着こなし、首元のリボンもきちんと付けていた。
そんな真面目そうだが芯の強そうな女子が屈託のない笑顔を向けてくるのだから、目の前で火遁の術がさく裂したかのような衝撃を受けた。
――かわいい。
もはやかわいいがゲシュタルト崩壊寸前。
「よ、よろしく」
意味もなく鼻を掻いて、本日二度目のときめきを隠す。
女子校の教室にはかわいいが渋滞中だ。このままじゃ俺の恋心はいくつあっても足りそうにないぞ!
いや、言うてる場合ではない。俺は伊賀のくノ一を探しに……。
「明日香って呼んでね。こう見えてクラス委員なの。わからないことがあったらなんでも聞いて!」
口元に手を添えて、俺の顔に近づいてきてひそひそと話す。鼻と鼻が触れそうになり、俺は椅子をがたりと飛びのきそうになった。
なんという接近戦!これが女子同士の距離感か? 男子であったならばお金を払わなければならないスキンシップだ。
「あ、ありがとう……」
俺の心からの感謝し、ぎこちない笑顔を返す。すると明日香は「じゃ、あとで!」と、くるんと前を向いた。
なんということだろうか。女子高生開始数分で、俺はまんまと恋に落ちかけているではないか。伊賀のくノ一の陰謀を暴かねばならんというのに、これはやばい。
「はーい、じゃあホームルーム始めるよ!」
桜井先生がぱちんと手を叩き、全員が教壇に集中する。
女子としての一挙手一投足に迷いながら、女子校デビューの洗礼を受けてしまう。
これが女子校か……。
とりあえず女子校に潜入することはできたが、なんと過酷な任務であろうか。
これもすべて俺の忍法が完璧だという証だ。
女子高生になるといっても、コスプレとか女装とか、そんな子供だましなんかじゃない。俺は〈忍法美女肉〉により生物学的に女子になって、女子として大和女子学院に転校してきたんだ。
俺の見た目は女子たちもうらやむほどの絶世の美女になった。艶のある黒髪に、切れ長の瞳。モデルのようなスタイルの良さ。自分で鏡を見ても、これが俺とは思えない。
しかしこの忍法が役に立つときが来るとは……。
あらためて自分のか細い腕やきらめく爪を眺めていると、いつの間にかホームルームは終わっていたようで。
「三雲さん! どこから転校してきたの?」
「ねえ、彼氏は? 付き合ってる人いるの?」
「スカウトとかされてことある? あるよね?」
休み時間になったとたんに、俺の机はクラスメイト達に囲まれていた。さっき教室に入ったときに感じたいい匂いは、女子たちのものだった。香水やシャンプーなんかが混ざって、それは共学ではありえない香しく女子っぽい匂いだった。
「いや、それは……」
全方向から投げつけられる質問に、どれから答えればいいかも分からず言葉を濁す。そもそも答えられない質問ばかりだ。俺だってまだ三雲レンのキャラ設定が曖昧なままなんだよ!
「ほら、三雲さん困ってるじゃないの!」
前の席の女子が俺の気持ちを代弁してくれた。確か名前は宝来明日香、クラス委員だからか、クラスメイトをまとめる役目を担っているようだ。
「困ってないけど、ちょっと緊張してて……」
俺は女子っぽく、胸に手を置いて小さく眉を下げた。慣れないうちは喋り方も気を付けていかなくては。
この任務、一番あってはならないことが、男だとバレてしまうことだ。万が一にも俺が忍法を使って女体化しているなどと考える女子はいないだろうけど、怪しいと思われるだけで任務に支障が出かねない。
そもそも忍者とは誰にも気づかれず、与えられた任務を完遂しなければならない。忍者にとって栄光など邪魔なだけだ。
緊張しているのは演技ではなく本当のことだったが、そんな俺を見てまたどこかから「かわいい」なんて声が聞こえた。
昨日まで男だったので、その誉め言葉に喜んでいいのかよくわからない。
「はいはい!」
俺を囲む女子たちの一列後ろから割り込んできたのは、さっきのポニーテールのギャルだった。隣の空いていた席にすとんと腰を下ろし、細い足をくるんと組む。
近くで見ると、爪にはネイルが光っているし、はだけた胸元からはオープンハートのネックレスが見えている。明らかに化粧もしているし、この学校はどうやら校則が緩めらしい。
「この子は……」
「河西優雨。優雨でいいよ」
明日香が紹介してくれる明日香を遮って、優雨が会話のイニシアチブを横取りしてくる。
「逆にレンちゃんのほうから質問ないの?」
初対面から気安く「レンちゃん」呼ばわりしてくる優雨。コミュニケーション能力が高そうで、ぐいぐいくるタイプのようだ。
「質問……」
自分のことを答えるより、こちらから質問で攻めた方が怪我はしにくい。
「最近、この学校に伊賀……」
「イガ?」
いかん! 女子たちの香りにほだされて、ここにやってきた本当の目的を明かすところであった。
さすがに直接、伊賀くノ一の情報を探るわけにはいかない。
それにこの河西優雨という女子が伊賀くノ一である可能性も無きにしも非ず。迂闊な行動はできまい。
「いや、なんでもないの。女子校っていい匂いがするね」
「なにそれ。おっさんみたい!」
優雨が眉をひそめながら、俺を指さす。ほかの女子たちがクスクスと笑う。
いきなり肝を冷やしてしまう。素性が怪しまれてしまったか?
「いや、なんでもないの……」
ここは出すぎたことはしないほうがよい。まだ潜入初日、目立って素性がバレれば伊賀のくノ一に見つかりかねない。
「レンちゃん、恥ずかしがり屋なんだね!」
もじもじと腰を揺らしていると、優雨はその姿を勘違いしたのかぺちんと俺の肩を叩いた。
「ふふふ……」
俺は精一杯、女子高生として笑ってみた。
優雨もにこにこと、笑顔を返してくる。
こうやって女子高生になってみると目に映るものすべてが新鮮で、刺激的。
今も足を組んでいる優雨の短いスカートからはみ出す太ももが気になって仕方がない。その重なり合った太ももの奥に視線が吸い付けられそうに……。いや、だめだ! 今は同性といえ凝視するわけにはいかない!
なんて無防備にエロが転がっているのだ、女子校には!
こうして俺の女子校潜入生活が始まったのだ。
果たして俺は伊賀くノ一の陰謀を暴くことができるのだろうか?
この女子たちの楽園で、まったく自信がありません!