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第2話 美女肉忍者、参上

 俺が大和女学院に転校する前日、それは草木も眠る丑三つ時のこと。


 外で鳴くフクロウの声を聴きながら、真っ暗な廊下を歩く。どれだけ気をつけてもギイギイとなる木の床は、いつ底が抜けてもおかしくない。


 こんなぼろい家、早く出たいと思いながら目的の部屋に到着する。床に膝をつき、両手でふすまを開ける。


「こんな時間に、なんの用ですか?」


 眠気を押さえつつ、わざと不機嫌な声を出す。


 部屋の中はろうそくの薄明りだけが頼りで、その先にうっすら父の姿が見えた。表情までは見えなかったが、のっぴきならない空気だけは感じる。


「座れ」


 父の声はいつもよりトーンが低かった。緊急事態でも起こったのかと、言われた通り座布団に腰を下ろした。すると目の前に何か置かれていることに気づく。


「これは……?」


 そこにあったのは、きれいに折りたたまれた女子高生の制服だった。


「……蓮太郎、わかるな?」


 父・源八は俺の名を呼び、じとりとした視線をこちらに送ってくる。深く皺が刻まれた目元は、いつになく真剣だった。


 夜中に突然呼び出され、父から女子高生の制服を見せられて「わかるな?」と理解を求められる……。


 これはあれか? カミングアウト的なやつか? そうに違いない。


「この秘密は墓場まで持っていきます。父さんの変態趣味に物申すつもりは……」


「何を言っとるか。わしにコスプレの趣味などない」


「そ、そうなんですか?」


「当たり前じゃ。誰が変態じゃ」


 否定してくれてよかった。

 女子高生の制服着て萌え盛る父の姿を想像して涙が出そうになったが、俺は胸をなでおろす。


「では、これはなんですか?」


 俺はあらためて、この制服の意味を尋ねる。

 紺色のブレザーに、プリーツスカート、赤いスカーフに紺色のハイソックス。黒のローファーまで用意されている。


「蓮太郎よ。任務じゃ」


「に、任務ですと?」


 俺は思わず前かがみに、これまでのくだりを一旦無視して父の言葉を受け止めた。


 高校に通いながらもどこか心にぽっかり穴が開いた状態だった俺は、その父の言葉に希望を見出したのだ。


 だが歓喜の瞬間の次に訪れたのは、やはり違和感と疑問だった。この目の前の制服を無視することはできない。


「ちょっと待ってください。それとこの女子高生の制服の意味がわかりません。一体、任務とはどのような……」


「蓮太郎! 忍者たるもの、うろたえるでない!」


 ここで父が声を荒らげた。


 ――忍者!


 父から出た言葉に、俺は反射的に周囲の気配を探ってしまう。


 もし誰かが聞いていたら大変なことだ。ただでさえ壁が薄く、隙間風も入り放題のボロ家なのだ。こんなこと聞かれるとご近所から村八分にされて回覧板も飛ばされてしまうかもしれない。


 そう、これは決して冗談なんかじゃない。


 俺、三雲蓮太郎と父・源八は甲賀忍者の血を引く、現代に生きる忍者なのだ。


「父上、めったなことは言わない方が……」


 そっと口の前に人差し指を立てて諫めようとするが、今日の父はいつもと違った。俺の言葉も近所迷惑も顧みず、続ける。


「どのような任務であろうと引き受け、誰にも悟られることなく完遂するのが忍者の務め。よもや平和ボケしてしまったのか?」


「そ、それは……」


 痛いところを突いてくる父に、俺はぐうの音も出なくなる。


 今の俺は忍者とは程遠い生活を送っている。もちろん忍者であることは誰にも知られてはいけないので、ただの高校生として日常に染まり切っていた。


 だがそうするしかなかったのだ。


 この平和な世の中に忍者の居場所など、どこにもない。知り合いの忍者たちは忍者村のようなエンターテイメント施設で働いたり、その身体能力を生かして配達の仕事をしたり、それこそサラリーマンとして渡世を生き抜いている。


 俺たち三雲家も途絶えつつある甲賀忍者の末裔として、なんとかその存在を証明させなばならないのだ。


 俺は小さい頃から父と二人三脚で厳しい忍者修行を積んできたのも、いつか忍者としての任務を果たすため。甲賀忍者の血を守るためだ。


「ようやく忍者として生きることができるのだ。蓮太郎よ、これはお前にしかできぬ任務である」


「俺にしかできない……? まさか、それでこの制服ということですか!」


 ようやく点と点が線に繋がったような気がした。


 この任務、ただ事ではないと、背中にひやりと冷たいものが流れた。


「お前には女子校に潜入してもらう」


 父は制服を睨みつけながら、唸るように言った。


 女子校への潜入――。これが俺に与えられた、任務。


「すでに転校の手続きはしてある。大和女学院、二年生。申し分なかろう」


 俺もさすがに動揺を隠せないでいると、父が書類を取り出してきた。


 大和女学院といえば、世間的にも伝統ある女子校だ。偏差値もトップクラスで、日本中の女子が憧れるお嬢様学校でもある。


「そこで俺は何をすれば?」


 聞きたいことは山ほどあるが、まずは任務についての情報がほしい。


「伊賀のくノ一が忍び込んでいるとの情報があった。その目的を探れ」


「くノ一が?」


 くノ一とは女忍者のことである。そして伊賀といえば、俺たち甲賀忍者にとっては戦国時代からしのぎを削ってきたライバルでもあった。


「甲賀のくノ一を潜入させるわけにはいかなかったのですか?」


「うむ。この伊賀のくノ一、一切素性が知れず、手練れである可能性も高いのじゃ。こちらのくノ一の顔が割れている可能性もあり、待ち構えられていることも考えられる。そこで、裏をかく……!」


「男の俺ならばさすがに甲賀忍者とバレているわけがない、ということですね?」


「いかにも。これはお前の忍法でしかできない任務じゃ。わかるな?」


 父は大きく頷き、俺の眼を射抜くように睨む。


「俺の忍法にしかできない任務、なるほど……」


 俺は厳しい忍者修行の中で、俺にしか使えない忍法を会得していた。


 その忍法を使えば、いとも容易く女子校に潜入できるだろう。むしろ俺にしかできない任務であることは、よくよく承知した。


「俺の〈忍法美女肉にんぽうびじょにく〉を使えば、容易いことですが……」


〈忍法美女肉〉


 それが俺の忍法だ。


 だけど俺は自分のこの忍法を、忌み嫌っているんだ。できることなら使いたくないし、なぜ俺はこんな忍法を会得してしまったのかと、思春期の頃は悩んで眠れなかったものだ。


「お前は忍者として、女子高生になれ!」


 そんな俺のナイーブな気持ちなんて露知らない父は、どんと自分の胸を叩いた。


 それは俺たち甲賀忍者の血が途絶えていないことを示すようであった。


 これは俺が忍者として待ち望んだ任務なのだ。

 何を迷うことがあろうか。どんな任務であろうと、それを達成するのが忍者の誇り。忍者である自己証明。甲賀忍者としての、誉れ!


「わかったよ。俺が女子高生になり、伊賀のくノ一を調べるよ!」


 俺、女子高生になります!


「すべては忍の一字である! 蓮太郎よ、心してかかれ!」


「父さん、静かに!」


 父の怒号ともいえる彷徨に、俺はしーっと指を立てる。ご近所に聞かれたらまずいって言ってんの!



 そして、翌朝。


 家からほど近い湖のほとりで、俺は一人佇んでいた。


「なんでこうなるかな……」


 夜が明けてあらためて考えてみても、やはり無茶すぎる気がしてならない。上手く父に言いくるめられてしまった。


 いくら任務とはいえ、女子校に潜入することになるなんて……。


「いや、文句なんて言ってられない。俺が甲賀忍者の存在を証明せねば……」


 もう後戻りは出来そうにない。やるしかないと、無理やり自分を言いくるめる。


 俺は父から渡された女子高生の制服を着て、その姿を湖に映していた。どこからどう見ても変態だ。スカートがすーすーして、思わず内股になってしまう。よく女子たちはこんなもの履いて出歩いてるよな。もはや裸じゃないか。


 俺は今の自分の姿には目をつぶり、深く息を吐いて精神を集中させた。


「〈忍法美女肉〉を発動させる!」


 親指の腹を噛み、痛みとともにぷくっと滲み出た血を見つめる。そしてその血を自分の唇に横一文字に塗りつける。まるで口紅を塗ったように、唇、そして全身が熱くなった。


 もう一度湖を覗き込むと、そこに映っていたのはどこからどう見ても美女、女子高生そのものだった。


 これぞ〈忍法美女肉〉! 俺は忍法により女体化することができるのだ!


「すべては忍の一字!」


 俺は大和女学院へと向かった。忍者として任務を果たし、甲賀忍者ここにありと時代に刻むために――。


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