幸二が突然笑い出した。
「文村さん凄い! 雰囲気最高ですよ! いやあこんな話の達者な人だとは思いませんでした」
文村は、笑顔のまま再び紙コップにカフェオレを注いだ。
「ありがとうございます。こう見えて、私、化けの皮をかぶっていますのでね」
和浩は思わず緊張した。文村の態度や口調が変わっている……幸二もダイヤも気づかないのだろうか?
やはり、この男はどこかがおかしい。
和浩は、壁に見える階段までの距離を横目で確認した。用心はしておいた方がいい。何事かあれば全力で走って逃げて、助けを呼ぼう。さっきから小さな鬼火も増えているから、万が一明かりが無くなっても何とか周囲は見えるだろう。
「あの、急ですけど文村さんのお話、録画させてもらってもいいですか? 後で編集してから私の怪談チャンネルで流したいんです。もちろん文村さんの顔や声はわからないように……」
ダイヤの申し出を文村はあっさりと了解した。
「ああ、どうぞどうぞ。たくさんの人に知って貰えそうですね。別に私の顔も声も出して構いませんよ。関係ありませんからね」
「わあ、ありがとうございます。ちょっと待ってください、すぐに用意出来ますから」
ダイヤは自分のカメラを急いで準備し、幸二も張り切ってメモを取る構えをしている。
「ここで特別に怪談会をするのもいいなあ。文村さんをゲストにして。怪談師のオーメンさんなんか大喜びしそうだ」
「それグッドアイデアだよ! 私も参加したい!」
賑やかな2人をよそに和浩は黙り込み、この四角ダンジョンに来るのは絶対に二度とごめんだと考えていた。
やがて準備が整い、文村は落ち着いた声で話し始めた。
「今から30年ほど前にこのダンジョンが出現した時は、話題になって四角村が賑やかになるかもと少しは期待されたんですよね。
でも、このダンジョンを嫌がる人も多かった。なぜなら、ダンジョンが出現した空き地は禁足地だったんです。とても狭いし、由来なんかは当時でももう誰も知りませんでしたけどね。潰れた神社の跡地だろうとか言われてましたけど。とにかく村の人はあまり近づかない場所だったんです。まあどこの村でもそんな場所はあるでしょうけど」
文村は紙コップからカフェオレを一口飲んだ。
「そして、ある日村の住民が4名、突然姿を消しました。当時の村長、郵便局長の娘さん、ご老人、引っ越してきたばかりの青年。何の繋がりも無い彼らが突然姿を消したんですよ」
幸二が身を乗り出して尋ねた。
「どういう状況で姿を消したんですか?」
「不明です。その日の夕方、気づいたら居なくなっていたんです。誰も特に気にしなかったんですが、最初にご老人の家族が不審に思ったんですよ。散歩に出たにしてもおかしいと。ご老人を見かけなかったかと近所を回っているうちに、他の3名も居なくなっているのがわかって、段々騒ぎが大きくなったんです。特に村長は、村役場に荷物から通勤用の車まで置いたままでしたからね。
そして夜、10時頃でしたか、4名が一列に並んでダンジョンに入って行くのを見たという人間が、駐在所に駆け込んで来たんです」
「ダンジョンに一列に並んで……」
「ええ、そうです。それですぐに駐在や村の男ばかり数人、ダンジョンに何度も入った事のある人間が集団で入りました。1階から3階を見て回って、4階にも下りたんですが、その時は何も発見できなかったんです。一旦引き上げ、翌日の昼間に再度、もっと大人数で調べたら、ちょうどここに溺死体が4体、仰向けで、きれいに並べられていたんです。全員着衣の乱れも無く傷などもほとんどありませんでした。まあ、川で溺れ死にさせられたのは確かですが。不思議なのは、最初に死体を見つけられなかった事ですね」
和浩たちは周囲や足元を見ながら黙ってしまった。ここに死体が……ダイヤが恐る恐る言った。
「結局、4名の方が殺された、その、殺人事件だった訳ですか?」
「どうでしょう。警察が捜査しましたが、何もわかりませんでした。それからダンジョン探索者の死者が10人出ました」
文村は淡々と話し続ける。和浩は、周囲の小さな鬼火が段々と増えてきたのに気が付いた。文村の気味の悪い昔話に呼応しているのかもしれない……。
「1番目の人は、墜落死でした。あの壁の一番高い穴から突き落とされたんですね。頭部が完全に潰れていて、男女の区別もつきませんでした。腕もちぎれて遠くに飛んでいましたよ。
2番目の人は、自分が持っていた大きなナイフで、自分をめった刺しにして死んでいました。最後にナイフを口の中に突き刺していて、頭の後ろに刃が突き出ていました。鼻を削ぎ落して眼が完全に白目で、あれは窒息死だったのかもですね。
3番目の人は、そこの川に顔を突っ込んだ状態で溺死していました。背中に大量の石が乗せられていて、髪の毛と両手の指が切り取られていました。両耳が千切られていたのは、古い物語みたいですね。
4番目と5番目の人たちは、片方が連れの顔面を石で滅多打ちにして殺して河原に放り出し後に、自殺しました。首にロープを巻き付けて、あの壁の穴から飛び降りたんです。衝撃のせいか、首がほとんどちぎれた感じでぶら下がっていました。
6番目、7番目、8番目、9番目の人たちはそこの穴の中で死んでいました。当時ダンジョンは立ち入り禁止だったのに、こっそり入り込んでいたんですよね。持ち込んでいた荷物は、川の向こうで燃やされていて、みんな足をロープで固く縛られて歩けない状態で餓死していました。苦しくて這いずり出そうとしたのか、手の爪がほとんど剥がれていましたよ。
10番目の人は、死体は見つかりませんでした。でももぎ取られた右腕と左足だけが河原に転がっていましたから、残りは川に流されたんでしょうね。この川は深淵の底まで落ちていきますから、骨も残っていないでしょう」
文村は、にっこり笑った。
「これが、4階の4人と10人の死体の思い出です」
3人とも、しばらく返事が出来ずにいた。キツい怪談話に慣れているはずの幸二までどう言えばいいのか迷っているようだった。ダイヤが何とか反応した。
「凄いリアルなお話でした。まるで文村さんが実際に目撃したような……」
「当然ですよ。私が連中に指図をしたんですからね」
思わず和浩が大きな声を出してしまった。
「馬鹿な事を言わないでくださいよ! あなたが14人も殺すなんて不可能だ!」
和浩の発言に文村は返事をせずに、他の3人の顔を見回した。
「ダンジョンには、色々あります。皆さんの世界とも既に馴染んでいる、モンスターや異世界の住民と出会うダンジョン。美しい鉱石のあるダンジョン。楽しく探検できるダンジョン。
でもそういうダンジョンだけじゃ無い、皆さんの世界の物を取り込むためのダンジョンもあると思いませんか? あなた達がモンスターを狩って宝を取ろうとするんですから、私があなた達を狩ってもいいでしょう」
とうとう耐えられなくなった和浩は立ち上がり、はっきりと文村に言った。
「訳のわからない事ばっかり言われて、もううんざりだ。さっさと撤収するぞ。幸二、続きを聞きたいなら別の日にしろ。今夜はもう終わりだ」
文村は無表情で和浩を見上げた。
「終わりません。言ったでしょう? ここは深淵です。あなた方をどうするかは私が決めます」
「何だと?」
「和浩さん、あなたの着ているジャケット、そういう真っ赤な色のジャケットが欲しかったんですよ」
文村はまた奇妙な笑顔を浮かべ、手を顔に当てた。
「この銀縁眼鏡はとても気に入っているんですが、他はそろそろ変えようかと思っていたんですよ」
突然ダイヤが小さく悲鳴を上げた。眼が大きく見開かれている。
「誰か、誰かが私の足首を掴んでる! 嫌だやめてよ! 離してよ!」
幸二が手を伸ばしてダイヤの肩を揺すった。
「落ち着けダイヤ、足首になんか何も無いよ!」
しかしダイヤはパニック状態になって、叫びながら両手を振り回し、両足をバタバタと踏み鳴らす。和浩も慌ててダイヤに近寄って腕を押さえた。
しかし文村は、そんなダイヤを無視してナップザックに保温ボトルをしまい込むと立ち上がった。和浩は睨みつけた。
「おい、まさか、さっきのカフェオレに何か薬でも入れたのか?」
「くだらない。そんな真似をする必要などありませんよ。最後の飲み物をご馳走しただけです」
最後の飲み物? 和浩は体中が冷たくなるような感覚に襲われた。
「あんた……あんた一体何者なんだ?」
文村は全くの無表情で和浩を見た。眼鏡の奥の瞳が真っ黒に見える……。
「何者かはあなた達で勝手に決めてください。それでは」
その瞬間、全てのライトの灯りが消えて3人は暗闇に包まれた。さっきまでたくさん漂っていた鬼火も消え、周囲は真の闇になった。
ダイヤの悲鳴と幸二の焦ったような叫び声が響き、和浩は「落ち着け!」と叫びながら手探りで足元に置いてあった筈の小型ライトを探す。だがどこにも無い。文村が素早く持ち去ったのだろうか。
和浩は思いついて、ジャケットのポケットから携帯端末を取り出した。端末画面の明かりを強くしてから自分のバッグを探そうとした時、耳元で聞き取りにくい、濁った声がした。
「お前、金返せ、おれの金だぁ、返せぇ」
思わず声の方を見た和浩は、顔面を強く殴られ倒れ込んだ。
何度も何度も顔や背中を殴られ、遠くから響く幸二の絶叫を聞きながら、和浩はやがて呼吸が出来なくなっていった。