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第7話 燻る

 汗ばむ胸元。コオロギの鳴き声が響く縁側。キャミソールの紐が肩を滑り落ちた。倫子の肌に洋平の唇が落ち、彼女は悦びに震えた。喘ぎ声に倫子は口元を隠したが、それは呆気なく取り払われ、甘い吐息が漏れた。彼はその濡れた唇に深く口付けた。洋平の指先が肌を撫でると倫子は身体をのけ反らせた。倫子は一瞬、罪悪感を覚えたが、すぐに熱に飲み込まれた。


「倫子、倫子さんっ」

「・・・・・・!」


 蛍が飛ぶ奥座敷で、2人は熱い身体を重ね合っていた。古い畳がギシギシと音を立てた。その時だった。玄関の鍵が開く音がして、倫子は洋平から咄嗟に身体を離した。慌ててキャミソールの紐を肩に掛け、髪を手櫛で整えた。洋平もジーンズを上げると急いでTシャツを着た。


「なんだ、洋平来てるのかー?」


 まさか兄と妻がそのような関係だとは思いもよらない洋介は、革靴を脱ぎながら奥座敷へと声を掛けた。倫子は慌ててリビングに顔を出したが、洋介の顔を見ることが出来なかった。洋介は不思議そうな顔をしたが、特に気にかけるでもなく『着替えて来るね』と寝室へと向かった。洋平はまだ2人の熱が残る奥座敷で、油絵具や筆をまとめ帰り支度を始めた。


「洋平、夕飯食べてけよ」

「あ、ああ」

「今、温めるね」


 倫子は髪の毛を後ろでまとめるとエプロンを着けた。その晩の献立はシチューだった。倫子は洋介が中村莉子と不倫をしていた事実に寂しさを覚え、洋平に身を任せた。


(これじゃ何も言えないわ)


 倫子は洋介を盗み見た。一時の気の迷いとはいえ、倫子は義兄と淫らな関係を持ってしまった。ただ、洋介が異変に気付いた気配はなく彼女は安堵した。


(同罪よね)


 リビングテーブルでは何事もなかったかのような表情の洋平が、洋介の話に相槌を打っていた。倫子は洋介の不倫が今回の過ちを招いたのだと自分に言い訳をした。食器棚から皿を取り出そうとした彼女は視線を感じた。一瞥すると、洋平が熱い眼差しで倫子を見ていた。鍋の中ではシチューがグツグツと煮立っていた。あれは過ちではなく、始まりなのかもしれない。洋平の真剣な表情がそう物語っていた。倫子は身体の奥が火照るのを感じた。


「お待たせ、熱いから気を付けてね」


 倫子が洋平にスプーンを手渡そうと腕を伸ばすと、彼は洋介の目を盗んでその肌に指を這わせた。倫子の中でまだ燻っている火がチラチラと炎となる。倫子は首まで赤らめその腕を引っ込めた。洋平の口元は意味深な笑みを浮かべていた。その時、洋介が倫子に声を掛けた。


「ついてるよ」

「え?」


 倫子は思わず首筋を手で隠した。洋介は『違うよ』と言いながら倫子の胸元を指差した。倫子のキャミソールに露草色の油絵具が付いていた。


「気に入ってるんだよね。汚しちゃダメじゃない」

「い・・いつの間についちゃったんだろ」


 洋平は何事もなかったように、平然とした顔でシチューを口に運んでいた。


「洋介、今度からは気をつけるよ」

「・・・あ?ああ」


 倫子はスプーンを握ったがその指先は小刻みに震えていた。洋介を窺いみたが、倫子の動きと、洋平の言動の僅かな異変に気付いた様子はなかった。洋介がシチューを食べながら、ふと箸を止めて二人を一瞥したが、すぐに笑顔に戻った


「倫子ちゃん、拭いたら?」

「うん」


 倫子が油絵具を拭こうとしたが、指先に残る色がまるで消えない罪のようだった。

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