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第2話


「前の彼女とは、この部屋でした?」


 俺の部屋、ベッドの上。押し倒された彼女が発した言葉はそれだった。ベッドの上に乱雑に放置された奇抜な色をしたコンドームの袋が、白いシーツの上で異物のように目立っている。俺はその色を横目で確認しながら「え? 」と短く言葉を漏らした。


「そ、そうだね? うん。そう、俺の部屋だった……ごめん、嫌かな?」

「ううん、嫌じゃないよ。じゃあ、シーツもこれ?」


 彼女が顔を傾け、シーツに頬ずりをしながら俺に問う。その言葉に、なんと返して良いか分からず固まった。このシーツだったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そんな些細なこと、いちいち覚えているわけがない。

 彼女の目は、失態を晒した部下を咎める一国の女王のようであった。逃れられないほどの威圧に、唾液を嚥下する。

 さあ、今から待ちに待った彼女との行為だ。と浮かれていた気持ちが徐々に萎んでいく。白川のはだけた胸元から覗く、白いブラジャーにさえ欲情をそそられない。目に映る繊細なレースが蠱惑的に手招きしているのに、俺はその手を取ることさえ出来なかった。

 相反した黒い髪が、シーツに散る。白川が喋るたびに、それらが意思を持ったように動く。

 まるで、蛇みたいだ。


「……うん、そう。これ、だった」

「ふぅん。ねぇ、部屋の明るさは? カーテンは開けてた? 森泉くんが彼女を押し倒した? 彼女が森泉くんを押し倒した? キスはした? それはどちらから? 服を全て脱がせた? あなたは服を着ていた?」


 質問攻めに、眩暈がした。さながら、以前の彼女とした時の光景を全て再現させようとしているみたいであった。

 ────こんなに嫉妬深いのか。

 美貌の裏に隠れた、そのヘドロのように醜く粘り気のある嫉妬心に俺は困惑していた。彼女と付き合って数ヶ月だが、正直なところそういう面は多々見えていた。

 「前の彼女とはいつ頃から手を繋ぎ始めたの?」。最初の質問はこれだった。付き合って数日経過した頃。俺は白川に触れたくてたまらなかった。隣に美人がいるのに、指一本触れることができないのは、苦痛であった。

 そんな俺を察したのか、察していないのか。白川がにこやかに微笑み、手を差し出してきた。そしてこう告げたのだ。「前の彼女とはいつ頃から手を繋ぎ始めたの?」と。

 俺は一瞬、困惑した。なぜここで以前付き合っていた女のことを聞いてくるのだ、と。

 だが、俺はそれを「女の子の嫉妬心」で片付けた。その頃はまだ、他愛のない可愛いものだと認識していたからだ。

 「前の彼女とはこのぐらいで繋ぎ始めたかな」と告げると、白川は心底嬉しそうに微笑み、俺の汗ばんだ手を握ってきた。そして「そうなんだぁ」と目を細めうっとりとするのだ。

 以降、家へ訪れたのはいつ頃か。何度目のデートでキスをしたのか────大まかなことはこのぐらいしか覚えていないが、彼女はこれ以上に詳細を尋ねてきた。

 行動の全てに「前の彼女とは……」と枕詞を置き、質問攻めをする。白川の真剣な眼差しに、覚えていないよとは口が滑っても言えなかった俺は、その場を適当に過ごした。

 ────まさかこんな場面でも彼女の嫉妬は発動するのか。

 俺はうんざりしながらも、内心を表情に出さぬようにと務めた。「確かこうだったかな。そして、こうで」。そう必死に再現すると、彼女は目を細めるのだ。そして、俺の瞳を見つめる。大きな茶色の目に魅入られるが、しかし。

 俺はほんの少しだけ、何かを感じ取っていた。彼女は俺を見ているわけではない、気がする。俺の奥にある、何かを探ろうとしている。瞳孔がジワリと大きくなるたびに、深淵へ引き摺り込むような恐怖が、俺を支配した。

 暗く深い海に溺れる────そんな感覚に襲われる。溺れた俺を、彼女は助けない。何故なら彼女は、俺ではない何処か遠くを眺めているからだ。手を伸ばしても、叫んでも、彼女は応答しない。ただじっとりと俺の目を見つめる。頭蓋の奥まで見透かされるようなその感覚に、俺は呼吸ができずに海に呑まれてしまうのだ。


「森泉くん、いけなかったね」


 静かな森にこだまする、小鳥の囀りのような清らかな声で俺は現実に引きずり戻された。パッと顔を傾ける。隣には、俺が愛用している古臭い毛布にくるまった裸体の白川がいた。まるで泉に住まう女神である。瞬きをする間に、消えてしまってもおかしくないほど彼女は美しかった。

その形のいい唇が、くすくすと笑い声を漏らす。


「ご、ごめん。下手で……」

「ううん。気にしないで」


 俺は彼女との行為を上手くできなかった。何度も勃たせそれを挿入させようとしたが、結局萎えてしまい最後まで出来なかった。

 彼女が白い肌を晒し、俺へ近づく。耳元で「また今度したらいいじゃない。次は上手くいくよ」と、囁いた。脳にゆっくりと溶けた言葉に、俺は頷いた。


「ねぇ。ところで、前の彼女の時はうまくいったの?」


 彼女の言葉に頬が引き攣る。俺は何秒か考えた後、首を横に振った。俺は前の彼女と────西野陽世と上手くいかなかったのだ。

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