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第3話


「ごめん、痛い」


 そう言われ、俺は彼女の鼓膜に残るほど大きなため息を漏らした。すでに萎えてしまった性器からコンドームを外し、ベッド脇に置いてあったゴミ箱へ捨てる。西野はさめざめと泣きながら体を起こし、乱れた制服を整え、何度も謝罪を繰り返した。その言葉が鬱陶しくて、俺は眉を顰める。


「もう、いいよ」

「初めてで……本当、ごめん」


 メガネの縁に指をかけ、位置を直した彼女の頬は濡れていて、いくつも涙の跡が出来ていた。それを拭ってやる気力さえ湧かず、俺はパンツを履きベッドの縁に腰を下ろす。スプリングが哀れな鳴き声をあげ、俺の心境を表しているかのようだった。

 嫌なほど静かな部屋に、西野の啜り泣く声が響いた。

 西野は同じ高校に通う、二歳年上の先輩だ。そして、幼馴染でもある。仲良くはなかったが、家が近いということもあり、それなりに顔を合わせることが多かった。

 互いを意識し始めたのは、俺が彼女の通う高校に進学した頃だと思う。学内ですれ違うたびに挨拶がてらに手を振る彼女へ、徐々に惹かれていった。

 西野はお世辞にも可愛いとは言えない女だ。黒々とした重たい髪の毛と洒落っ気のないメガネ。校則通りのスカート丈に、明るくもない性格。合唱部では部長を務めていたらしいが、それでもパッとしない。そんな女だ。

 付き合った当時、俺は早く童貞を捨てたいという考えしかなかった。周りの友達が嬉しそうに彼女との行為を語るたびに、俺はじわじわと追い詰められていく感覚に襲われていた。

 だから、年上だろうが、可愛くなかろうが関係なかった。童貞を捨てて早く友達の輪の中に入りたかった。そして「大人である」と背伸びをしたかったのだ。

 行為をしようと心に決めた日。最初のうちは、彼女にフィルターがかかっていて、それなりの顔面でも可愛く見えた。けれど、彼女を部屋に連れ込み行為に至ろうとした時にフィルターは剥がれてしまった。

 「ごめん、痛い」。西野が発した一言がきっかけだった。なんだかもう、どうでも良くなった。童貞を捨てたいという邪心が、こんな年上の可愛くもない女と付き合うきっかけになってしまった。

 急激にその真実が雪崩のように押し寄せた。

 ────俺は、急ぎすぎていたのだ。

 正気に戻った俺は、その日を境に彼女と別れた。

 別れた途端、彼女を好きだったという気持ちが消え失せた。やっぱり、俺の心は性欲によって動かされていたのだなと改めて実感した。

 故に、西野との付き合いは短いし、なんの思い入れもない。なんなら、恋人と呼べるレベルで俺たちは仲良くもなかった。

 だからこそ、白川の執拗なまでの嫉妬に戸惑うのだ。西野と世間で言われる恋人同士のような仲睦まじさがあれば良かったが、俺にとって彼女は童貞を捨てさせてくれるかもしれないという、一筋の希望を抱いた女でしかない。

 白川に「前の彼女とはどうだった?」と言われても「あの人との付き合いにそれほどの思い入れがないから、どうだったと言われても困る」としか返せないのだ。(もちろん、言葉通りには返さない。だって前の彼女を蔑ろにする酷い男だと白川に思われたくないからだ)

 ……高嶺の花である白川からの嫉妬は度を越してはいるが、それは愛情の裏返しとも言える。以前に俺を愛し、愛されていた女へ嫉妬をする美女。そんなの、みんなの憧れだ。男であれば、誰もが喉から手が出るほど欲する。

 しかし、彼女の嫉妬は何かが違った。言い表せないような、何かを秘めている。彼女は俺と接するたびに、俺越しに何かを見ている。俺ではない、何かを。その何かが、俺には分からなかった。

 彼女は俺へ愛の囁きをしながら、俺ではない何かへ愛を伝えていた。

 いったい、この違和感はなんなのだろうか。

 そんな膿を胸に孕ませたまま、彼女と日々を過ごした。



「白川りんが怖い? なんで?」


 昼食時。倉木が目をまん丸とさせ、俺へ問うた。人差し指を立て「声がでかいって」と彼を制する。チラリと教室内を伺ったが、白川の姿はなくホッと胸を撫で下ろした。

 倉木はもう一度「なんで?」と返す。彼は市販の菓子パンを口に加えたまま、ケロッとした顔をしていた。溢れた粕が机の上へポロポロと落ちる。


「前にも言ったろ。嫉妬深くて、怖いって」

「言ってたけどさぁ。女子の嫉妬なんてたかが知れてるだろ。スマホ見せろとか、他の女の子と会話しちゃダメとか」


 肩を竦めた倉木に、眉を顰めた。


「……西野って覚えてる?」

「あぁ、お前の元カノ。確か幼馴染だっけ。一個年上で、地味でメガネかけた……」


 脳裏に、西野の顔が浮かぶ。同時に「ごめん、痛い」と泣く姿も過ぎり、気分が悪くなった。自分が悪役になったかのような感覚に陥る。


「で? 西野センパイがなに?」


 あんな女にも律儀に「先輩」と呼ぶ倉木はそれなりにきちんとしているのだなと、どうでも良いことを考えつつ「その西野に嫉妬してるんだとよ」と返す。倉木は「へぇ?」と拍子抜けしたような声を上げた。


「なんでまた?」

「知らん。それが女の子の「嫉妬」なんじゃないか?」


 「元カノが相当気になるらしい」とひとりごちながら箸を持つ手を動かす。弁当の中にあった唐揚げを口に放り入れた。


「でも、西野センパイなんて、すぐ別れたろ。お前が「やっぱりタイプじゃない」って嫌そうに言ってたのすげー覚えてる」

「……そうだな。だから、そんな相手にまで嫉妬する白川さんが怖いんだよ」

「んー。でも、白川りんからすると、そんな西野センパイでさえもお前の元カノってだけで嫉妬の対象なんだよ。愛されてるって証拠だって……あれ、もしかしてこれ、惚気だった? それに付き合わされてた? ムカつくんだが?」


 ムッとした倉木に「……ちげーよ」と返し、口の中に入っていた唐揚げを咀嚼し、嚥下した。


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