「私がちゃんと生きていくために… 東雲たくま、どうかお見逃しください。」
篠宮初音の姿が廊下の奥に消えても、東雲たくまは固まった彫像のようにその場に立ち尽くしていた。
初音の言葉は氷の錐のようにたくまの心臓を刺し、繰り返し反響していた。
たくまは拳を握りしめ、指の関節が白くなっている。
初音に近づかない?
ありえない。
生きている間は同じ寝床で、死んでも同じ墓穴に埋まる。
たとえ引きずるようにしても、この人生で初音を自分のそばに縛り付けておく。
篠宮初音が古びた屋敷の玄関口まで来た時、背後から慌ただしい足音が響いた。
振り返ると、東雲明海が目の前に立っていた。
スーツの袖口にほんの少し埃が付いている。
走って追いかけてきたのは明らかだ。
「初音さん、ちょっと待ってください」 明海の息はまだ落ち着いていなかった。
篠宮初音は自らは口を開かなかった。
この、いつも距離を置いている従弟に対して、東雲たくまに対するような冷たさは見せられないが、親しみを感じることもできず、礼儀正しい距離感を保つしかなかった。
「たくまさんは… 何かしましたか?」 明海は初音の全身を一瞥し、傷跡が見えないのを確認してようやく少し息をついた。
「いいえ」 篠宮初音の答えは簡潔だった。
二人の間に短い沈黙が流れた。
明海は喉仏を動かし、何か言いたそうにしたが、結局その言葉を飲み込んだ。
初音の目に宿る距離感が無形の壁となり、どんな気遣いも余計なものに感じさせる。
「他にご用がなければ、失礼します」 篠宮初音は軽く会釈し、背を向けて去ろうとした。
「初音さん!」 明海は突然声を張り上げた。「何があっても、僕は諦めません」
篠宮初音の足が半秒ほど止まり、すぐに速度を上げて車に乗り込んだ。
エンジンがかかった時、助手席のスマートフォンが震えた。
時雨快晴からの連絡だった。
快晴は数秒間画面を見つめ、結局ブルートゥースイヤホンを装着して応答した。
「もしもし、快晴さん」
「初音さん、今日どこかで会えない? 桜を連れて謝りに行くよ」 時雨快晴の声には、わざと柔らかくした口調がにじんでいた。
「わざわざ会う必要はありません。既に許しましたから」 篠宮初音は窓の外に流れ去る木々の影を見つめながら、心には何の波風も立たなかった。
時雨桜は温室育ちの花のようで、世間知らずに甘やかされていた。
元々自分と同じ道を歩む者ではないのだ。
電話の向こうでしばし沈黙が続き、時雨快晴の困ったような声が聞こえた。
「初音さん、桜は確かに今回は悪かった。彼女はもうこれ以上わがままを言わないと、僕が保証する。気にしないでくれないか」
篠宮初音はふと滑稽に感じた。
なぜ快晴が何度も保証するのだろう?
自分がそんな小娘相手に意地を張ると思っているのか?
彼女はその点を突っ込まず、ただ口実を作った。
「今車を運転中で、スマホも電池が切れそうです。取り急ぎ、失礼します」
「わかった、気をつけてね。また後日連絡する」
電話を切った瞬間、ホテルの部屋にいた時雨桜がすぐに近づいてきた。
「兄ちゃん、篠宮さんはまだ怒ってるの? 大したことじゃないのに、そんなに根に持つこと?」桜はソファの脚を軽く蹴り、不服そうな表情を浮かべていた。
篠宮初音が現れてからというもの、兄ちゃんの気遣いは半分以上もそちらに奪われてしまい、突然現れたこの「お姉さん」が心の底から好きになれなかった。
時雨快晴は眉をひそめて桜を見た。
「桜、間違ってるものは間違ってるんだ。お前がそんな態度なら、これからどうやって初音と付き合っていくつもりだ?」
快晴は眉間を揉みながら、心に重い石を抱えているようだった。
桜は幼い頃から可愛がってきた妹であり、初音は実の妹だ。
両方とも大切な家族だ。
しかしこの二人の妹は明らかにそりが合わない。
身の上話が明らかになる日が来た時、仲良くやっていけるだろうか?
快晴は深く考えようとはしなかった。
時雨桜は快晴が本当に怒っているのを見て取ると、すぐに彼の腕を引っ張って甘えた。
「兄ちゃん、ごめんなさい、ね? 怒らないでよ」
時雨快晴は腕を引っ抜き、口調を幾分和らげた。
「ちょっと用事を済ませてくる。お前はホテルで大人しくしてて、勝手に出歩くなよ」
快晴の去っていく後ろ姿を見ながら、時雨桜の目が陰った。
篠宮初音がすべてを奪い取るような気がしてならなかった。
特に、今しがたの電話での兄ちゃんの口調。
あの慎み深い気遣いは、自分に対しては一度も向けられたことがないものだった。
桜はふと、篠宮初音と母親の若い頃の写真が瓜二つだったことを思い出し、ある考えが抑えきれずに頭をもたげた。
もしかして篠宮初音は、本当に母のもう一人の娘なのか?
******
篠宮初音はアパートには戻らず、車を大河にかかる陸橋下の駐車場に停めた。
夜風が川の湿った匂いを運んでくると、初音は手すりに手をかけ、橋の下を流れる車の灯を見つめながら、ふと前回ここで九条天闊に会った時の情景を思い出した。
天闊が当時、必死に初音の手首を掴み、愚かなことをしないかと恐れていた様子は、今思い出しても心が温かくなる。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
画面には「九条天闊」の名前が映っている。
「何考えてるんだ?」
「あなたのこと考えてたの」
彼女は笑いながら応答し、声は自然と柔らかくなっていた。
電話の向こうから低い笑い声が聞こえ、それが心にふわりと触れた。
「そっか? 僕も初音のこと考えてたんだよ。さっきアシスタントに、君を小さくしてポケットに入れられたらいいのにって言ったばかりさ。24時間ずっと見てられるからね」
「それなら、頑丈なポケットを探さないとね。私をなくしちゃだめよ」
篠宮初音の笑い声は風に乗って散っていった。
初音は気づいていなかった。
自分の後ろに、少し離れた場所で、折り畳みナイフを握った中年の男が彼女の背中をじっと見つめ、その目には恐ろしい凶悪な光が渦巻いていると。